第61話「ワカ、出陣」

 立て続けの銃声。


 ワカはとっさに〈地走〉の六枚の盾を前方に回し、鳥が翼を広げるが如く、扇状に展開した。しかし、敵影は見えない。背後のギサクの家に銃弾や砲弾が飛ぶことなどあってはならないため、見えなくとも警戒を緩めたりはしなかった。


「どうやら、向こうで銃兵じゅうへいが控えていたようだな」


 隣、〈おぼろ〉の刀の柄に手を添えているキュウが、確信を込めて言う。


「銃兵って、〈からくり〉の?」

「そうだ。並みの人間が持てるものではなく、〈からくり〉や〈城〉などを攻め落とすための銃だ。しかし、連射はできない。それが立て続けに響いているとなれば——」

「銃兵は一機や二機じゃない、ってことだね」


 ワカは〈地走〉の盾を広げたまま、うつむき、考え込んだ。


「どうした」

「あ、ううん。どうして〈虚狼団ころうだん〉は最初から、銃兵を使わなかったのかなって」

「……確かに。私たちはこれといった飛び道具を有していない。〈人弾ひとだま〉のことがあったとはいえ、銃兵を使えば損耗を抑えられるはずだ。そうしなかったということは、何かしらの理由があったということだろう」

「……キュウ様。〈からくり〉は二十から三十機って言ってたよね?」

「そうだ」

「補充したとは考えられない?」

「その可能性はある。だが、今はあれこれ考えてもわかろうはずもない」


 それもそうか、とワカはつぶやいた。


 ワカが正面を向いた時——キュウは彼の横顔をちらりと見た。彼らしくもない、張りつめた顔つき。自分が絶対に守るのだという鋼鉄の意志が、〈地走〉の外観と合わさってありありと見える。


 気負いは禁物だ——そう言おうとした時、またしても銃声が聞こえた。


 それに混じって、わずかに苦悶の声が聞こえた。その瞬間、ワカがはっと目を見開いた。


「タイラ様の声だ……」


 言われれば、確かにタイラの声に聞こえなくもない。〈地走〉が前に出て、とっさに「待て」と制止をかけた。


「お前は行くな。ここは私が行く」

「でも……」

「お前が抜けたら、誰がお前の後ろにいる者を守る?」

「…………」


 背後から、土を踏む音が聞こえた。振り向けばイヅが不安と恐れと焦燥とがない交ぜになった面を上げている。今にも泣きそうで、壊れそうで、普段から気丈に振る舞っている彼女の本当の姿が垣間見えた。


「イヅ」


 ワカは盾を元の位置に戻し、〈地走〉の体の向きを変えた。イヅは〈地走〉越しに外をせわしなく目を動かし——「誰か、撃たれたの?」


「……たぶん、タイラ様だと思う」

「タイラ様が……!?」


 口を手で押さえ、震え出す。あの人懐っこい、ふくよかな笑みを絶やさず浮かべていたタイラ。それでいて村の守りを盤石に固めた功労者。彼女が撃たれたとあっては、誰もが心中穏やかではいられないだろう。


 またしても銃声。今度は近い。村に入り込んだということも考えられる。


 もはや、守り通すのも限界か——


 内心でつぶやいた時、「キュウ様」とワカが呼びかけた。


「お願いがあるんだけど……まず、ごめんなさい」

「なぜ謝る」

「ぼく、行かなくちゃいけない気がする。だからキュウ様にはここを守ってほしいんだ。〈地走〉なら、銃弾は防げると思うから」

「タイラを助けに行くつもりか」

「うん」

「…………」


 キュウはここで——彼女にしては珍しく——判断に揺らいだ。確かに今の〈地走〉ならば銃弾も、あるいは砲弾も防げるかもしれない。軽装を極めた〈おぼろ〉では、銃弾を叩き落せても、他の侍を庇い切ることはできない。


 他の侍を庇う——


 それは同時にこの場を捨て、ワカの後ろの者たちを守ることを放棄するということだ。


「駄目だ」と思わず口をついて出た。


「私が行くと言った。お前はここにいろ。身内を危険にさらしてもいいのか」

「良くないよ。だから、お願いしたいんだ」

「何を?」

「キュウ様が、ここにいるみんなを守ってほしいんだ。キュウ様はぼくより強いから、〈虚狼団ころうだん〉が来ても退けられるでしょう?」

「…………」


 キュウはさっとイヅの顔色を窺った。ワカの言葉に愕然としているらしく、目には困惑と恐怖がありありと浮かんでいる。何を言ってるの、行かないで——その目がありありと語っていた。


「なぜ、行く」とキュウは問うた。


「みんなを守るためだから」

「村の者のみならず、私たちもか」

「うん」


 キュウはため息をつきたくなった。ワカの声には芯が通っている。迷いが微塵も感じられない。


 ここまで頑固だったとは——


「……わかった。ここは私が守る」

「え、キュウ様!?」


 イヅが次の句を告げる前に、「だが」と鋭く言った。


「深追いはするな。自分の命を一番に考えろ。でなければ……」

「でなければ?」

「……いや、なんでもない。とにかく死ぬな。それが条件だ」

「うん」

「ワカ! キュウ様も、何を言ってるの!?」


 ほとんど悲鳴に近いイヅの叫びに、キュウは押し黙った。この少女には酷なことを言っていると、自分でもわかっていた。身内が——それも、愛しい人が——戦場いくさばに進んで向かおうとしているのだ。武家の生まれでもないただの村人が、〈からくり〉に乗って戦うなど。


 イヅは〈地走〉の手前に回り込み、ばっと両手を広げた。眼下に立つイヅを見て、ワカは困ったように眉を寄せた。


「絶対、行かせない」

「イヅ……」

「いくらキュウ様がいいって言っても、あたしは許さないから」

「でも、タイラ様やみんなが危ない」

「あの人たちは侍なのよ!? 死ぬことも覚悟してここに来たの! でも、あんたはそうじゃないでしょ!?」

「…………」

「お願い。行かないで。お願いだから……」


 ひゅう、と風が吹き——イヅの顔半分を占める火傷が、一瞬だけあらわになる。


 ワカは〈地走〉の盾を後方に回し、膝をつかせた。イヅの背より少し高い位置にある操縦席から、「イヅ」とまっすぐに彼女の目を見据える。


「侍である前に、ぼくたちは人だよ」

「…………」

「村を守ったって、ぼくたちが用意できるのはせいぜいご飯と〈星石〉だけ。でも、それでもあの人たちは来てくれたんだ。そして今も、ぼくたちと村を守るために戦っている。死ぬかもしれないのに」

「…………」

「イヅ。タイラ様が危ないかもしれないんだ。お願いだから、そこをどいて」


 なおも、イヅはその場から動こうとしなかった。そこに「イヅや」と家屋から声がかかり——村人に抱えてもらっている、ハツが戸口に立っていた。


「ワカを行かせておやり」

「おばあ……」

「この子があそこまで言っているんだ。ワカは目の前の命を見捨てる薄情者でも、戦うべき時に戦わない軟弱者でもないことぐらい、あんただってわかっているはずだろう?」


 イヅは両手を力なく下ろし、「でも、でも、だって……!」


 拳を握り込み、肩を震わせるイヅを前に——ワカは〈地走〉を立ち上がらせた。足の向きを変え、回り込むようにしてイヅの横を通り過ぎる。三歩ほど歩いたところで——「イヅ」


「ごめんね」


 そして、〈地走〉は歩き出した。ある程度離れたところで足裏の車輪を回し、あっという間に遠ざかっていく。


「馬鹿!!」


 堪えきれず、イヅが叫ぶ。


「馬鹿、馬鹿、ワカの馬鹿ぁ!!」


 その叫びはワカに届いていたのだろうか。


 そう考え——くだらない、意味のない思考だとキュウは一蹴した。

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