第12話 罠【回想】
何かがおかしいと分かるのだけれど、何がおかしいのか説明が付かない。そんな何となく落ち着かない居心地の悪さだった。
その感覚はどうやら私の勘違いではなかったようで、少しずつあの人から離れている⋯⋯離されているのだと気が付いた時には私は既に彼らの趣味の悪い企みに嵌められてしまっていた。
それは私を貶める為だけに用意された悪意に満ちたものだったと思う。
曲が変わるのが合図だったのだろう。
私の手を取っていた男性は微笑んだまま手を離しすっとその身を引いた。
「やあ、シュリン様。次は俺と踊ってくれるよね」
そう言って入れ替わったのはウェルダムだった。
「へえ⋯⋯セリオルの為に本当に努力したんだね。なかなかの腕前だ」
「ありがとうございます」
ウェルダムとあの人は従兄弟同士。背格好も顔付きもどことなく似ている。でもその瞳は違う。あの人はこんないやらしい光を宿してはいない。ウェルダムの人を値踏みするようなねっとりとした視線はアルバ様と同じ──まるで獲物を狙う蛇のよう。
「ねえ、セリオルと婚約してどう?」
「どう⋯⋯とは」
「あいつ格好いいだろ? 隣にいるのは気後れするんじゃないかなって」
「⋯⋯ええ。私には勿体無い方です」
「だよなあ。シュリン様はあいつが前に付き合ってた方とは正反対だから俺、驚いたんだよ。聞いてない?」
「⋯⋯お噂は知っておりますが」
白々しい。ニヤリとしたウェルダムの手をすぐにでも離したい。けれど王宮の夜会で失態を晒すわけには行かないのだと私は努めて笑顔を返した。
「セリオルはミディと結婚すると思ったんだけどなあ。ミディはあいつの好みだし」
ウェルダムは私を傷付かせようとしている。
私は不安になったふりをして悲しい表情を作る。彼は満足そうな笑みを浮かべると、わざとらしく私の腰を抱き寄せて来た。
最低で卑劣な人。気持ちが悪い。私は吐き気を我慢するのが精一杯だった。
「はい。俺とのダンスは終わり。おや、次の相手が待ってるぞ」
「あの、もう、私⋯⋯」
連続で踊らされて疲れが出て来ているのにウェルダムは新しい相手を促して私を無理やり踊らせる。
新しい相手から次の相手⋯⋯おかしいと思った時には既に遅く、あの人がどこに居るのか見えなくなり、私はホールの隅の方へと踊りながら連れられていたのだ。
「シュリン様、お疲れ様でした。如何? セリオル様だけではなく色々な方と踊るのは楽しいでしょう?」
五人目の相手から解放されてやっと壁側に逃げる事が出来た私に声をかけたのはアルバ様。
彼女は相変わらずねっとりとした視線で私を見てクスっと笑った。
「シュリン様。少しお話をしません? わたくしの部屋へ参りましょう」
「光栄です。アルバ様とお話をする事をお伝えして来ます」
「ええ、そうですわね。セリオル様は⋯⋯ほら、あちら。あら? グラスが二つ。まあっ! あれはミディだわ」
アルバ様が指す方向にあの人の背中が見えた。あの人はミディアムにグラスを渡すとその腰を抱いて二人、庭の方へと出て行く所だった。
チクリ。胸の奥が痛む。私は偽りの婚約者。分かっている。それなのに⋯⋯嫉妬してしまうのだ。
「ミディとセリオル様。お似合いだと社交界で噂になってましたのよ。けれどセリオル様がご婚約されたのは⋯⋯シュリン様。ふふっ何が有るか分からないものですわ」
鈍く光のは蛇の目だ。アルバ様はすっと目を細めると私の背中を押す。
「セリオル様もミディとお話があるでしょうし、邪魔してはいけませんわ。さあ、参りましょう」
「でも、アルバ様っ」
付いて行っては危険だ。
アルバ様は私とは直接関係はない。けれどあの人達と同じ性質の人。アルバ様の意図していない状況になっているけれど自分の楽しみの為にレモラを嘲笑おうとし、エポラル殿下を使った人だ。
アルバ様が私に声をかけ踊らせたのはあの人達の企みに乗ったと言う事。
そう、あの人達は私に瑕疵を作り婚約破棄しやすくしようとしているのだから。
私を貶めようとしているアルバ様に付いて行ってはならない。
そう思ってもアルバ様の手は力強く私を引っ張る。ここで悲鳴を上げても誰も助けてはくれない。だってアルバ様は公爵家の令嬢、私は子爵家の娘それにあの人の婚約者だ良く思われていない。私の言葉よりアルバ様の方を貴族達は信じ、多くの人が私の失態を望んでいる。それが貴族社会。
声を上げてしまえば失態を。このまま付いて行けば身の危険が。
私はどうする事も出来ないままアルバ様の部屋へ押し込められてしまった。
部屋に入った瞬間に感じた匂いは何かが腐った匂い。あまりにもの腐臭に私は吐き気が込み上げた。
「皆様、可愛らしいお客様をお連れしたわ」
アルバ様の声にソファーで寛いでいた男性達が虚な目で私を見て変な笑顔を見せる。それは私をダンスに誘った人達だった。
「ア、アルバ様⋯⋯この匂いは」
「ふふっ香を焚いているの。甘くて良い香りでしょう?」
甘い⋯⋯? これが甘い匂いだと言うアルバ様の顔が歪む。
「さあ、シュリン様。楽しいお話をしましょう」
頭がクラクラして来た私を男性達が支え、ソファーへと手を引く。ここに居ては駄目だと分かっているのに私の身体は自由が利かなくなっていた。
そうか、次々と踊らせたのは踊った相手に私が浮気心を出し、王家主催の夜会で男性を引き入れた娼婦だと印象付ける為。
私を辱めて傷物にし、あの人が婚約破棄出来るようにするのね。
あの人の戯れを反対に利用しようなんて最初から無理だったのだ。私に勝ち目なんてなかった。私は負けるのだ。
自分で決めた事だったけれど⋯⋯辛い。
こんな酷い事をされるほど、私が一体何をしたのか。
抵抗を諦めた私は男性達の動きと楽しそうに眺めるアルバ様をぼうっとする頭で見続けるしか出来なくなっていた。
「シュリン! 貴様ら動くな! 証拠品は残らず確保だ全員拘束しろ! アルバ、君には嫌疑がかけられている大人しく従え」
あの人の声だと分かるけれど私の喉はぴたりとくっついて声が出せない。
バタバタと人が動く音、あの人の声アルバ様の悲鳴、男性達の呻き声全ての音が頭の中に反響して私は気がおかしくなりそうだった。
「シュリン! しっかりしろっ⋯⋯吸引は少ないはず、ほら、水を飲んで、ちゃんと口を開けて! シュリンっ頼むから飲んでくれ」
押し付けられたグラスの水が唇を潤すのに。飲みたいのに身体が動かない。
その時。あの人は徐ろにグラスの水を口に含み、私に直接流し込んだ。
驚いたのも束の間。あの人は何度も含んでは私に口付け水を飲ませる。
流し込まれる量に飲み込む速さが追いつかず私が咽せるとあの人はほっとしたような今にも泣きそうな表情で「良かった⋯⋯」と呟き抱きしめてくれた。
「どう、し、て」
「ごめん、ごめんシュリンっ。間に合ってよかった⋯⋯本当に、良かった」
ミディアムと逢瀬を楽しんでいたのではないか。私が辱められれば婚約破棄しやすくなるのになぜここに居るのか。
私はぼんやりと思っていた。
「ふふっ。セリオル様。そんなの全く楽しくはありませんわ」
妖艶な笑みのアルバ様があの人の背後に立った。
すっと振り上げたその手に──ナイフ。
「っ! セリオル様!」
それが振り下ろされる瞬間、私は婚約者になって初めてあの人の名前を呼んだ。
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