魔法使いは想う
八つ目の災禍の討伐の知らせが来たと同時に、私は転移魔法を使って災禍が現れた街へと飛んだ。
毒息が収まるまで待てと言う、周りの制止も振り切って、自身に限界まで防御魔法を形成して、小山の上に横たわる竜の亡骸へと走った。
竜の身体から漏れ出る瘴気がまだ、この一帯を死の大地のままにしている。
やがて、数日もすれば、毒息も晴れて街は元通りになるだろう。浮浪者の死体を片づければ、何も変わることはなく、街はその姿を取り戻す。
身体の各所が痺れるような感覚がする。
息が浅くなる。
内臓に刺すような鈍痛が響いてくる。
でも、いまはそんなことはどうでもいい。
彼女に、会わなければ。
そして言ってやらないといけないんだ。
定時連絡はちゃんとよこせって。
一体どれだけ心配したと想ってるんだって。
まだまだ災禍は残っているんだから、気を抜いちゃダメなんだって。
それから、それから―――。
無事でよかったって。
そう、言わないと。
言わないと。
そうして。
竜の亡骸を目の前にして、足が止まった。
見上げる竜は途方もないほどの巨躯で、宮廷魔導師が何日がかりでだって討伐できそうにもない。というか、人類にこんなもの倒すなんてできるものか。
下から見上げたら、まるで山そのものを眺めているみたいな、そんな感覚に襲われる。
何百人、何千人という人が解体に訪れて、それでも何日かかるのか、何か月かかるのか。
それほど、その威容は巨大だった。
本来なら、この国の全戦力をもってしても、歯牙にさえかけられない。
それはそういうたぐいのものだった。
故にそれは敵ではなく、災禍と呼ばれていたんだ。
おおよそ三週間前、王都を出立した彼女には当然、こんなものを倒すような神様みたいな力は宿ってない。
宿っていなかった。ただの魔法が好きなありふれた子だった。
それなのに、聖剣を持つことで彼女はこれを成したんだ。
たった独りで、こんなものをいままで八つ。打倒してきたんだ。
一体、どれほどの重責だっただろう。
一体、どれほどの恐怖があったのだろう。
いくら覚悟をしたところで、自分が一つ誤れば容易く国が亡びて、多くの人が命を失う、そんな重圧に耐えるなんて、自分にできるだろうか。
まして、彼女はそう図太い方でもない。
普段は、明るい顔してるくせに、私と二人きりになると、細かいことをよくくよくよと悩んでいた。
友達についカッとなって言ってしまった一言を、師匠に選ばれた先代の担い手が一体どんな人なのかを、課題レポートの些細な書体を、通学路にいた猫にあげる餌のことを。
延々と、考えて、悩んで、一生懸命、答えを出そうともがいていたあの子が。
あんな子が。
こんな重圧を、こんな重責を背負えたろうか。
災禍の討伐の報告を私は今まで、書面の上でしか理解していなかった。
彼女が晒され続けてきた恐怖を、立ち迎い続けてきた威容を、私は今まで何一つ実感できていなかったのだ。
聖剣に選ばれなかった以上、自分にできるのは後方支援だけだと割り切っていた。
事実そうだし、それに間違いがあったとは思わない。
でも、改めて目の前にすると、涙が零れそうになる。
彼女の痛みを、恐怖をここまできて、ようやく実感しかけている。
怖い。
でも、それ以上に。
今はあの子が心配だ。
竜が討伐されたことで、空に立ち込めていた暗雲が少しずつ晴れていく。
頭蓋を失くした竜の首に、うっすらと光る十字が見えた。
『聖剣』だ。
既に災禍を討伐したそれは、元のただの鉄の延べ板に戻っている。
私は少し息をついた。
聖剣があそこにあるということは、彼女は間違いなくあそこにいる。
もう少し。もう少しだ。
痛む身体を引きずって、毒息をあまり吸わないように口元を抑えながら、黒煙の中を歩いていく。
そうだ、今夜は、彼女と一緒に宿に泊まろう。
そうして、街一番の美味しい物を取り寄せよう。
それから、無理しすぎない程度に美味しい酒を飲むんだ。
これまでの旅の話を肴にして。
あの子のことだ、きっと二人になったら泣いてしまうに違いない。
怖かった怖かったって、苦しかった苦しかったって。
そう言って、泣いてしまうに違いない。
それを一杯受け止めて、全部全部受け止めて。
それからちょっと謝ろう。
彼女が向き合っているのものを、ちゃんと理解できていなかったことを。
同じものを、同じ場所に立ってみてあげられなかったことを。
ごめんねって、そう言って、抱きしめよう。
それから、次の街はまでは私も一緒についていこう。
大丈夫、残す災禍はあとたった二つだから。
兵站の再編成もここから使い魔を飛ばしながらできる、各街の受け入れ態勢も整ってるし。
そうして二人で、また王都に帰るんだ。
私達の生まれた場所に、二人揃って、巡礼の旅を終えるんだ。
それから、また二人で。
一緒に――――。
予感があったんだ。
連絡とかそういうのはマメな子だった。
むしろ自分が寂しいからって、よく意味もない伝令を使い魔越しに飛ばすような子だった。
そういえば、使い魔飛ばすのも、魔力使うんだから自重しなさいって、一週間ほど前に叱ったっけ。
そんなあの子が丸三日、音信不通。
補助要員との合流地点にも現れず、誰に告げることもなく災禍を討伐した?
『もしかして』
そんなことない。
『彼女はもう』
そんなことない。
『何かがあった』
そんなことない。
『目を逸らすな』
そんなことない。
『あの子はもう』
そんなこと
――――ないって言って。
黒い癖っ毛が揺れているのが見えた。
私がよく世話していた彼女の髪の毛。
何度、梳かしても、さっぱり真っすぐならない、そんな猫っ毛。
彼女はよく髪がぼさぼさに見えて嫌だって愚痴っていたけど、私はふわふわして柔らかいそんな彼女の髪の毛が好きだった。
息を吞んだ。
生きてる……?
生きてる!
そう想って駆け出して。
それから気づいた。
まるで浮浪者のような格好をしている。
彼女の装備は、逐次支援者から補充されていたはずだ。
そんな恰好、しているはずがない。
そして何よりあまりにも小さすぎる。
彼女はもう二十三になる。
十三で次代の聖剣の担い手に選ばれて、体躯は女性の平均的なそれだった。
なのに、あれではまるで、十を少し越えたくらいの少女のよう。
あれ?
――――あれ?
あれ?
待って。
彼女に近づく。
膝が折れる。
喉が痛い。
毒の痛みじゃない、何かで痛い。
何かが零れる。
聖剣はその役目を終えるまで、何者にも引き継がれることはない。
すがるように、眠りに落ちる少女の顔にそっと触れた。
「あなた………………だれ?」
名も知らぬ少女は私の問いに応えぬまま、静かに寝息を立てていた。
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