第51話「小噺」

「眠れんのか、タイラ」


 間借りしている家屋の手前――タイラは地面に腰を落ち着けておむすびを頬張っていた。空には暗雲が立ち込めており、いつ雨が降ってもおかしくない。時おり虚空を見上げては、おにぎりに視線を戻し、また見上げる——そのようなことを何度か繰り返している内に、ゴロウが声をかけてきたのだ。


 タイラは苦笑気味に微笑み返す。


いくさは初めてではないのですがね。……なぜでしょう、この胸騒ぎは」

「守るべきものがあるからではないかな」

「守るべきもの、ですか……」


 タイラは両手でおむすびを掴み、大口を開けてがぶりついた。「うん、美味いですね」と頬を膨らましている。そして、傍らに置いてあった二個目も手に取る。むしゃむしゃと食事を続ける中――ゴロウは特に言葉を挟まなかった。


 三個目にも手を伸ばそうとしたが、途中で止めた。おむすびを竹の葉で丁重に包み、懐に入れる。それから天を見上げ――ぽつり、ぽつりと雨粒が降ってきた。


「戦でわたしのいた村が焼かれた時にも、こんな天気でした」

「ふぅむ」

「しゅうしゅうと煙が立ちましてね。人が焼ける匂いもしましたよ。たまたま薪売りに出かけていた私は、その光景を前にただ立ち尽くしていました。その時に、まだ居残っていた〈野盗やどり〉がいたんです。私の後ろにね」

「それで、お主はどうしたのだ?」

「相手はこちらが人だと思って、完全に舐め切っていました。村を焼いたことへの高揚感もあったのでしょうね。気づいた時には私は飛びかかり、斧で〈野盗り〉の首を叩き斬っていました」

「それから、どうした」

「〈野盗り〉を引きずり降ろして、私がその〈からくり〉に乗りました。敵はどこにいるか、探そうとしたんです。残らず殺してやろうって。たまたま〈からくり〉が持っていた斧を手に、村のあちこちを駆け回りましたよ。ですが、もう、どこにもいなかった」


 笑みを浮かべつつ、首をやんわりと横に振る。


「帰るべき場所を失った私は、当てもなくさまよいました。腕を買われて用心棒まがいのこともしましたし、報酬目当てで〈城〉に仕えたこともありました。ですが、村を焼かれたという喪失感は埋まらなかった。得意の薪を割っても、まるで心が晴れないのです」


 ゴロウは腕を組み、家屋にもたれかかった。いつものようなおどけた雰囲気ではなく、神妙な顔つきだった。彼女の様子に気づいたのか、タイラは首を向け、「すみません」と言った。


「面白くもない話でしたね。戦の前だというのに」

「いいや。興味深い話であった。しかし、困ったのぅ」

「何がですか?」

「お主は自分のことを話してくれた。ならばそれがしも相応の話をしてやらんといかんなと思ったのだが、本当に大したことがなくてな」

「ご謙遜けんそんを。あの四本腕の〈からくり〉を扱えるだけでも、十分話の種になりますよ」

「ふふ、そう言ってくれるか」


 ゴロウは家屋から体を離し、顔にかかってくる雨粒を手で払いのけた。


「某は元々、〈城〉に仕える身だったのよ。祖父の代からずっとな」

「ということは、幼い頃から剣術などを?」

「うむ。だが、某の性には合わなくてな。滅茶苦茶な化粧をしたり、馬鹿なことをやって人を笑わせたり、賭け事をするのが好きだった。皆が笑ってくれるなら、それだけやっていてもよかったのよ。……だが、父上がそれを許さなかった」

「〈城〉に仕えている身としては、頭が痛いことでしょうね」

「うん。化粧といったたぐいのことは禁止されてな。剣術に体術、果ては〈からくり〉の操縦の仕方まで叩き込まれた。嫌で嫌でしょうがなかったが、誰にも扱えなかったという〈巫山戯ふざく〉を操ってみせた時の父上の顔ときたら、愉快痛快そのものだったのう」


 ふっ、とゴロウが一旦息を吐く。


「父上は戦で死んだ。悲しいとは感じなかったの。むしろこれで自由になれたのだと、本気でそう思った。〈巫山戯〉をかっぱらって逃げ出してな、後は気ままに旅をしていた。だが、時おり何をすればいいかわからなくなってな。家に帰ろうにも、否応なしに父上と向き合うことになろう。その時になって、某には行くべき場所も、帰るべき場所も、何もなかったのだと思い知らされたのよ。……父上は、私の行くべき場所を示してくれていたのだと、ようやく気づいたのだ」


 ゴロウはゆるゆると首を振り、「まったく、つまらぬ話よ」


「いえ。あなたという御人おひとのことが、ようやくわかりました」


 タイラはそこで一旦言葉を切り——意を決したようにゴロウに首を向けた。


「この戦が終わりましたら、どうしますか? また旅に出ますか?」

「それもいいな。だが、〈虚狼団ころうだん〉以外にもこの村を狙う者は他にもいるだろうよ。それがわかっていてまた旅に出るというのは、どうにも据わりが悪くてのぅ」

「例え、〈城〉に目をつけられたとしてもですか?」

「そうなった時には……そうだな、真っ先に逃げるとするかの」


 かんらかんらと声を上げるが——ゴロウの目は笑っていなかった。

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