黄昏市役所あやかし関連課
佐倉華月
事故を呼ぶ街路樹 1
ほんのり色づき始めた銀杏の木が左右に並ぶ、真っ直ぐな一本道。
そのうちの一本を見上げて腕を組んでいたスーツ姿の男が、振り返って片手を挙げた。
「おう。お疲れ松田」
「佐々木さん、俺、まだ報告書途中だったんですけど」
不満げに顔をしかめた松田大翔(まつだひろと)もまた、スーツを身にまとっている。
彼らはともに黄昏市警察署に勤務する刑事だった。
「嶋警部補に言われたろ。報告書なんかいいから行って来いって」
「ええ、言われましたとも」
わかっていて、佐々木は松田を呼び出した。
黄昏市警察署の人たちは、この町で不可思議な事件が起こるたびに、松田にそれを担当させる。
松田が捜査一課の所属だろうと、他に取りかかっている仕事があろうとおかまいなしだ。
「ここで事故が頻発してるんですか?」
「そうなんだよ。車から自転車から、みんなこの木にぶつかりやがる。ま、大した怪我人は出てないけどな」
「どのくらい事故ってるんです?」
「聞いて驚け。ここ一週間ほど毎日だ」
「毎日?」
「一日に二、三件なんて日もある」
「そりゃ多いですね」
松田は目の前の銀杏の木に触れてみた。
もちろん何も感じない。ただただ木の幹のごつごつとした感触が伝わってくるだけだ。
「だろ? おかげで呪われてるとか噂される始末だ」
「呪われるようなことでもあったんですか? ここ」
「さあな。事故記録見る限りそんな感じもないし、別件で何かあったんだとしても俺たちにはわからんだろ」
「確かに」
「わかるとしたらお前の相棒だけってことだ」
「相棒って」
松田は苦笑した。
とてもじゃないが、あの男とは相棒だなんて呼べるような間柄じゃない。
「そんなわけだ。頼むぞ松田。お前しか頼れねえんだからな」
お前しか無理。
署の人たちはみんな松田にそれを言う。
けどこういう不可思議な事件を解決できるのは松田じゃない。
今回の件も頼るしかなさそうだ。
松田が不可思議な事件ばかりを担当させられる要因となった、あの男に。
※ ※ ※
「今日も来てませんよ」
黄昏市役所にやって来た松田を見るなり、〝瀬戸〟と書かれた名札をつけた生活課の女性職員が言った。
「だろうね」
「わかってても来るんですね」
「一応ね。ここがあいつの職場だし」
「そんなこと忘れるくらい来てないですけどね」
不満をあらわにして、瀬戸が言った。
おそらく彼女だけでなく、この市役所で働く職員たちはみんな、あの男に不満を持っている。
「もし来たら、俺が探してたこと言っといてくれる?」
「わかりました。来ないと思いますけど」
「だろうね」
あの男を探しにここへ来るたび、毎回彼女に伝言を頼んでいるが、一度も伝わったためしがない。
市役所を出るなり息を吐いて、松田を空を見た。
朝からよく晴れていた今日は、十月に入ったというのにスーツ姿では汗ばむほどの陽気だったが、だいぶ日も傾いて気温が下がり始めている。
「とりあえず家に行ってみるか」
あの男の家は、電車の駅や商店街があるこの辺りから離れ、住宅街からも離れた、田畑に囲まれた場所にある。
「行ってもいないよ」
背後からの声に、松田がぎくっとして振り返ると、市役所の壁にもたれかかって立っているあの男、若狭(わかさ)の姿があった。
「お前っ、だからいきなり出てくるなって」
「いい加減慣れなよ、刑事さん」
へらへら笑うその顔もふざけているが、金に近い茶髪に緑のメッシュが入ったその髪も、市役所の職員には全く見えない。
若狭祐一(わかさゆういち)は、黄昏市役所で唯一のあやかし関連課の職員だ。
その昔、ここ黄昏市は妖と共存するだった。
そして彼の家は、人と妖との間をとりなす仲裁人のお役目を代々負っている。
この地域を治める者から請け負っていたそのお役目は、時代を経て黄昏市長から請け負うお役目となり、市の職員として雇われる形となって妖関連課というものがつくられた。
昔はこの町に住む誰もが、妖なるものをその目に映していたという。
だが今は、仲裁人の役目を継いだ彼以外の誰もが、その目に妖を見ることができない。
内勤は必要ないという条件で働いているものの、遊びまわっているとか、給料泥棒だとか陰口を叩かれるのはそのせいだ。
目には見えない存在を、誰もが信じるわけではない。
「お前が携帯を持ってくれれば解決するんだけどね」
「やだね。メールきたり電話きたりめんどいだけだし」
「それが携帯の主な機能だろ。職場の人たちもお前と連絡とれなくて困ってるんじゃないのか」
「職場?」
「ここだろここ。お前の職場」
松田は若狭の背後にある市役所の建物を指差した。
「出勤しなくていいって契約だし」
「それでも職場には変わりないだろ」
「まあね。けど俺と連絡取りたい人なんかいないって。あんたが呼んでるときはこいつらに教えてもらうし」
若狭が自分の足元に視線を向けた。
松田も同じところに目を向けてみるが、何も見えない。
「不便だろ。直接連絡とれないと」
「そういうもんか」
ふうんと呟く若狭は完全に他人事だ。
だが協調性の皆無なこの男が、松田とだけは素直に仕事をしてくれるだけでも十分ましだと考えるべきなのだろう。
「で? 今度は何が起こってるって?」
まるで小学生のように無邪気にたずねてくる若狭だが、二十七歳の松田より二つも年上だ。
正直、見た目も性格も年下としか思えない。
「車で話すよ」
時間はあるか、とは聞かなかった。
聞かなくてもどうせ暇に決まっているのだから。
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