少女は戦う

 少女はまる二日歩いた末に、ようやくその街に辿り着いた。


 既に街に災禍はやってきているようで、少女が空を見上げると暗雲が異様な形で立ち込めている。


 おどろおどろしく、明らかに自然には成り立たない黒雲の渦の真下に、その威容は鎮座していた。


 八つ目の災禍は『黒煙を撒く毒の竜』。


 黒色のぎらぎらと輝いた鱗を持って、二対の薄羽を持った、異様の竜が町の近くの小山で陣取っている。ただ鎮座する竜の体躯が大きすぎて、二・三キロはあるはずの小山が、小鳥の止まり木程度にしか見えなくなっている。


 そんな竜の零れ出る吐息は吸えば、たちまちに人は死んでしまう。


 今も街の中には逃げ場がなかったであろう、浮浪者の遺体がざっくばらんに転がっていた。他にも、逃げ遅れた貧しい人や大きなけがを負った人の遺体もあった。


 山から吹き下ろす風がその毒息を乗せて、死の風となって街に吹き荒れているのだ。


 あの竜がその気になって、全力でこの風に乗せて息を吐けば、たちまちにこの街は全滅してしまうだろう。


 今のところ無事で済んでいる家を持つ身分があるものも、そうなればおしまいだ。この街が今、無事でいるのはただの竜のきまぐれにすぎない。


 そうなる前に、あの竜を打ち払わなければならない。


 少女は少しだけ道に転がっている、浮浪者を見て悲しそうな顔をした。


 それから、少女は毒の息を吸わないように気を付けて、そっと背中の聖剣の柄を握った。


 同時に、聖剣から少女の身体にドクンと脈打つように魔力が流れ出す。


 本来は少女の器にはとても納まりきらないような、膨大な魔力が溢れ出す。


 少女はもともと戦士ではない。


 剣を持った戦いなんて、まして竜との戦いなんて経験などあるはずもない。



 それでも少女に迷いはなかった。



 聖剣は担い手の記憶を引き継ぐ。


 今日に至るまで、この聖剣には四十三人の担い手がいた。そのうち、十七人が毒の竜と対峙したことがある。


 聖剣はかつての担い手の、経験を、判断を、剣の捌き方を、魔力の通し方を教えてくれる。


 恐れる理由は一つもない。


 少女は、自身の肩幅ほどはある柄を両手で握って、ぐっと身体を縮こませた。


 ふと、風がほんの数秒だけ凪いだ。


 

 瞬間、少女は飛んだ。



 魔力を解放した足で大地を蹴り飛ばして、砲弾の如く吹き飛んだ。



 毒の風を自身の身体一つでで引き裂きながら。



 数キロの先の竜に向けて一足飛びに、跳躍した。



 少女の本来の身体は、見た目相応の力しか持っていない。



 しかし、聖剣からあふれ出るばかりの魔力が、人智を超えた行いを彼女の小さな身体に強制する。



 同時に危機を察知した竜が大きく咆哮した。



 音圧だけで、家の外壁にひびが入るような嵐の中、構わず少女は突貫する。



 そして、竜は突如飛来したその脅威に大きくブレスを吐いた。



 触れれば致死の毒の息、その雲霞のような奔流。



 一波でも街に到達すれば全滅は免れない。



 ただ少女はそれに動じることもなく、飛来するままに聖剣を横薙ぎに振り払った。



 すると、ただの鉄の延べ板であるはずのそれから、莫大な閃光が迸る。


 

 光と熱、ただその莫大な奔流が、黒煙を飲み込んでいく。



 そうして全力で振り払われた剣閃は、散乱するはずの毒息の全てを一片も残らず焼き尽くした。



 竜は叫喚する。



 ただそれすら無視して、少女は飛来するままに、もう一度、剣を振り払った。




 それだけで、もう決着はついていた。




 閃光が竜の頭と首を切り離した。ちょうど逆鱗に当たる位置から、滑り込むように。



 そうして、少女は竜の身体に砲弾のような勢いで着地すると、その首の穴に聖剣を深々と刺し入れる。



 毒の息が身体から漏れぬよう、聖剣で栓をする。



 そうして、頭蓋を失い傾く竜の胴体に向けて、ちぎれた首からもう一度、閃光を放った。




 爆音と共に竜の首無しの体躯が一瞬輝いて、数瞬の後、轟音と共に崩れ落ちた。



 時間にしておよそ数秒にも満たない攻防。



 その末に八つ目の災禍たる、毒の竜は討伐された。




 少女は、倒れゆく竜の身体から、ぼんやりと眼下の街を眺めていた。




 そして、空が少しずつ晴れ渡っていくことにすら、気付かないまま。





 ふらつく頭をぐらりと揺らした。





 聖剣の加護により、災禍と戦う彼女は毒に強い耐性を持ち多少の衝撃にはびくともしない。竜の渾身の一撃でさえ、数合であれば受け止めることができる。






 ただ、それとは別の話が一つ。





 飲まず食わずの末に二日間夜通し歩いた少女の身体は、とても真っ当に年相応の限界を迎えていた。





 かの聖剣も空腹までは補ってはくれない。






 「おなか…………すいたな」





 滲む意識の中で少女はそんな言葉をぼそっと溢した。そして聖剣を竜に突き立てたまま、ゆっくりとその意識を手放した。




 「あなた………だれ?」




 そして泥のように沈んでいく意識の中でそんな声を聞いていた。

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