第72話「侍として」

 自分に刀術を施してくれたミハク姉様——


 強く、優しく、気高く、芯のある女性だった。


 そんな彼女を、何が変えてしまったのだろう。とついだ先が滅んでしまったことと関係があることは疑いようもないが——よりによって〈野盗やどり〉に、〈虚狼団ころうだん〉に身を墜としているとは。


 あの夜、久方ぶりに再会した時、彼女は自分を斬ろうとした。ためらいなく。肉親であるはずの自分を。


 それは、強さと呼べるものなのだろうか。


 自分の目指している侍とは、そういった強さを持ち合わせているものなのだろうか。シマダをはじめとする侍たちはそれぞれの強さを持っていて、だからこそ——侍とは、強さとは、どういうものなのかわからなかった。


 今も、わかっていないのかもしれない。


 だが、ひとつだけわかることは——


 目の前に立つこの女性ひとを、討たねばならないということだ。


「——はぁッ!」


 鋭く、それでいて苛烈な金属音。オシロの〈まこと〉の上段からの一撃に、ミハクは刀で受けた。〈からくり〉は互いに片腕を失った状態だ——当然、動きは限られてくるし、受け流すといった芸当もやりづらくなる。


 もし、〈からくり〉が万全だったら——そう思う余裕さえ、今のオシロにはなかった。


 ミハクの袈裟けさ斬り——操縦席を狙ったものだ——を真上へと弾き、がら空きになった正面目がけて、蹴りを繰り出す。ミハクがとっさに身をそらしたことで操縦席への直撃は免れたが、よろよろと後退している。


 ミハクの額から、ひと筋の黒髪が垂れる。自らを落ち着けるかのように、深い呼吸を繰り返していた。


「強くなりましたね、オシロ……」

「わたし一人では、ここまで戦えるとは思いませんでした」

「そう、ですか……」


 オシロは〈真〉の刀から、固まりかけている血と油とを払った。雑兵ぞうひょうから手に入れたものだから、刀身に亀裂が走っている。この刀を失えば、形勢は一気に不利に傾く。


 今、オシロはアラグイやシマダたちへ続く道に立ちはだかるように位置取り、立ち回っていた。ここでミハクを取り逃せば、シマダたちは不意を食らうことになる。それだけは、なんとしてでも避けたかった。


 刀の切っ先をミハクに向ける。純白の装甲とミハクの白面が月明かりに照らされていて、不覚にも美しいと思ってしまった。


 だからこそ——悲しかった。


 あの、優しい姉様が。


 強さも、優しさも、気高さをも、教えてくれた肉親が。


「——参るッ!」


 雑念を振り払い、〈真〉は地を蹴ると同時に刀を振りかぶった。単純な袈裟斬りで、かわされることは承知の上だった。かすっただけの刀が地面に沈もうとする瞬間、〈真〉はミハクを追うように刀の軌道を変えた。ミハクはそれを受け止めたが、吹き飛ばされるようにして後退した。


 ぴき、と刀身に嫌な音が響く。


(あと一撃が限界……!)


 そう思った刹那——眼前にミハクの姿はなかった。代わりに、地面に刀が刺さっているのみ。彼女の意図を読み取った時には、二つの戦輪が空中から襲いかかるところだった。


「くッ!」


 とっさに刀で受ける。一撃目はなんとか軌道を逸らしたが、続く二撃目で〈真〉の刀は完全に砕けた。その勢いは途切れず、〈真〉の頭部までも切断される。後方で武士のまげを連想した兜が、ごろんごろんと地面に転がった。


 刀を失った。


 片腕はない。


 周りにも、武器になるものはない。


(万事休すとは、正にこのことか……ッ!)


 たっ、とミハクが着地する。地面から刀を引き抜き、乱れた髪をさっと直した。


「よく頑張りました、オシロ」

「……!」

「なかなかの気迫でした。もう少し彼らと行動を共にする時間があれば、より厄介なものになっていたでしょう。ここであなたを殺すことは容易いのですが……やはり、惜しいですね」

「もう一度わたしに、仲間になれとでも言うつもりですか?」


 ミハクはゆっくりと、もったいぶるように首を振った。


「ここまで刀を振るい合った以上、もはや道が交錯することはあり得ないでしょう。だからこそ惜しい。殺すのが——惜しいのです」


 ぞっとする声音だった。


 同時に、オシロの中ですとんと、何かが落ちたような感覚がした。ミハクは——姉は自分のことを、ただの戦力としてしか見ていない。使えるか、使えないか、その価値観しかない。過去の情もしがらみも捨て去った、アラグイに付き添う修羅。


「最後の情けです。甘んじて受けなさい。——オシロ」


 名を呼ばれた時、とっさにオシロは後ろに跳んだ。自らが弾いた戦輪を手に、その場で〈真〉を回転させる。


「こけおどしをッ!」

「はぁあッ!」


〈真〉による回転を伴い、戦輪がミハク向けて放たれた。当然、ミハクはそれを弾いて——彼女が気づいた時には、オシロは既に懐に潜り込んでいた。突き出した手刀はそのままミハクもろとも、操縦席を貫いた。


「——がはッ!!」


 ミハクの返り血を浴びる。殺すとは、こういうことなのか——そんな場違いにも思えることを、オシロは実感していた。肩で息をしながらも、オシロは吐血した姉の姿をどこか呆然とした目つきで見上げていた。


「っ……っつ、オシ、ロ……」

「…………」

「強く、なり、ましたね……本当、に……」


 オシロは応えなかった。姉が目を閉じる間際まで、ただ見据えていた。


 返り血が熱く、そして冷たい。雨に濡れていた時よりも。


 侍として生きることがどういうことか——


 オシロは歯を食いしばり、操縦桿から放した両の手を握り締めた。


「……姉様」


 口にした言葉は、風の吹く音にかき消された。

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