秋
第16話 解かれる思い込み
テーブルに並べられた軽食。それらを手に取りスカラップ侯爵とお父様は親しげに言葉を交わしている。
聞けば二人は若い頃、同じ師に就いて学んだ仲なのだと言う。
「そう言えばお互い子供が出来たら結婚させようと話したものだったな」
「それはお前だけが言っていたんだ。侯爵家と子爵家では釣り合いが取れないと私は何度も辞退していただろう」
気心知れていると言わんばかりの二人の会話にハラハラする。
良いのかな、お父様ったら侯爵様にあんな態度を取って⋯⋯。昔は同志だったのかも知れないけれど今は二人共爵位に就いた侯爵と子爵⋯⋯身分が違う。
いやでも私も侯爵家のあの人に失礼を働いているのだから人の事は言えないか……。
二人共楽しそうだし。うん、気にしないようにしよう。
「あ、の、シュリン。飲み物はハニーレモンだった、よね」
遠慮がちにあの人が差し出したハニーレモン。
あ⋯⋯そう言えば蜂蜜とレモン。
「覚えてくれたんですね⋯⋯あの蜂蜜とレモンはちょっとズレていましたけど」
「ごめん⋯⋯どうしたら会えるか。シュリンの好きなものをプレゼントすれば会ってもらえるだろうかと⋯⋯それしか浮かばなかった」
「っ! ふふっ──」
「笑って⋯⋯くれた」
親子だ。
食べ物で懐柔する所。侯爵様とそっくり親子。そして、私とお父様も食べ物で絆されるそっくり親子。
なんだかそれがおかしくて嬉しくて私は思わず吹き出してしまった。
「さて、シュリン嬢。セリオルと君が拗れてしまっている事。それは我が侯爵家一族が原因だ──すまなかった」
「お、おやめくださいっ侯爵様が私なんかに──」
「そんな風に言うものではない。シュリン嬢はセリオルに騙されていると思いながらも相応しくなろうと努力してくれた。そんな君に失礼をしていたのは我が一族の輩だ。コイツの不甲斐なさもな」
そう言ってあの人を小突いた侯爵様は申し訳なさそうに眉を顰めてため息を吐いた。
──失礼をしていたのは私もだ。
冬のお茶会で聞いてしまった企み。ショックだったけれど私もそれを使って偽りの恋人、偽りの婚約者になったのだ。
だからどんなに優しくされてもそれが偽りだと諦め何をされても平気な振りをしていた──出かけた帰りに歩いて帰る事。それは偽りの関係なのだから「当たり前」だと思い込んだ。
偽りの関係。偽りの婚約者。幸せなのだと演じる。それは一年で終わりにするつもりだったのだと私は自分の気持ちを晒した。
「⋯⋯愛されている。もし、本当にそうなら、私はそれを利用していた。傷付けていた。心を弄んでいた。それを認めるのが、罪悪感を感じるのが怖い⋯⋯のです」
「俺との時間を楽しいと、俺を好きだと言ってくれたのは嘘⋯⋯だった?」
嘘ではない。「顔」が好きなのだと自分に思い込ませていた。
本当に私を好きになってくれたならどんなに幸せだろうかと何度も思った。だから偽りを楽しんでいると自分に言い聞かせていたの。
「嘘じゃないわ。本当に楽しかった、嬉しかった。でも優しくしてくれるのは陥れる為なんだって分かっていた⋯⋯思っていたから」
「⋯⋯信じるよ。俺はシュリンを信じる。シュリンが俺を信じられないのは始まりがアイツらとの会話を聞いたからだ。俺がシュリンに説明をしなかったから⋯⋯けど、説明をしていてもあの会話を聞いていたシュリンは俺を信じないと⋯⋯俺が臆病だったんだ」
そうかも知れない。騙されていると意地になっていた私は説明をされても信じなかったかも知れない。
「人の心を弄ぶ。アイツらはまったく侯爵家の身分を履き違えおって! アイツらは散々他にもやらかして来たのだ。私が処分を判断するのは容易いが、次期当主となるセリオルに家と一族を把握させる為に任せたばかりにシュリン嬢にも他の被害者にも辛い思いをさせてしまった」
「⋯⋯オルモー飲み過ぎだ。まだ昼だぞ。シュリンも、一言あっても良かったよ? まあ、私に相談しなかったのは、皆を落胆させたくなかったからだね」
本当にお父様はなんでもお見通しだったのね。
「心からシュリンが申し訳ないと感じるのならこれからでも誠意を持ってセリオル君と話をしてゆかなければならないよ」
「しかし、これだけあからさまにシュリン嬢一筋の我が息子の気持ちがまったく伝わっていなかったのはシュリン嬢も思い込みが激し──」
「父上! 飲み過ぎてます。シュリンを悪く言わないでください!」
侯爵様の言葉にはっとする。思い込みではないかとエポラル殿下とレモラにも聞かれた事がある。
その頃の私は意固地になっていたのよね。
ああ⋯⋯そうだ。私は愛されていない。あの人が本当に愛しているのは⋯⋯ミディアムだとそう思い込んでしまったのは秋に行われたエポラル殿下とレモラの婚約パーティーで、だ。
「シュリン?」
「私、殿下の婚約パーティーで⋯⋯貴方が愛しているのはミディアム様だと⋯⋯」
「──っ! どうしてそんな事を!」
気色ばんだあの人が声を荒げた。
そうよ、散々言われていたから。ミディアムとあの人はお似合いだと。
それを決定付けられたのよ──あのパーティーで。
・
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エポラル殿下とレモラの婚約はアルバ様の一件から四ヶ月後に発表された。
もう少し時間を置いてからのつもりだったらしいけどレモラの努力が実を結び王妃様直々に指導された王太子妃教育が終了したので、そのタイミングの発表だった。
元々レモラは多くの国民から王太子妃にと支持されていたし、何より王妃様と王妃様のご実家である隣国の王家がレモラの後見人となった事が政略的にも彼女が王太子妃になる事に不満を持つ一部の貴族を黙らせたのだ。
そして、私は二人の友人として、ではなく侯爵家嫡子であるあの人の婚約者として婚約パーティーへ参加する事になったのだ。
その時あの人から贈られたのはあの人の碧色ではなく薄ピンクのドレス。パートナーの証は碧色のターコイズのネックレスとイヤリング。
私からはブラウントパーズのカフスとラペルピンを贈った。
「やっぱりシュリンには柔らかい色が似合うね⋯⋯それに、シュリンからまた贈り物をもらえるなんて⋯⋯大切にする」
「お気に召していただけると嬉しいです」
「気にいるどころじゃないよ! シュリンからのものは何でも⋯⋯嬉しい」
また大袈裟に喜ばれて胸が高鳴った。
あの人の喜ぶ笑顔をもっと見たい。私は今までと違う感情がある事を自覚せずにいられなかった。
けれどそれは、すぐに胸の奥へ押し込む事になったのだけれど。
「こんばんはシュリン様。あら? 今日はピンクのドレスなのね。まあ、どうしましょう。わたくしの方がセリオル様の婚約者みたいだわ。ふふ」
わざわざ探して来たのだろう。殿下とレモラの登場を待つ私の前に現れたミディアムは勝ち誇った笑みを見せ、「わたくしも似合っていますでしょう?」とドレスの裾を揺らす。
彼女が纏っているそれは、碧色のドレスだった。
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