第13話 揺らぎ【回想】
本当に驚くと悲鳴さえも出ない。
アルバ様は振り上げたナイフをあの人ではなく⋯⋯自身に突き立てた。
「見ちゃダメだシュリン!」
あの人の手が目を覆ったけれど私は、はっきりと見てしまったのだ。
アルバ様の笑顔を。それはとても歪んだもの。頬を染め恍惚に目を細めたアルバ様はそのまま両腕を広げて仰向けに倒れて行った。
「すぐに止血しろっ絶対に死なせるな!」
エポラル殿下の声が響いてすぐに、私はそのまま意識を手放した⋯⋯らしい。
私が気が付いたのは夜会から丸二日経ってからだった。
人や動物は心に強い刺激を受けると、心を守る為に自己防衛が働く事があるとお医者様が言っていた。
それでまたアルバ様の姿を思い出した私は体調不良を起こして更に一週間寝込んでしまった。
漸く出来事を認められるようになった頃、私は親しい人となら会えるようになり、その日お見舞いに来てくれたエポラル殿下とレモラにお願いして庭でお茶をしながら事の顛末を聞いたのだ。
「アルバ様は⋯⋯一命を取り留めたけれど、自分がどこの誰だかを忘れてしまっているそうよ」
「僕との婚約関係は解消された。「薬」の横流しや使用方法の嫌疑がかかった時点で解消に動いてはいたのだけれどこんな結末になってしまったよ」
夜会はあの後、滞りなく終えたそうだ。
結構な騒ぎだったはずだけれど、アルバ様の部屋は王族の婚約者として一番奥の特別な部屋だった事、ホールは常に音楽が演奏されていた事で広まる事は無く、多少は気付いた人がいたみたいだけれど緘口令を敷いて「何事も無かった」としたのね。
「アルバの部屋に居た男達は「何があったのか分からない」と言っていてね、本当にあの日たまたまアルバに目を付けられただけだったみたいだ」
「⋯⋯酷い。彼らは、何か咎めはあるのですか」
「一応、「薬」の常用が無かった事で彼らの言い分に齟齬が無いと証明されて今は普通に生活しているよ。まあ、家の方では簡単に巻き込まれた事をかなり叱られたみたいだけど」
「良かった。ウェルダムは⋯⋯」
ウェルダムも私をダンスに誘ったけれど、アルバ様の部屋には居なかった。
「アルバがこんな状態になって真実を聞き出す事は出来ないけれど、今回の件にはウェルダムは関わっていないとされてる」
「いつもアルバ様は夜会の時、適当な男性達を見繕って楽しんでいたんだって」
アルバ様はいつもの通り夜会で「薬」と「快楽」を楽しむ相手を選んだ。
想像でしか無いけれど、私とあの人の茶番をウェルダムとミディアムに聞いて私を揶揄うつもりで選んだ男性達に相手をさせようとしたのだろう。
ウェルダムはただ私を揶揄っただけなのか別の嫌がらせがあったのか分からないけれど。もしかしたらこんな事になってウェルダムとミディアムの方は計画倒れになったのかな。
どちらにしても褒められた性格では無いわね⋯⋯。
「トロス公爵はアルバの痴態について知っていながら放置し、隠して僕との婚約を続けた。まあ、甘やかしていたんだよ。思う所はあるけれどそれについては婚約が解消されてお終い。僕も異存はない。重要なのは「薬」の流れだ。当然トロス公爵家に監査が入るし、フィレ侯爵家にも⋯⋯スカラップ侯爵家にも入るだろう」
殿下の目的は達成されたのかな。
それ以上のものが出てきてアルバ様の不敬とも言える行動は彼女の心神喪失によって終わりにするしかないと殿下は疲れたような笑いを見せた。
「あの人⋯⋯も関わっているのでしょうか」
「まだ、分からない。正直、僕はセリオルを信じている部分があるんだ。シュリン嬢が見ているセリオルと僕が知っているセリオルとどうも同じには思えなくてね」
「そうね、実は私もなのよ」
二人の言葉を聞いて私は、やっぱりそうなのかなとも思った。
あの人は悪い人ではないのかも知れない。
だって、あの時──。
「──っ!?」
そうよ。あの時、あの人は⋯⋯私に口移しで水を、飲ませてくれたのよ、ね。
「シュリン? 顔が紅いけど⋯⋯長く話しすぎちゃった? もう休んだ方がいいわ」
「え、だ、大丈夫」
そうだった。あの人は助けてくれた。ぼんやりとだけどあんなに必死なあの人を見たのは初めてだった。
「無理しないで? 水分を取った方がいいわ⋯⋯あら? アイスティー⋯⋯」
「う、ん。最近アイスティーも好きになった、の」
「ふぅん⋯⋯ふふっシュリンも少しずつ気持ちに素直になってきたのかな。セリオル様はシュリンが好きだって認めなさいな。だっていつもあんなにシュリンを見て──」
レモラに揶揄われて私は何て答えれば良いのか分からなくなっていた。だから咄嗟に叫んでしまったのだ。
「ち、がうわ。そんな事ない! だって私は偽りの婚約者。捨てられる事が決まっているのよ。これ以上好きになったら⋯⋯私は負けてしまうの。だから、私はあの人といる時は幸せだって思うようにしなければならないの!」
あの人は悪い人。ウェルダムとミディアムそしてパラミータと一緒に私を揶揄い、嘲笑い傷付けようとしている。
演じなければ。あの人に別れを告げる日まで。なのに、胸の奥底から湧き上がるのは苦しさだ。
「レモラ、シュリン嬢はまだ本調子ではないんだ。それに、気持ちと言うものは誰もがすぐに変えられるものでは無いのだと君が言ったんだよ」
「あっ⋯⋯そうだったわね。それに私もあの会話を聞いていたんだもの⋯⋯軽率だったわ。ごめんなさいシュリン」
「私もはしたなく叫んでごめんなさい」
「シュリン嬢、レモラが失礼をしたら遠慮せず指摘してあげて。僕もレモラも悪いところは互いに正し合うと約束をしたんだ──これからレモラと僕は正式に婚約を結ぶ事になったからね」
「本当ですか!? おめでとうございます」
嬉しそうな殿下と苦笑しながらもレモラが幸せそうに笑うのを見て私まで嬉しくなった。
レモラは男爵位の娘、到底王太子の婚約者になれる身分では無かったけれどレモラは殿下の為に努力をしているし、殿下もレモラが見下されないように守っていたのを知っているから。
ただ、アルバ様の事があった為すぐにとは行かず、それでも今年中に二人の婚約が発表されるらしい。
「レモラ頑張っていたものね」
「ラルとの始まりは対抗心からだったけれど、ラルの力になりたいって思うようになったの」
「僕はレモラの努力する姿を見ていたし、気の強さは伏魔殿で生き抜くには重要だからね。あ、ちゃんとレモラを守るよ」
「どうしようもなくなったら離婚すれば良いものね」
「⋯⋯しないよ離婚なんて。婚約する前から離婚の話するなんて⋯⋯レモラが冷たい」
「冗談よ⋯⋯落ち込み過ぎ」
仲が良い二人に自然と笑いが溢れる。
殿下がレモラを大切にしているのが伝わってくるし、レモラはレモラでいつも殿下の事を気にかけている。それはとても素敵な事だと思う。
私もいつか心から誰かを愛する事が出来るのかな。
それがあの人なら⋯⋯良いのに。
私は二人がとても、羨ましかった。
「そろそろ帰らないと。明日からの準備があるの。王妃様がね、後ろ盾がない私を心配してくれて、直々に後ろ盾になってくれるって。それで、王妃様に付いて勉強する事になったの」
「凄い事じゃない! そっか、しばらく会えなくなるわね。でも、レモラなら頑張れるわ!」
「うん。頑張る。シュリンも無理をしないでね。何かあったら知らせる事!」
レモラは自分が駆けつけられなくても殿下を走らせると恐ろしい事を言っていたけれどそんなレモラを愛しげに見つめた殿下は「勿論だ」と笑ったのだからやはり二人はお似合いだ。
仲良く帰る二人を見送って、私は庭に戻り、そのまま一人で庭を眺めた。
考えていたのはあの時のあの人の事。
私を家へ運んでくれたのはあの人で私が寝込んでいた間、「会えなくても良い」と毎日お見舞いに来てくれていると聞いている。
それでも私はあの人を信じたいのに信じられないのだ。
「──シュリン」
突然、声をかけられて私は驚いた。
振り向いた先。そこには、何故か青ざめたあの人が。
少しだけ季節外れのフリージアの花束を抱えて佇んでいた。
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