とある愛情深い女の話


 冷たい石畳の上で転んだとき、私は終わるんだなぁって思った。

 誰も見向きもしない。差し伸べる手なんてものはない。

 でもそこに、救いがあった。


 その人は私を見下ろしてしばらく見ていると、そっと腰を落として手を出した。

 冷えた体に、その人の手はとても温かった。


 傷の痛みも忘れて、私はその熱に縋る。

 そしたらその人、何か面白い事を思いついた顔をして、急に私を担ぎ上げて運び出した。


 もう私には抵抗する力も残っていない。

 世界樹の御許へ召されるまで、ただ流れに身を任せるしか道はなかった。


 そう、もう終わるのだから。

 最後に温かさをくれたこの人の、やりたいようにしてもらおう。


 それで終わりを迎えるのなら、悪くない気がしていた。



      ※      ※      ※



 なにこれ! なにこれ!

 熱い! 痛い! 熱い! 気持ちいい!!

 お湯! お水じゃない! お湯!!


 熱いけど気持ちいいのはお湯っていうらしい。

 温かいお水なんて知らなかった! あの人の温かさとは違う温かさだ!



 なにこれ! なにこれ!

 ふわふわ! もちもち! ふわふわでもちもち!

 太ったシカのお尻みたい! 美味しい!


 パンっていうの?

 美味しい! 美味しい!

 毎日食べていいの!?


 じゃあもっと食べる!!


 世界樹の御許に行くのは後でいい!

 私はまだ、もっと生きたい!


 お湯に入って、パンを食べて、あの人の温かさをもっと感じたい!!


 あの人は私に恩を返して欲しいって言ってた。

 任せて、受けた恩は何倍にしても返すから!



      ※      ※      ※



 あの人と過ごして、ほんの少しだけ時間がたった。

 あの人は、私が大きくならない事でしょんぼりしていたようだった。


 彼の望みを叶えるためには、私が大きくないといけないらしい。

 だけど私は、どうやったら大きくなれるのか知らない。


 精霊に問いかけても、自然のままにとしか返事は帰ってこなかった。


 あの人はここから出ていくらしい。

 いやだ、置いていかないでって泣いたら、頭を叩かれた。

 そして、ずっと一緒にいてくれるって言ってくれた。


 すくすく育って恩を返してくれ、だって。

 自分を磨け、だって。


 任せて、あなたが望むとおりの存在に、きっとなってみせるから!



      ※      ※      ※



 それから私は、あの人の望む自分になるために一生懸命頑張った。

 体を大きくするためにご飯をたくさん食べて、たくさん遊んで、たくさん眠った。

 あの人と一緒のご飯は美味しくて、いくらでも食べられた。

 あの人と一緒に出掛けたり、一緒に他の人を追う鬼ごっこしたりするのはとっても楽しかった。

 あの人のぬくもりを感じながら眠るのが、大好きだった。


 学校に行けと言われて、6年離れ離れになるって言われた。

 また泣くかって言われたけど、泣くわけがありません。


 6年なんて、瞬きみたいな時間だもの。

 そのくらいで離れ離れだなんて、この人の方が寂しがり屋です。


 あの人が喜ぶから、言葉遣いもこれからは変えます。

 丁寧で優しい言葉遣いは、たくさんの人を魅了して、便利だそうです。


 あの人の役に立っているって感じられて、私はこのしゃべり方が大好きになりました。


 見ていてください。

 すぐにあなたが喜ぶ存在に、なってみせましょう!



      ※      ※      ※



 学校から帰ったら、もっと一緒に過ごせるようになりました。

 たった6年間で、私を見る人の目は変わっていました。

 優秀な魔法使い様。偉大な賢者様。

 そんな言葉をみんなが私に言ってくれます。


 ですが、私の力はすべて、あの人のためのものです。

 あの人が望むから、優秀になったのです。

 あの人が望むから、あらゆる魔導を修めたのです。


 あの人のためならなんだって出来ます。

 掃除、洗濯、料理にベッドメイク。家事百般、武芸千般なんでもござれです。


 あの人は最近腕が鈍ったと言っていたので、それを支えるのが私の役目です。

 仕事中もいつも私の事を気にかけてくれて、いつだって優しくしてくれます。


 恩は溜まっていくばかりです。

 何一つとして返せていません。


 あの人の望む自分に、私はまだなれていないのです。

 もっと、もっと大きくなりたい。



      ※      ※      ※



 やっと!

 やっとやっとやっと!!

 やっと、大きくなりました!!


 あの人が、私の事を可愛いじゃなくて、綺麗だって言ってくれました!!

 私は賢いので知っています。

 人間は、恋人に愛を囁く美辞麗句として、綺麗という言葉を使うのだそうです。


 大きくなった今の私なら、あの人の望みを叶えることができます。

 知識を得た今なら、あの人が何を望んでいたのかがわかります。


 あの人が望むままに。

 あの人の求めるままに。


 私はこの四肢を、五臓六腑を、魂さえも捧げます。


 どうぞ、今こそお望みください。

 私のすべてはあなたの物。あなたへご恩を返すのはまさに今です。


 どうして。

 どうして私を望んでくれないのですか?


 老い、とはなんですか?



      ※      ※      ※



 どうしよう。

 あの人を繋ぎとめている命の精霊が力を失っていく。


 あの人が眠って起きるまで、私はずっと見守り続けて夢の精霊を操っている。

 ほんの少しでもあの人に負担があってはいけない。


 もうベッドで寝たきりだ。

 外を出歩くことも出来ない。


 この頃のあの人は、私を見ても悲しそうな顔をしてばかり。

 惜しい、惜しいって言われるばかりで、でもその言葉が優しくて。


 私はどうするべきなのか、さっぱりわかりません。


 雪が降るのが憎らしい。

 あの人の命を寒さで奪わないで。


 私が強く抱きしめて熱を与えても、その分だけ老いさばらえたあの人の体を傷つけるだけ。

 火の精霊を躍らせて、部屋を暖かくするくらいしか今の私には出来ない。


 あぁ、どうしよう。

 あの人を繋ぎとめている命の精霊が力を失っていく。


 気がつけば私は小さいころと同じように泣きじゃくり、あの人の手を取っていた。


 賢い私は知っている。

 この先あなたがどうなるのかを知っている。


 私にはもう見えている。

 あなたの隣で静かに鎌を振り上げる、にっくき死を司る精霊リーパーの姿が。


 あぁ、どうしよう。

 どうしたら?


 どうしたらあなたを失わないで済むの?


 …………あ。


 賢い私は、閃いた。

 あなたを繋ぎとめる命の精霊が散った後、役目を終えたリーパーが去ろうとしたその時に。


 私は漆黒の闇を纏う死神のローブを掴み、引き寄せた。



      ※      ※      ※



 あの人と出会った路地裏に立つ。

 そこには今まさに命の火が消えようとしている少年が横たわっていた。


 私はそれを見下ろして。

 私はそれを見届けた。


 鎌が振るわれ、静かに息を引き取った少年に。

 私は手に持った小さな光をねじ込んだ。


 あぁ、あの人が目を覚ます。

 またあの幸せな日々の続きを再開できる。


 寝ぼけ眼で私を見上げるあの人に、私はとびきりの笑顔を向けた。


 これでもう、大丈夫。

 あなたに受けたご恩は、私の生涯をもってお返しします。


 ハイエルフの寿命は千年を越えますが、問題ありません。

 あなたが何度命を落とそうとも、構いません。


 あなたの歩みを、幸せを。

 私が何度でも、何度でも、何度でも、繋いでみせますから。


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とある愚かな男の話 夏目八尋 @natsumeya

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