聖剣と災禍

 そうして魔法使いと少女はこの国から出ることを決めた。


 聖剣が描いたものは紛れもないこの国の人々の幸せ。


 望んだものを、たくさんの犠牲払ってでも手に入れる、そういう機構。


 知らなければ、多少の苦難の後、多くの人が創られた物語の中で幸せになっていく。


 それ自体に間違いはないのだろう。


 事実として、この国に争いはなく。


 事実として、この国は恵まれて。


 事実として、この国は穏やかだ。


 ある種の犠牲の名のもとに。


 それに異論はないけれど。


 甘んじてその生活の中に戻るには、彼女たちには失ったものが大きすぎた。


 最初は、魔法使いは少女はどこかの親戚に預けようとしたけれど。


 少女は頑として、魔法使いから―――お母さんから離れようとはしなかった。


 魔法使いは最初は困ったようにしていたけれど、やがて自分といた方が安全かと納得すると二人で旅にでることにした。


 丁度、次代の担い手の叙勲式が迫っていたそんな頃のことだった。


 二人は丁度国境に差し掛かろうとしていた。


 



 ※





 「どこにいかれるのですか?」





 丁度、国境を越える関所の中で、私とニイナに見知らぬ男が声をかけてきた。


 若く、精悍で、穏やかな顔をした男だった。背中にとても大きな風呂敷を抱えている。


 最初は少し訝しんだけど、ああ、と思わず声を漏らす。


 部署が離れていたのでよく知らないが、確か国政に携わる同僚だ。それなりの地位に立っていたと想う。


 「旅に出るんですよ」


 特に偽らず、そう答えた。


 ニイナが傍らで私の手を不安そうにぎゅっと握った。


 「なるほど、ではその前に一つ『式』を行ってもよろしいでしょうか」


 「『式』……?」


 男はそういうと、そっと私達についてくるように促した。


 無視してもよかったけど、特にことを荒立てる理由もなかったので私たちはその後についていった。暗殺されるなら、もっと目立たないところでやるだろう。


 私は安心させるようにニイナの身体をぎゅっと抱き寄せる。


 「あなたの『聖剣』と『災禍』に対する推論はとても素晴らしかった」


 人並みから外れたあたりで、男はそう言葉を零した。


 やはり、というか、案の上というか、私が気づき始めたことを、国は知っていたみたいだ。


 まあ、もともと気づいてしまった担い手の友人だったのだ、疑われてもまあ致しかたない。


 「師匠せんせいは無事ですか?」


 真実を言うかはわからないけど、一応、聞いておく。


 「つつがなく。こちらがあなたがたに危害を加えるつもりがないことを喋ったら、渋々ではありますが、話していただけました」


 真実……だろうか。親友が闇討ちされたことを考えると、最悪死んでしまっているかもしれない……。


 「疑われていますか? なんなら使い魔を飛ばしていただいても構いませんよ? 先代の担い手も、ご家族も無事です」


 男はそう言って、爽やかに笑う。まるで害意も敵意もないように。


 この国の人間は……そう、そうなのだ。


 穏やかで、恵まれて、争わない。


 「先ほどの話の続きですが、あなたの推論はおおよそ正しい。ただ、一つだけ答えが出ていない問いがあったの覚えていますか?」


 「……『どうしてニイナがあんなに強かった』のか?」


 「はい、彼女は歴代の聖剣の担い手の中でも紛れもなく最強です。過去、『天を覆う闇』を二日以下で討伐した記録はありません。しかも、彼女が討伐にかかった時間、たったの十数秒。なぜそれほどまでに、彼女は圧倒的に強かったのか?」


 階段を上って、関所の屋上までてきて、男はそっと私たちを振り向いた。


 扉を開けて、辿り着いたのは辺りを見回せる高台だ。


 国境の街を行きかうたくさんの人が良く見えて、何人かがこちらを見上げていた。


 「お察しの通り、『聖剣』は人々の期待を集める願望器です。かつて、救世主がこの世の全ての罪を背負った十字架を切り出して創られました。その性質から、人々の無意識の願いを集めて叶える特性があります。例えば―――」


 「『大きな敵がいればいいのに』」


 「『それを打倒す勇者が居ればいいのに』」


 「『そうして国全体が豊かであればいいのに』……あとは、『正直扱いに困る弱い人たちが哀れにも死んでしまえばいいのに』……とか?」


 「……お見事。むろん、聖剣の機構は私達にもわからないことばかりですから、必ずしもそうとは限りません。でも、おおよそそういうふうに巡礼の旅という儀式は遂行され続けてきました。国内で少数のテロが流行ったときはテロ組織の人間だけが死んだりすることもあったそうです」


 「…………」


 「そして、そんな願望器はどういった人が上手く扱えるのか」


 「…………」


 「仮説がおありといった顔だ」


 「……『自分の欲望がない人間』」


 「……本当にお見事です。研究院との見解も一致します。他人の期待を叶えるためには自身の欲望が限りなく薄い人間でなくてはならない。表面上では駄目です。本心からそう想っている人間でなくてはならない。……例えば、虐待されて生きる欲望すら薄れてしまった少女のような」


 「……」


 「……あなたの親友はそういう意味では、とても素敵な方でした。あの人は、どこまでも無意識に他人を救うことを己に課していましたから」


 「…………」


 「話の続きに戻りましょう。ニイナさんの存在は、我々にとっても僥倖でした。担い手が既定の道を外れた時、我々も相当焦りましたから。あげく、夜盗は彼女を襲い、聖剣も失われるかと思いました。ただそれをニイナさんが受け継いでくれた。……信じていただけるかはわかりませんが、我々としてもあの夜盗は意図したところではありません」


 「……今更、どっちでもいいわ」


 「……ですね。たくさんの期待を独りに背負わせて戦わせたという事実に何も違いはありません」


 「……」


 「この国はどこまでも聖剣ありきの国です。人々はみな一様の方向を向きすぎている。あまりにも理想的で、あまりにも都合がよすぎる。事実として多くの人が幸せで、多くの人が笑い、慈しみ合い、そして少しばかりの人が哀れにもその犠牲となります。誰かに都合のいい期待を被せて多くの人が笑っています」


 「…………」


 「……本題に入りましょう。ニイナさんこれを……聖剣を握っていただけますか? ……今日は聖剣が次代の担い手を選ぶ日なのです」


 男はそう言って、背中の大きな風呂敷をそっと解いた。


 そこにはいつか親友の背中にあって、かつて少女の背中にあった鉄の十字の延べ板が携えられていた。


 人々の期待を叶える願望器。


 この国を、この国たらしめる機構。


 欲のない誰かに、誰かの欲を被せる物。


 ニイナは少し迷って、私を見た。


 私は黙って頷いた。


 私と男は眼を合わせた。


 「ちなみに、研究院の予想では……次代は……」


 「いい……言わなくて」


 言われなくても想像がつく。


 前例こそないけれど―――今、この国の人たちが望む人物は。


 まだ幼く、未来があり、しかも歴代最強の担い手。


 先代の忘れ形見、遺された名もなき悲劇の少女。


 都合のいい物語の、都合のいい登場人物。


 つまるところ。


 聖剣を握ったニイナの手がぼんやりと光って、やがてその光は眩いばかりに彼女の身体を飲み込んでいく。


 本来は聖剣を握った先代が、光を帯びた次代に聖剣を託す儀式。


 かつて私の親友が光を帯びて、多くの人が熱狂したそんな儀礼。


 しかし、今、光を帯びているのは聖剣を握るニイナ自身。


 人々が望むのは、無垢なる担い手の再来。


 「……第四十五代聖剣の担い手は……再び、ニイナさんとなります」


 男はそう言って、うやうやしく頭を下げた。


 どこか悲しそうな声を響かせながら。


 ニイナは眼を見開いたまま、じっと男と聖剣を交互に眺めていた。


 まだ理解が追いついていないのだろうか。



 聖剣の儀式は、普段であればこれで終わる。



 聖剣は光を収め、次の巡礼の旅が始まるまで国庫の奥深くに封印される。



 ただ、今、聖剣はなおも光を増し続けていた。



 そうして、魔力を、人々の期待を少女の身体に流し込んでいく。



 誰に言われる間もなく、三人は空を見上げた。



 暗雲が立ち込める、気付けば時間など立っていないのに夜になっている。



 空に明滅するが星が、不自然に光り、瞬き、少しずつその姿を強く強く輝かせる。



 瞬く星、その全てが竜だ。



 まるで流星群でも降ってきそうな空から、莫大な魔力の予兆だけがひしひしと伝わってくる。



 「どうやら人々が、あなたの活躍を今一度望んでいるようです。特例の担い手のデモンストレーション……といったところでしょうか。……あれは過去に一度だけ顕現したことのある災禍、『降り注ぐ星の竜』です。初代の担い手が七日七晩戦い続けた、歴史上でも最悪の災禍です」



 男はそう言って、どこか悲しそうな顔をして微笑んだ。



 「どう……されますか?」



 討たなければ、恐らくこの関所のある街ごと滅びるだろう。



 人々の期待でなっている以上、全滅ということはないかもしれないが、担い手が抵抗しなかった例など存在しないから、どうなるのかはわからない。



 「お母さん」



 ニイナはどことなく落ち着いた目で私を見た。




 その眼は一体、どういう意図を持っているのか。




 私にはわからない。




 「私、生きててもいい?」




 わからないままに答えを紡ぐ。




 「いいよ。当たり前だよ、ニイナは特別でもそうじゃなくても生きてていいんだよ」




 それからニイナをぎゅっと抱きしめた。




 「ニイナがどんな道を選んでも、私はずっと隣にいるから」




 そうして、ぎゅっと抱き合った。





 ニイナは少しそうやって、抱き合った後、そっと私から身体を離した。





 聖剣が光を帯びる。




 災禍を前にして魔力が彼女の身体へと奔流の如く流れ込んだ。





 それから。




 それから。





 ニイナは泣いた。






 「知らないよ」






 「みんながのぞんでるとか、知らないよ」






 「そんなことのために、おねえちゃんはしんだの?」






 「もうかえってこないの?」






 「そうやってみんながやってほしいままに、いろんなひとたちがたたかってきたの?」







 「知らないよ」







 「……そんなのしらないよ」







 「しらないよ!!」







 「きたいとかっ!! さいかとか!! 聖剣とかっ!!!」







 「そんなの―――、そんなのしらないよっっ!!!」








 「おねえちゃんをかえしてよっ!!!!! もう! ほっといてよ!!!」









 「こんなのっ!! わたしっっ!!! いらない!!!!」


















 そうして、ニイナは溢れんばかりの魔力を、ただの鉄の延べ板へとありったけを込めた。






 そうして聖剣を―――誰かの期待を、







 真ん中から折れた鉄板は、がらんがらんと、大きな音を立てながら、関所の屋上を滑っていく。






 私と男はその鉄板をどこか、遠い目で眺めていた。





 それはきっと誰かの幸せ。




 それはきっと誰かの希望。



 

 それはきっと誰かの過ち。




 遺ったのは小さな少女のちっぽけな、もう叶わない願い事。




 ニイナの身体から光が消えた。




 見上げた空はいつの間にか夜闇が消えて、いつもの晴れ渡った蒼に戻っていた。




 風が私たちの頬を撫でていく。




 泣きじゃくるニイナの隣にしゃがみ込んで、私は小さな身体をそっと抱きしめた。




 子どもの泣く声がする。




 『聖剣の国』というおとぎ話が終わる音がする。




 誰もが見ていた期待の夢が終わる音を私たちは、ただ聞いていた。

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