事故を呼ぶ街路樹 3

 本日三度目の、銀杏並木の一本道だ。

事故を起こした車を運ぶためのレッカー車が到着したところだった。

「思いっきり正面衝突しちまったみたいだな」

 佐々木の言う通り、レッカー車に乗せられていく黒のワゴン車は、前面が大きく潰れていた。

「乗っていた人って」

「運転手だけらしいが、軽傷だとさ。一応病院で検査受けるけどな」

「そうですか」

 松田はほっとした。

 夜の九時を過ぎた銀杏並木の一本道を走る車はまばらだった。向かいの道路の歩道を歩いている男性が、事故車がレッカーされていく様子をじっと見つめていた。

「よかったねえ。大きな事故じゃなさそうで」

 突然割り込んできた声にびくっとして振り返ると、いつの間にか若狭が後ろに立っていた。

「お前、いつからいたんだ」

「さっき来たとこ。だって俺のこと呼んだでしょ?」

「ああ、うん……留守電入れといたけど」

「留守電?」

 一応彼の自宅の留守番電話にもメッセージを残しておいたが、そっちは聞いていないらしい。

 警察署で呟いた伝言が無事彼に伝わった、ということだ。

「夜遅くにご苦労様です、若狭さん」

「……どうも」

 笑顔で挨拶をした佐々木に、若狭は目も合わせずただ小さく呟いた。

 別人かと思ってしまうほどのそっけなさだ。だが佐々木に言わせれば、一言でも返してくれるだけましだという。

「じゃあ俺、先に戻ってるわ」

「え、もうですか」

「交通課に今回の事故の詳細聞いとく。あとで連絡するから」

 佐々木がひらひらと手を振ってさっさと立ち去ったのは、自分がいると若狭が嫌がって仕事が進まなくなると考えてのことだった。

「ほんとにあの木にばっかりぶつかってるんだね」

 案の定、佐々木がいなくなると若狭はすぐにいつもどおりに話し始めた。

「そうなんだよ。不思議だろ?」

「今回の事故のこと、何かわかってる?」

「運転手が軽傷だったってことくらいかな」

「その前の事故は?」

 若狭がさらにたずねた。

「昨日の午後八時頃で、運転手は四十代の会社員の男性だ。同乗者はなしで、仕事帰りに事故を起こしたらしい」

「その前は?」

「昨日の午後四時頃に、高校生が自転車でこの木にぶつかってる。その前が一昨日の昼頃で三十代の主婦で、そのさらに前が三十代の会社員の男性だ。この人は出勤途中だったらしい」

「人も時間もバラバラだね」

「だろ?」

 共通点は一つ。

 全てがこの木との接触事故ということだけだ。

「偶然ってことも、あるのか?」

「ないでしょ」

 あっさりと若狭が言ったということは、やはりただの偶然ではなさそうだ。

「ま、安心しなって。それを解決するのが俺の仕事だからさ」

「解決できそうなのか?」

「今のところ全然だね」

 じゃあ安心できないじゃないか、と喉の先まで出かかったところで、松田の携帯電話が鳴った。

「はい、松田です。わかりました、ありがとうございます」

 相手は警部補の嶋智弘(しまともひろ)だった。

 用件だけで電話を終えて、松田は若狭のほうを向いた。

「事故調査書、お前に見せてもいいって許可下りたけど。明日見に来るか?」

「今から行くよ」

「今? もう九時過ぎてるけど」

「うん。そのほうが人いないでしょ」

 できる限り人に会いたくない彼にとっては、夜遅い時間帯のほうが都合がいいようだった。


          ※ ※ ※


 若狭の狙いどおり、警察署の刑事一課にはもう誰も残っていなかった。

 松田は自分のデスクに座り、若狭は勝手に隣のデスクのイスを借りた。

 若狭が事故調査書のファイルを見ている間、暇をもてあました松田も横からファイルをのぞき込んだ。

 彼は一通り目を通すと、何も言わないままで再び最初から見直し始めた。

「何か引っかかるのか?」

「全然」

 期待してたずねたが、若狭の返事はそっけないものだった。

「あんたから聞いてたとおり、とくに共通点があるわけでもないし。引っかかるところもないね」

「だよな」

「それよりそこってあんたの席?」

「そうだけど」

「ここは?」

 若狭が自分の座っている場所を指さした。

「佐々木さんの席だよ」

「佐々木?」

「さっき俺以外にもう一人いただろ。あの人だよ」

「あー」

 わかっているのかいないのか、よくわからない相槌が返ってきた。

「会ったことあるんじゃないのか」

「さあ」

「向こうは一緒に仕事したことあるって言ってけど」

「じゃああるんじゃない?」

「ていうかさっきの佐々木さんに対する態度、人見知りすぎるだろ」

「別に普通だよ」

「俺といるときと違いすぎるし」

「あんたといるときが素。他は普通」

「素?」

 松田は思わず聞き返してしまった。

「何なに? 作ってるんじゃないかって?」

「いや、めちゃくちゃな性格してるなって」

 言ってしまってからはっとした。

 これではただの悪口だ。

 しかし若狭は、あははとおかしそうに笑った。

「いいね、あんたのそういうとこ」

「そういうこと?」

「バカ正直なとこ」

 松田は目を丸くした。

「初めて言われた」

「みんな言わないだけでしょ」

 そうなのだろうか、と悩んだのが顔に出ていたのか、たとえばさ、と若狭がさらに話し始めた。

「俺に用事があるときの呼び出し方とか、俺が携帯持ってないこととかあっさり信じてるし」

「持ってるのか、携帯」

「持ってないけど」

「なんだよ」

 携帯電話を持っているなら今後の連絡が楽になる、と期待してしまった。

「俺に用があるときはその辺で呼んでくれれば来る、なんておかしいと思わなかった?」

 たずねられて、松田は少し悩んだ。

「そりゃ意味がわからないとは思ったけど、実際ちゃんと来るし」

「けど信じないんだよ。誰も」

「来るんだから信じるだろ」

「そうじゃなくて、最初から信じないんだよ。そんなバカらしいこと、そもそも誰もやらないってこと」

「やらなきゃ本当かどうかわからないのに?」

「そういうとこがバカ正直ってこと」

「ほめられてる感じがしないな」

「ほめてないからでしょ」

 どう答えていいのかわからず片眉だけをひそめた松田に、若狭が笑う。

「けど俺はあんたのそういうとこ気に入ってるよ。はじめて会ったときからずっとね」

 はじめて会ったときから。 

 若狭の口からその言葉が出た流れで、松田は彼にたずねた。

「そういやはじめて会ったとき、俺に言ったよな。いいやつだねって」

 彼がきょとんとした顔をする。

「言ったっけ。そんなこと」

「言ったよ」

 はじめて会ったときのことは、はっきりと覚えている。

 半年ほど前のことだ。

 不可思議な事件が起きた。黄昏市役所妖関連係の若狭祐一に、協力してもらわないと解決しないだろう事件だった。

 だが刑事一課の人たちは、若狭の扱いに困っていた。

そこでまだ一課に配属されたばかりで若狭と関わったことのなかった松田が、若狭と協力しなければならないこの事件を担当させられることとなった。

 若狭は市役所の職員だったが、職場には勤務しなくてもいいと認められた立場であることは他の刑事から聞いて知っていた。

しかも携帯電話を持っていないため、連絡を取るのが困難だという。

探すなら彼の職場である市役所か、彼の自宅か。

 まずは警察署から近い距離にある市役所へ探しにいった松田だったが、やはり出勤していなかった。

 あとは彼の自宅しかない。

 そこにいなかったら、帰ってくるまで彼の家の前で待機するしかない。同じ一課の佐々木は、三時間も待ったことがあるという。

 三時間は嫌だな、と気が重くなりながら、松田は車で彼の自宅へ向かった。街中を離れ、住宅地を抜けて山のほうへ向かい、田畑に囲まれたのどかな場所に彼の自宅はあった。

 昔ながらの木造一軒家で、平屋だが横に広く大きな庭があった。

 松田が門から少し離れた場所に車を止めたのは、門の前で座り込んでいる若狭の姿があったからだ。

 彼は目の前の何かとじゃれ合っているかのように笑っていたが、彼が指を伸ばすその先には何もなかった。

 ひとまず、松田は車を降りた。

 だがどう声をかけようか迷っていると、ふと顔を上げた若狭と目が合った。

「やあ。あんたいいやつだね」

「……は?」

 彼とは初めましてのはずだった。

 それなのに松田の何を見てそう思ったのか。

「で、用件は?」

「ああ、えっと……」

 促されて、松田は協力してほしい事件の詳細を話し始めた。

 そして結局、「いいやつだね」という彼の発言の意図はわからないままになってしまい、現在に至っている。

「俺、お前に何かしたっけ」

「何かしたってわけじゃないけど」

 あらためてたずねた松田に、若狭は当時を思い出すようにうーんとうなった。

「俺の家に来る前に、市役所行ったでしょ」

「行ったよ。ほとんど出勤しないって聞いてたけど一応な」

「そこの職員に、あの人は来ませんよ、とか言われてなかった?」

「言われた」

「その職員に、俺が出勤してこないことへの愚痴とか聞かされてさ」

「あー、そうだったそうだった」

 言われて松田も思い出した。

 最初に話したその職員が、今でも市役所へ行くとよく対応してくれる生活課の女性職員の瀬戸だった。

「その愚痴にあんたが言い返してくれた」

「俺が?」

 そうだっただろうか。

 瀬戸の愚痴を聞きながら会話をしたのは確かだが、何を話したのかまではあまり記憶にない。

「出勤しなくていいって条件で働いてるんだからそりゃ来ないだろ、みたいな感じでさ」

「あー」

 言われてみれば言った気がする。

 だがそんな言い方はしていない。

 出勤しなくていい仕事なんだから来ないのが普通ですよね、みたいな感じだったはずだ。

「言い返したわけじゃないよ。普通に話してただけで」

「でもあんただけだよ。そんな風に言ってくれたのは」

 そんなことないだろ、と言いかけて、松田はその言葉を飲み込んだ。

 たしかにみんな誤解しているふしがある。

 彼が市役所へ出勤していないのを、遊びまわっているからだと決めつけているようだと松田は常々感じている。

 そうじゃないと、松田は信じている。万が一、本当に遊びまわっていることがあったとしても別にいいと思っている。

 黄昏市役所妖関連係などというものが残っているこの町で、妖に関連したトラブルはほとんど耳にしない。もし不可思議な事件が起これば、こうしてともに対応してくれる。

 それだけで十分じゃないだろうか。

「だからあんたには喜んで協力する。それだけ」

 照れくさいような嬉しいような気持ちになった松田は、ふと思った。

「でも若狭さん、あのとき市役所にいなかったのに、なんで瀬戸さんとの会話を知ってるんだ?」

 にやりと若狭が笑った。

「何度も言ってるでしょ。俺には情報をくれるたくさんの友人たちがいるって」

 その友人というのが、松田の目には映らない妖という存在たちのことを指しているのはわかった。

 だがいつどこで会話が筒抜けているかわからない状況を思うと、なんだか複雑な心境になる。

「大丈夫。あんたのことずっと監視するようなストーカーみたいなことはしてないよ。あの時は、市役所に俺を探しにきた人がいるって教えてくれた子に詳細を聞いただけ」

 今度は心を読まれた気がしてぎくっとした。

 きっと顔色で心の中がばれてしまったのだろう。

 松田はすぐに言いたいことが顔に出る、と刑事一課の同僚にもよく言われている。

「じゃあその子に感謝しないとな。おかげでこうやってお前と仕事できてるわけだし」

 若狭は少し驚いた顔をして、それからふっと笑った。

「そういうとこだよ。あんたが他と違うとこ」

 言いながら彼は再び手元のファイルに視線を落とした。

 松田は時計を見た。

 もう夜の十時になる。

 事故調査書からわかりそうなことはもうなさそうだし、今日はここまでにしたほうがよさそうだ。

「ねえ、この人」

 若狭が見せてきた書類は、例の銀杏の木にぶつかっている十数件の事故とは別の事故の資料だった。

「関係ない資料まで見てたのか」

「銀杏の木にぶつかってる人たちに気になるとこがなさそうなら、他のとこ見るしかないでしょ」

「まあそうだけど」

「それにこれ、あの銀杏並木のとこで起きた事故だし」

「そうなんだけどね」

 銀杏並木の道路で起こった車同士の接触事故だ。

 加害者は神田洋平。三十八歳の会社員だ。

 事故を起こした時刻は午前七時二十分頃。会社へ向かっていた彼は、道路に飛び出してきた猫を避けようとしてハンドルを切り、隣車線を走ってきた車と接触してしまった。

 だがこの事故が起こったのは一か月半ほど前だ。

 例の銀杏の木にぶつかる事故が連続して起こるようになったのは六日前からなので、同じ関連の事故というには期間が空きすぎている。

「この人の事故についての詳しい話、知ってる?」

「いや、そんなに詳しくは」

「じゃあ聞きに行こうよ」

 今すぐに、と言わんばかりの勢いだ。

 なにかピンとくるものが彼の中にあったのかもしれない。

「今日はもう遅いから、連絡取るなら明日だぞ」

「まだ十時だよ。別にいいでしょ」

「駄目。明日な」

「急がないと明日もまた事故が起こるかもよ?」

 言われて、松田は悩んだ。

 彼の言っていることはもっともだが、やはり今の時間から電話をかけるのはためらわれる。

「明日の朝一で連絡を取る。日にち決まったら家に電話するから出ろよ」

「えー。いいじゃん、その辺で言ってくれればさ。ちゃんと俺に伝わるから」

「何日の何時にどこで集合、なんて独り言言うの嫌なんだよ」

「別によくない?」

「よくない。勘弁してくれ」

 もし誰かに聞かれたら、変な人だと思われてしまいそうだ。

「わかった。じゃあ連絡取れても取れなくても、朝九時半に一度電話する。もし出なかったら留守電入れとくから」

「そこまで言われちゃしょうがないな。今回だけね」

「……なんのための電話だよ」

 ついそんな言葉が漏れてしまったが、本当は知っている。

 大好きな祖父がずっと使っていた固定電話だから、彼はずっと外せずにいるのだと。


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