第3話 ギャル、回想する

 ローザの中の一番古い記憶は恐らく、彼女が五歳、目の前で父親が殺されたときのものだと思う。それまで持ち堪えていた防衛線を突破され、街に魔物たちが雪崩込んで来たあの日。転びそうになったローザとそれを見て悲鳴を上げた母、その二人を守るように身を呈した父の身体を鋭い爪が引き裂いた。

 どう逃げ切ったのか、気付けば教会にいた。アスウルド聖公国の協会は魔を退ける結界もひときわ強い。逃げ延びた人々が集まって来ていた。

 三人はそこで出会った。リリムは親を亡くした子ども達を集めて祈りの方法を教えていて、マゴットは怪我人たちへパンを配って回っていた。

 はじめは夫を殺され動転していた母も、周囲の状況にやがて落ち着きを取り戻し、怪我をして運ばれてきた子供の治療手伝い始める。あの頃はそんな母親を冷たいと感じたが、今なら解る。そうすることで理性を保とうとしていたのだ。

 その後派遣された部隊が街の魔物たちを追い払い、それぞれの家に戻ることは出来た。けれど当然、父は帰ってこない。

 ローザは剣を持つことを決めた。

 修行をつけてくれたのは、今のバイト先である武器屋の先代主人だ。彼はローザの父の旧友でもあった。かつて名のある冒険者であった師は、優れた武具や鉱物を仕入れるために旅をしていた経験から、魔物を倒すための知識や技術を持っている。厳しい修行ではあったが、ローザは必死で食らいついた。



それから月日が流れローザが十四になった年、再び街を魔物たちが襲った。嵐の日だった。魔術の炎で街の至るとそろが燃えている。城からの派遣隊は悪路に阻まれなかなか到着しない。時間稼ぎの守りにはローザたち少年少女も加わる必要があった。

 リリムとマゴットもそれぞれ僧侶と魔法使い見習い修行をしており、ローザと同様防衛班に加わった。

 リリムは外から教会を守る結界を維持するために祈る。マゴットたちはそんなリリムたちを守るために魔法を使う。その手前で魔物の群れを食い止めるのがローザたちの役割だった。

 身体の小さなものや知能の低いものは若いローザでも仕留めることができた。家からはまだ弱いが速さはお墨付きをもらっている。

 けれどそのとき目の前に現れたのは、ローザの倍ほどの大きさの、獣ともトカゲともつかない、そして竜ほどの神性もない魔物だった。

 ここへ来るまでに何人を殺して来たのだろう、牙や爪に赤黒い血がこびりついている。

(こんなの、敵いっこない)

 そのくらい、ローザには解っていた。怖い。逃げ出したい。それでも、逃げるわけにはいかない。

 ちらりと後ろを見る。力を消耗し青白い頬で祈り続けるリリム。倒れそうな彼女を支えながら、いつ でも魔法発動できるよう神経を張りつめさせているマゴット。教会の中にいる家族たち。それらを守るため、ローザは剣を持つと決めたのだ。

 マゴットの準備している魔法はリリムたちを守るためのものだ。こちらに使わせるわけにはいかない。勝てないにしても、せめて時間を稼ぐなら……胴体に軽くでも傷を負わせ、教会から離れた場所まで自分を追わせる……囮になるほかない。

 覚悟を決めたローザは駆け出し、一気に間合いを詰める。そのまま横っ腹を斬りつけた。浅くてもいい。関心をこちらに抜けられれば……しかし刃はその身を傷つけることはなかった。硬質な表皮は鋼を弾き、剣は元々ひびの入っていた陶器のように折れ、その場に落ちた。

 頭上で生臭い息を吐く口がにたりと笑ったように見えた。

 覚悟したはずなのに。ローザは絶望と恐怖に身を固くする。

「ローザ!」

 マゴットの悲鳴が聞こえる。

 助けて、助けちゃだめ、いやだ、助けて、お父さん……。

 そのとき空から、音のない雷のような閃光が落ちて来た。常ならば目を焼くほどの眩しさも、この光は違う。ローザたちは目を開いて見た。その光とともに魔物の頭上に降り立った人物の姿を。

 厳かな装飾が施され、古代文字で何らかの言葉が刻まれた剣……建国の英雄アズウルドがかつて災いを封じるために振るったとされる宝剣を持った、丸顔でぽっちゃり体型の男性。

 彼は踵で魔物の額をぐっと踏みつけた。思わず上向いて開かれたその大きな口へ、飲み込ませるようにして宝剣を突き立てる。潰れた声で唸った魔物は、苦痛と重たさからよたよたとよろめき、そのまま灰になって霧散した。

 どすんと音をたて地面に降り立った男は、よいしょと呟きながら宝剣を鞘へ納めた。そして思わずへたりんでいたローザへ歩み寄って来る。

 「もう大丈夫、よく頑張ったね」

 まん丸で優しそうな目。そして、物凄く汗だくだった。

「あ……」汗すご。ローザは思わず口に出かかった言葉を寸でのところで飲み込んだ。彼は命の恩人だ。感謝の言葉を伝えなくては。

 ありがとう、と伝えようとしたそのとき、背後から

「汗すごっ」

と声がした。

 リリムだった。

「や、これは雨なんで!」

 男は言った。顔が真っ赤だ。

 空を見上げると、自分たちの真上だけ雲を切り取ったように青い。そういえばいつのまにか雨は止んでいた街の炎も消えている。

 やっぱり汗だと思った。



 自分たちを救ってくれたのが異世界から来た勇者だと知ったのはそれから数日後のことだった。アブウルドの宝剣を手に天より降り立ち、魔物を一撃で倒せたのも納得である。

 更にひと月も経たないうちに魔王を倒し、連れ去られた王女と彼女が産んだ子を保護したという知らせが広まった。

 そして一年後。

 あのときの汗っかきの勇者が王女と結婚、エメルナの父母である現王・王妃は退位し、新たな国王・王妃となることが発表された。

 異世界の男が王となることより、国を救った勇者が王女と結婚するという物語のような展開に人々は熱狂した。失った者への弔を済ませ穏やかな生活を取り戻し始めていた国民たちは、一気に祝賀ムードへ転じて行く。

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