事故を呼ぶ街路樹 2

 道路に立ち並ぶ銀杏の木のうちの一本の前に立って、若狭はふうんと呟いた。

「みんなこの木にだけぶつかるんだ」

「そうなんだ。なんかわかったりするか?」

「どうかな」

 若狭は木の幹に優しく触れると、黄色がかった葉がぽつぽつと混じる木を見上げた。

 それからゆっくりと見下ろしていく。

 空には夕焼けの色が滲み始めて、二車線の道路には車の通りが増え始めている。

 今、車やバイクがこの木にぶつかってきたら巻き込まれかねないと、松田は道路を走る車の様子に注意を向ける。

「他の木も見てみようかな」

 そう言うと、若狭は事故が頻発する銀杏の木の前後に生えている木も、同じように幹に触れながら眺めた。そして辺りを見回してから戻ってくると、再び問題のある木に触れてから松田を振り返ってくる。

「たしかにこの木にはなんか引き寄せられる感じがするかも」

「引き寄せられる?」

「上手く言えないけど、この木だけ気になるっていうか、近づきたくなるっていうか」

 やはりわかる人にはわかる何かが、この銀杏の木にはあるらしい。

「この木にぶつかって事故ってる人たちには共通点ないんだっけ」

「ないらしい。俺もこのあと確認してみるけど」

「じゃあ今日のところは解散だね」

 まだここに来て五分と経っていないのにあっさりと言う若狭を、松田がじろりと見た。

「解散でいいけど、この件はまだ終わりじゃないからな」

「そりゃそうだ」

「お前にも資料を見せられるように許可取るから、取れたら署に来いよ」

「警察署かあ」

「持ち出せないんだよ。連絡は自宅の電話にするから」

「家電か、出れるかな」

「出なかったら留守電入れとく」

「留守電ねえ。気づくかな」

「気づけよ。唯一の連絡手段なんだから」

「おーい若狭さん、ってその辺で呼んでくれれば行くよ」

「エスパーかよ」

 あははと若狭は軽く笑うが、笑っている場合ではない。

 彼と仕事をするときに一番問題なのが、この連絡手段の少なさだ。携帯電話を持たない彼との唯一の連絡手段が自宅の電話なのだが、一度も出たためしがない。留守番電話に伝言を録音しても、聞いているのかわからない。折り返し連絡をくれと伝言を残しても、連絡がきたこともない。

 だが彼はたしかに現れるのだ。松田が彼に来てほしいと思っているときに、必ず。

 そこらでちょろちょろしているという小さな妖たちに、その情報を聞いて。


         ※ ※ ※


 警察署に戻ってから一時間ほど、松田は事故調査書のファイルと向き合っていた。

 イスが後ろに傾くほど大きく伸びをして窓を見ると、外はすっかり暗くなっている。

「よ。お疲れさん」

 後ろから肩を叩かれて、松田が振り返った。

「なんかわかったか?」

「今のところ何も。佐々木さんもこのファイル、見たんですよね」

「もちろん見たとも」

「なにか気づいたこと、あります?」

「あったらお前に言ってる」

「ですよね」

 思わず深いため息が出る。

 松田もすでに三回ほど事故調査書を見返しているが、気になるところは見つからない。

「若狭さんは何か言ってたか?」

「他の木と比べると気になる、みたいなことは言ってましたけど、それ以上はなにも」

「ていうかお前、ほんとすげえよな」

「なにがですか」

「あの若狭佑介をすっかり手なづけて」

「手なづけるって」

 何とも言えない言い回しに、松田が苦笑する。

「誰もあの人とは上手くいかなかったのに、お前とはすでに四か月も組んでるんだ。よくやってるよ」

 佐々木は感心したように頷いているが、松田はとくに何かをした覚えがない。

 笑わない。目を合わせない。必要なこと以外はしゃべらない。

 松田が初めて若狭を訪ねることになったときに同僚から伝えられた、彼の特徴だ。

 だが実際に会ってみると、よく笑うし、必要なこと以外もよくしゃべる。目を合わせないどころか、真っ直ぐに見つめてくる大きな丸い目は、奥の奥まで見透かされているような心地になることがあった。

 ただ、たしかに松田以外の人に対しては、明らかに関わらないようにしている。

 なぜだろうかと考えても思い当たるふしはない。若狭にたずねても、そりゃあんたがいいやつだからだよ、なんて適当に流されてしまう。

 そういえば、と松田はふと思った。

 初めて会ったとき、彼は松田にお礼を言ったのだ。

 ありがとう、と。

 あの時はやっかいな事件を抱えていたこともあり、意味がわからず呆けてるうちに用件を話すよう促されてうやむやになってしまったが、あれは何のお礼だったのだろうか。

 ピピピ、と着信音が鳴ったのは、佐々木の携帯電話だった。

「はい、佐々木です。お疲れ様です」

 松田は開いていたファイルを閉じた。穴が開くほど何度も見返した資料だが、若狭が目を通したら新しい発見があったりするのだろうか。

 電話を終えた佐々木が、松田を振り返った。

「松田、またあの木のところで事故だそうだ」

「今日もですか」

「ていうかなんで俺のとこに連絡が来るんだ」

「佐々木さんが交通課に頼まれた件だからじゃないですか」

「若狭佑一の手を借りる事件事故はお前が担当だろ」

「勝手に決めないでくださいよ」

 しかし非常に迷惑なことに、佐々木だけでなく、黄昏市役所の者たちはおそらく皆そう思っている。

 元々は交通課が担当だった今回の件は、どうやら普通の事故ではないということで一課の刑事である佐々木のもとに持ち込まれた。

 不可思議な事件は刑事第一課に持ち込まれる。

 黄昏市警察署では、それが暗黙のルールになっている。

 最初に黄昏市役所妖関連課に相談した警察官が刑事第一課だったから、という理由らしい。

 そしてその後は、当たり前のように松田が担当することになる。それが現在の黄昏市警察署の暗黙のルールになっていた。

「しかたねえ、行くか。お前も行くだろ」

「行きますよ」

 松田は席を立った。

 先にドアを出て行く佐々木の背中を見送ると、一人になった部屋でぽつりと言った。

「あの木の場所でまた事故があったらしい。暇なら来てくれ」

 もちろん返事はない。

 こんなので本当に伝わるのだろうか。

 毎度のように感じる疑問を抱きながら、松田も部屋をあとにした。

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