少女は語る



 少女は昔、親に売られた。


 ほどほどな家庭なはずだったけど、意図して生まれた子ではなかったらしい。


 望まれないまま生まれた子は、いないものとして扱われた。


 誰も少女を見なかった。


 誰も少女を助けなかった。


 殴られても、蹴られても何もない。


 殺されなかったのは、多分、世間の目が合ったから。


 ただ、今年の冬、村に飢饉が迫った頃。


 丁度村に、人売りがやってきた。


 彼らはそういう時期を狙ってやってくるのだ。


 そうして少女はさも当然のように売り飛ばされた。


 でも少女はなんでか不思議と悲しくなかった。


 多分、少女は知っていたんだ。


 自分はきっと生きていることを誰にだって望まれていなかったんだと。


 辛いことも、痛いことも、苦しいことも、たくさんたくさんあったけど。


 正直、そんなのどうでもよかった。


 誰よりきっと、少女自身が、少女が生きていることなんて望んでいなかったから。


 流されるままに生きていて、流されるままに死んでいく。


 人売りの馬車が盗賊に襲われて、混乱に乗じて命からがら逃げだした。


 そうして、空腹の中、路頭でなにもできずに歩いていたら。


 追いかけてきた盗賊団に見つかった。


 犯されるか。


 殺されるか。


 はたまた一生誰かの奴隷になるのか。


 そんなのもう、なんでもよかった。


 そんなのもう、どうでもよかった。


 だって、誰一人だって、この命がどうなろうと気にしない。


 炉端の隅の燃えくずと同じ。


 どうなろうと、誰一人だって気にしない。


 誰より、何より、少女自身が気にしていない。


 



 そう想っていたのだけど。





 盗賊に刃を突き立てられて、首筋にナイフをあてがわれて。



 少女の身体はどうしようもなく震えていた。


 どうしてだろう。


 心は何一つ動いていなどいないのに。


 こんな価値のない命、失われたってなんにもならないのに。


 そう想っているのに、涙が零れる。


 身体が拒絶と恐怖で震えあがる。


 知らぬ間に少女は走って逃げようとした。


 でも足がもつれて転んだ。


 息が震える。


 足が震える。


 眼が、心臓が、指が。


 何もかが震えて逃げ出したくなってしまう。


 こんな命どうなろうと構わないと、ずっとそう想っていたのに。


 盗賊は何も言わぬまま、転んだ少女の髪の毛を力のままに引っ張った。


 殺される。


 いやだ。


 いやだ。


 いやだ。


 誰か。




 たすけてと。





 そう、願った頃だった。




 辺りを一際大きな閃光が覆った。



 文字通り目も眩むような、そんな閃光の中を風が切るような音がした。



 訳も分からぬまま、眼を閉じて、数瞬後には少女は誰かに抱えられて走っていた。



 少女一人を抱えたまま、獣のような速度でその人影は駆けている。



 光になれた目がようやく開いてその姿を映しだした。



 それは、黒い、少女と同じような癖っ毛を持った、大人の女性だった。



 背中には、まるで鉄の延べ板を十字に切ったようななにかを携えていた。



 ただ、その鉄の延べ板がなんであるかは、まともに学も教えてこられなかった少女でも知っていた。



 それは十年に一度の生きたおとぎ話。



 この国の全てに希望をもたらすもの。



 全てを諦観していた少女でさえ、その物語に胸が躍ったことがあった。



 「お、無事かな? 間に合った、生きててよかったよ」



 そして、―――『聖剣の担い手』はそう少女に笑いかけた。



 ※



 

「そうだなあ、例えば、生きててよかったなって想えることってあった?」


 担い手の問いに、少女は黙って首を振った。


 「そっかあ、痛いことあったんだね」


 少女は黙ってうなずいた。


 「きっと、辛いことがあったんだね」


 少女はもう一度頷いた。


 「そっかあ、そっかあ」


 担い手は何かを噛みしめるように、そう言葉を漏らした。


 「……私はきっとさ、君の苦しみをちゃんとはわかってあげられないんだ。ごめんね」


 担い手はそう言うと彼女と同じ目線の所までそっと視線を落とした。


 「でもまあ、……大丈夫! もう君の命を脅かすやつは誰もいない。君はちゃんと自分人生を生きていて、いいんだよ」


 担い手の言葉に少女はそっと首を傾げた。


 言葉の具体的な意味が解らなかったようでもあり、命が脅かされないという状況をよく理解していないようでもあった。


 


 ※




 時は八つ目の災禍の討伐から三日前に遡る。


 七つ目の災禍の討伐を終え、担い手は聖剣を携え街道を歩いていた。


 担い手が歩く街道は事前に入念な調査が行われ、付近の賊は掃討されている。


 しきたり上、聖剣が選んだ同行者以外は随伴できないが、それでも、主要な中継地点には国選の魔法使いたちが支援や伝達を行えるよう備えていた。


 故に、彼女はその街道をなんの憂いもなく、ただ歩くそれだけでいい。


 災禍以外の何物にも惑わされぬよう、入念な下準備を彼女の親友が整えていたが故だった。




 ―――のだが。




 担い手は七つ目の災禍の次の中継地点で、突然、消息を絶った。


 由縁は定かではない。


 ただの気まぐれか。


 不慮の事故ゆえか。


 あるいは、巡礼の旅を放棄しようとしたのか。


 公的な記録はもちろんない。


 語るのは、そこにいた少女の言葉だけだ。



 「ちょっと嫌になっちゃってさ」



 「いや別にね、巡礼を放棄しようってんじゃないんだよ。ちょっとだけ気持ちが疲れたから休憩っていうか」



 「ただ、誰の期待もないとこで過ごしたかっただけっていうか」



 「本当はさ、転移魔法で友達の所に戻って、めちゃくちゃに愚痴りたかったんだけどね」



 「聖剣って転移魔法を拒絶しちゃうの、だから歩いていかないといけないんだよね面倒でしょー。さすがに置いていくわけにもいかないし」



 「そしたらさ、盗賊に囲われてる君を見つけたわけ」



 「ん? なんで助けたの……って聞かれたら。困るなあ……。偽善かな?」



 「ごめんね、実は君を助けることが理由の一番……じゃあないんだ」



 「ちょっと、自分の生きてる意味がわかんなくなったからさ」


 

 「なので君を助けてみました。ほら、人を助けたら少しは自分にも生きてる意味があるんじゃないかって想えるじゃない?」



 「だから、これはただの偽善で自己満足。君の事情は後回しの私都合の人助け」



 「ごめんね、ごめんついでに。次の街に付いたら、ちょっと友達に掛け合って君の親を探してもらうからさ」


 

 「親いない? ……売られた? …………じゃあ、里親探しだ。戸籍も危ういねえ、まあうちの友達ならなんとかしてくれるよ、大丈夫」



 「え……何? 早く次の街に行かなくていいのかって? いいよ。


 

 「逆に私が近づけば、近づくほど。災禍の被害は大きくなってくの」



 「どうして担い手は馬車も魔道具も使わずに、歩いて旅をするのか。どうして聖剣に転移魔法は効かないのか。どうして災禍は順々に決まった場所に現れるのか。どうして聖剣は災禍を相手する以外にはその全力を振るえないのか」



 「まあ、色々あるんだよ。『こっかきみつ』というやつですね。言いふらしちゃダメだよ、偉い人に殺されちゃうから」



 「というわけで、お嬢さん。ちょっとだけ私のわがままに付き合ってくださいな」



 ※



 それから、少女と担い手は旅をした。


 旅をしたと言ってもわずか一日かそこら。


 人売りに売られた時に既に空腹だった少女は、携帯食を食べても中々回復せず、おおよそ担い手におぶわれて、旅路を進んだ。


 背中に背負った聖剣はそのままだと使えないので、脇のカバンにくくりつけて。


 狭い山道をえっちらおっちら進んでいく。


 その間、うまく言葉の出ない少女に変わって担い手は延々と喋り続けた。


 自分の過去。


 担い手に選ばれた時の気持ち。


 その時の親友の表情。


 先代の担い手との苛烈な修行。


 誰かへの些細な愚痴。


 王都で親友と食べた茶菓子。


 誰かへの確かな感謝。


 魔法学校時代の失敗談。


 親友の性格。


 いいとこ、わるいとこ。


 七つの災禍の倒し方。


 聖剣への愚痴。重い、でかい、かわいくない。


 聖剣からの経験のインストール。なんかたまに変な戦い方をしてる人がいること。


 歴代の担い手たちの性格。


 今を生きる先代の担い手がみな同じようなことを言うこと。


 死霊の質の悪さ。


 獣の面倒くささ。


 魔族の強大さ。


 竜の威容。


 飽きたらまた、親友との想い出。


 たった一日のはずなのに、少女はその話を余すことなく聞いていた。


 まるでおとぎ話を、絵本から出てきた誰かがそのまま語ってくれるような、そんな体験。


 特別な聖剣の担い手の、ありふれた生活の愚痴。


 そうして担い手は話の合間合間に、こう告げる。


 「―――別に誰に望まれなくても生きてていいんだよ。ま、今は私が君に生きてて欲しいんだけどね」


 たった、一日で少女はその定型句を覚えてしまうくらいには、何度も何度も担い手は言葉を紡いでいた。


 言葉の意味は正直上手く飲み込めない。


 望まれなくて生きていいなら、一体何のために生きればいいのか。


 それは『聖剣の担い手』のような『特別』な存在だから言えることではないのだろうか。


 なぜこれほどの人が、少女のことを気にかけて、生きてて欲しいなどと願うのか。


 自分自身のために人を助ける、と言うのは一体どういうことなのか。


 少女はうまく理解できなかった。


 なにせ、担い手はわざわざ少女など救わなくても、既に何千と何万という命を救ってきたはずだ。


 今更、たった一人を救って一体何になると言うのか。


 解らぬまま、少女は担い手の背中に背負われていた。


 そうして夜がくれば焚火をして、またぽつぽつと話をした。


 その頃には少女も少しは自分のことを喋れるようになっていた。


 二人で旅行用の携帯食を食べながら、ぽつぽつと。


 それぞれの話をした。


 少女が語れることはそう多くはなかったけれど。


 冬の納屋の寒さとか。


 耳が凍って落ちそうになったこととか。


 かびたパンの味とか。


 川の綺麗さとか。


 星の瞬きとか。


 そんなこと、ばかりだった。


 それでも担い手は、優しく微笑んでその話を聞いていた。


 きっと、その日、少女初めて自分の話を誰かにしたんだ。


 他の誰でもない自分の話を。


 ただ、相手に自分のことを知って欲しい。


 ただ、それだけの理由のために。


 話せた内容は多くはない。


 疲れと満腹感で、少女は早々に眠ってしまったから。


 眠る頬を優しく撫でられる感覚だけを感じながら。


 生まれて初めての、そんな感覚だけを感じながら。


 穏やかで、静かで。


 きっと今までの彼女にとって生涯唯一の時間を過ごしていた。



 そうして、夜が明けた。


















 少女が知るよしもないことだが。


 この国には担い手を狙う人間がそれなりに存在する。


 理由は数多、聖剣が、その圧倒的な力が欲しいから、他国に売り渡したいから、自己破滅的な欲求に国ごと巻き込んでしまいたいから、災禍で死んだ縁者の逆恨み、個人的な嫉妬・怨恨。


 強大な力は、それゆえ様々な想念をその周囲に産んでしまう。


 それゆえ、本来であれば担い手の旅行きは徹底的に管理され、賊の侵入を防いでいる。


 といっても、これらの大半は杞憂となってきた。


 なにせ、災禍と戦う担い手を見て、その超越ぶりに敵うと想える人間の方が稀なのだ。


 彼女の剣閃は、竜の鱗をも断つ。


 彼女の跳躍は、獣たちをも軽々と飛び越える。


 彼女の身体は、魔の一撃をも通さない。


 彼女の精神は、死霊の幻惑をも介さない。


 誰が敵うと言うのだろう。


 故に、担い手を襲う人間など、過去数十年おいて例がない。


 何百年も昔に、一度あったから慣例として、街道の整備が行われている。


 ただそれだけの話だった。


 話だったのだが。









 









 「おねえさんはわたしが、おきたら、ころ……されて……ました」


 「ナイフさされて、なんども、なんども」


 「へんなマントをかぶった、しらない……ひとに」


 「こわくて、でも、たすけたくて」


 「おねえさんが、おまもりがわりって、ねるときにかしてくれた、けんで」


 「きったんです。そのひとを」


 「からだがかって……うごいて」


 「たすけたけど、でも、もうおねえさんは、たすからなくて。ちが、こぼれて、とまらなくて」


 「さいごに」






 「ごめんね、ってそういって――――しんじゃいました」






 「ごめんなさい」



 「わたしがいたから」



 「ごめんなさい」



 「ごめんなさい」



 「わたしが、けんを、もらっちゃったから」



 「ごめんなさい」




 「ごめんなさい」



 「ごめん―――なさい」




 「わたし、なんかがいきて―――いたから」





 「ごめんなさい」






 













 ※



 とある使い魔の最後の録音記録より。


 「ほら……もう……ごほっ、泣かないで、ね?」


 「いい? ここから、この道真っすぐ行ったら、おっきな道に出……るから。この剣持ってたら……私の……っぅえ、友達が……君を守ってくれる……からさ」


 「だから……うん、泣かないで」


 「狙われたのが私でよかった……ぅえ」


 「でも……ああ……くそ」


 「なーんで、君が……剣に選ばれちゃうかなあ」


 「旅が終わるなら終わるでよかったんだけど……これが『期待』って奴かなあ」


 「あー……。『―――』……聞こえてる? 多分、聞いてるのあんただよね」


 「……ごめんね、……死んじゃうや。私」


 「だから、この癖っ毛の子お願いね……」


 「それから……ごめん」


 「帰れないや、もうあんたのご飯もたべらんない……っぉぅぇ」


 「あー……」


 「まあ、遅かれ早かれではあるんだけどさ……」


 「君は……『期待』なんて背負わなくていいからね……」


 「いざとなれば、思いっきり逃げちゃえばいいから……」


 「だから……うん、そう……この使い魔を連れて、私の友達のとこまで……」


 「ほら、いってらっしゃい。きっとあったかいごはんが待ってるから」


 「これから、君の今までの辛さなんて、全部吹き飛んじゃうくらい幸せな時間がまってるからさ」


 「じゃあね、ばいばい」


 「『―――』」


 「ごめんね」

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