第2話・聖女? 誰だそれ?
「やめてよ。ねえ。お願い。止めてっ」
「ほら。聖女が嫌がっている。マーカサイト、その手を離せ」
まあ、嫌がってはおりますけれども、あんたたちといる事がそれ以上に恥かしいんだよ。
(神さま。これは何かの罰ゲームですか?)
志織はげんなりした。自分が何をしたというのだろう? 少なくとも他人を害してこのような恥かしめを受けるような覚えはないのですが。
(これは夢?)
そうだ。夢に違いない。イケメン男がなぜか自分に執着してる。そんなの現実にはあり得ない。でも夢なら楽しんじゃってもいいんじゃない?
七年も付き合った彼氏と別れてからは、一人寂しい週末を過ごしていた志織だ。この状況を楽しむべきでは。と、思い直した時には、両腕が付け根から引き千切られそうなくらい強い力で引っ張られて痛みを感じた。
(えっ? これ夢じゃない……の?)
「レオナルドこそ、離せ。お前が離したら我も手を離そう」
「やだね。俺が離したら聖女はお前のものになってしまうじゃないか?」
「痛いってばっ。ねえ、止めてってば」
志織がいくら止めて欲しいと願っても、ふたりは止める気配が無い。大の大人ふたりが何をしてるのやら。子供じみた行動に志織は腹が立った。
「ちょっと! や・め・てって言ってるでしょう! いたいんだってば!」
志織が怒鳴ったことにふたりは驚き、ぱっと手を離した。
「はああ。痛かった。何なの? あんた達っ」
志織は腕を擦りつつ、ふたりを睨みつけた。
「これはどういうこと? まずは説明なさいよ。いきなり何なのよ? 何がしたいの? あんた達」
志織が怒りを抑えつつ出した声は、普段話してる声音よりもかなり低いものだった。腰に手を当ててふたりを見やれば嫌でも志織の不機嫌な様子が伝わったらしい。
「ひえええええ。聖女が怒ってる? なんで? 俺なんかした?」
「聖女って儚いおとなしめの女性じゃなかったのか? 我はウサギの様な可愛らしい女性だと思ったのに……」
レオナルドが慌てる。その脇で魔王のマーカサイトは泰然としていたが、彼の指摘に志織の目は三角につり上がった。
(聖女? だれだ。それ?)
こちとら干物女なんじゃ。うさぎ女だなんて目が悪いんかい。憤りを必死に抑えてる志織を前にして、大の男二人は驚愕した面持ちで口を閉ざした。彼女の怒りが顔に現われていたらしい。志織は隠す気もなかった。
なんてったってこれでも三十過ぎの女。職場ではお局扱いで後輩からは鬼ばばあ認定されている。花も恥じらう年頃なんてとうに過ぎてるし。こいつらガキかよ。
くすくす。と、笑いが起きてその声の方に顔を向けた志織は、その声の主が先ほど彼らが突きとばした少年だと知る。志織は銀髪の少年の前に跪いて少年の目線の高さで話しかけた。
「ごめんなさいね。痛かったでしょう? 怪我はない?」
「お姉さん。ぼくのこと心配してくれるの?」
少年は驚いたように目を見張っていた。その表情が可愛らしく感じられて志織は彼の頭を撫でる。
「当然よ。きみはまだこんなに小さいのに」
「ぼく、お姉さんが思うより小さくないんだけどな」
大人ぶる少年に志織はくすりと笑みを漏らした。
(いたいた。こんな子)
志織は元の世界で幼稚園の先生をしていた。受け持ちは年中さんクラスが多かった。ちょうどこの少年と年頃はかぶる。つい、職業柄かこの少年に対して先生の目で見てしまった。
「へぇ。しっかりしてるのね。でも素直に甘えていいのよ。良いから甘えてなさい。まだまだきみは子供なんだから。嫌でも大人になる時期は来るのよ」
志織は五歳くらいの少年を抱きしめた。少年は気恥かしそうにしながらされるがままになっている。
「ぼくも甘えていいんだ?」
「そうよ。身近な大人にいくらでも甘えちゃいなさい」
そう言いながら志織は、この少年がしっかりした受け答えをすることに気が付いた。この子はひょっとしたら普段から周りの大人に気を遣って、お家では素直に甘えられる環境にないのかも。と、思った。
志織にしがみ付いて来る少年に対して、愛おしい様な母性本能が揺さぶられた。少年の銀糸のようなさらさらした髪を撫でれば、くすぐったそうに紫色の瞳を細めて首をすくめる。
この子が甘えられる大人が側にいないのなら自分がその代わりになろう。そう志織は決意した。
「わたしで良かったら、いくらでも甘えさせてあげる」
「お姉さん、面白いこと言うね。甘えるか……。そんなこと考えもしなかったよ。ぼく」
少年は志織の腕の中で顔をあげた。その顔に一瞬、影のようなものが射し、少年が老成した人物に思えて来てドキリとした。
「ぼくは常に見守る側にいたから、当事者の気持ちは考えてみた事もなかった。きみはそんな風に考えるんだね。今までの子は与えられた通りの道を疑うことなく進んでくれたからね。なんだか興味深いな」
「……?」
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