第14話 あの日の真実?
「⋯⋯お座りになりませんか」
そう声をかけたのはいつまでもあの人がじっと見つめて来て居た堪れなくなったから。
小さく頷いたあの人は静かにゆっくりと近付いて来て──突然私を抱きしめた。
瞬間、黄色いフリージアの甘酸っぱい香りとあの人のウッディな香水の香りが押し寄せた。
思わずあの人を押し返したけれど背中に回された腕の力が強まり、私は完全に囚われてしまったのだと思い知ったのだ。
「あの、あの時は、助けていただいて⋯⋯ありがとうございました。家まで⋯⋯運んでいただいた上に、お忙しいのに毎日お見舞いに来ていただいていると⋯⋯ご迷惑をおかけして申し訳、ありません」
「なんで、申し訳ないとか迷惑だとか⋯⋯婚約者なのに⋯⋯どうしていつも、そんなに他人行儀なんだ」
初めて聞く、あの人のこんなにも低い声。
もしかして、怒っているのだろうか。
「誰が来ていたの? 何を、話したの?」
「え⋯⋯、ゆ、友人がお見舞いに⋯⋯」
「誰?」
「そ、れは⋯⋯」
言い淀む私にあの人は泣きそうな表情を見せる。
怒っているのに、悲しんでいる?
「俺は⋯⋯会えなかった。いつも侍女に追い返されて⋯⋯」
「あ、ごめんなさい。メデュは、少し心配性で」
メデュ⋯⋯ちゃんと対応してるって言ってたのに⋯⋯まさかだけれど変な呼び方してないわよね。
「どうしたら、伝わるのだろうか」
あの人が零した言葉。
それは私の耳に届いて脳へと伝わった。
どういう意味だろうと考えているうちに、唇を何かで覆われたような感触があり、驚いて目を見開くとそこにはあの人の顔があった。
驚きすぎて呼吸の仕方を忘れてしまうくらいに衝撃的で、心臓が破裂するんじゃないかという程脈打っていた。
その時間はほんの数秒だったかもしれない。
「ご、ごめんっ! 今日は、顔を見られて、良かった⋯⋯その、明日、また来るから。明日も明後日も」
「あっ、えっ? は、い。えっ?」
そう言ってあの人は慌ただしく帰ったのだ。
茫然とした私を残して。
・
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ああ、なんて事まで思い出してしまったの私は。
青くなったり赤くなったりしている私を心配そうに見るお父様の視線が痛い。
「あの時期、俺はアルバが「薬」を不正使用していると言う疑惑を調べる任務を受けていた。夜会での彼女の悪癖と身分を笠にして揉み消している事も知っていた。だから、もしかしたらあの日の夜会でもアルバはいつもの悪癖を出すのではないかと警戒していたんだ。アルバによってシュリンと離された時、俺は焦ったし、恐怖した。アルバに何かされるのでないかと」
あ、そうだった。あの日の話だったわ。
その、アルバ様はあれから表には出て来なくなった。正確には「出て来れなくなった」。
アルバ様を庇いきれなくなったトロス公爵家は彼女を修道院へと入れたと言う。
「案の定、アルバは「薬」を部屋で使用している事が分かり、シュリンを帰そうと探しても見つからなくてどんどん不安になって──」
「でも、貴方はミディアム様と⋯⋯逢瀬をされていたのではありませんか」
「っ!? ミディと!? そんな事はしていない!」
「私は貴方がミディアム様と庭へ出て行くのを見ました」
「それは俺じゃない⋯⋯くそっ。ウェルダムの奴だ。アイツは俺の振りをする事があるんだ。俺とアイツは、似ているから」
確かに私は後ろ姿しか見ていなかった。
アルバ様が「セリオル様」と言った言葉をそのまま信用してしまったのだ。
「俺はずっとシュリンを探していた。そして気付いた。シュリンと踊った奴らとアルバの姿が見えなくなっていると」
まさかだけれど、踊った人全員覚えていたの? それはそれで⋯⋯凄い。
「だから俺はすぐにアルバの部屋へ走った。そこでアルバの悪癖と「薬」の証拠と共に、君を見つけた。間に合って良かったと心から思った」
「アルバ様の戯れに、関わっては──」
「誓って、関わってはいない」
真剣な眼差しを向けるあの人。その言葉を信用したい。
「何故、お話ししてくださらなかったのですか」
「⋯⋯殿下、から聞いていると思って」
「何故、殿下が出てくるのでしょう」
「シュリンは殿下と親しい。あの日、君が起きられるようになって会っていたのはエポラル殿下とレモラ嬢だった。それを君は⋯⋯話してくれなかった。それに──君は自分を「偽りの婚約者」だと」
「聞いていたのですか」
「だから、シュリンは俺に他人行儀だったんだ」
悔しそうに組んだ両手に力を込めて俯くあの人。
真実ではないか。私を絶望させる為に婚約までしたのではないか。
「⋯⋯真実ではないですか。貴方は私を絶望させる為に婚約したのですから」
「違う!」
「なら、何故彼らの戯れに乗ったのですか。何故あの場で残酷な告白をしたのですか。あんな最低な茶番を嗾ける彼らを何故咎めないのですか!」
スカラップ侯爵家でのお茶会。あの場で下級貴族を貶める悪戯を何故放任しているのか。見て見ぬ振りをしているのか。
彼らの計画を知った私だからこそ偽りでも良いと、だったら私も楽しむのだと。
偽りだと分かっているから絶望なんてせずに終わりに出来るのに。
「⋯⋯俺は父、スカラップ侯爵からアイツらの行動も調べる任務を受けている。従姉弟だから、妹だからと許される事ではないから。一年かけてやっとアイツらの所業の証拠と証言を集められたんだ」
「⋯⋯私を使って?」
「それも違う! アイツらの話に乗ったのは⋯⋯チャンスだと、アイツらの計画を使って⋯⋯シュリンに近付けると⋯⋯」
「私を嘲笑う為に?」
「違う!」
「まあまあ、二人共落ち着きなさい」
堂々巡りになりそうな私達を制したのはお父様。
「ふむ、セリオル君は説明不足過ぎる。シュリンは思い込みが過ぎる。まったく何をしているんだお前達は」
呆れたようにため息を吐いたお父様は苦笑しながら口を開いた。
「シュリン、セリオル君の気持ちは本物だよ。良い機会だここでちゃんと話し合おう」
時間はまだあると笑うお父様。
「思い込み」そう思った事も感じた事も沢山ある。あの人はいつも優しかった。
けれど⋯⋯私より妹達を優先する事も多かった。私を嘲笑う為に。
それが真実ではなくそれこそが彼の「偽り」。
だとしたら──私はあの人を責めながら同じ事をしていたと言うの? 私もあの人を傷付けて⋯⋯居た。
私は茫然とするばかりだった。
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