第9話 婚約披露【回想】
微笑みながらもその内は蔑み。
代わる代わる挨拶に来る人に私は笑顔を作っていた。
「ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「まるで神に寄り添う小花のように可憐な方ね」
──どんなに必死になっても小花は小花──
「努力されるお姿をとても尊敬してましてよ」
──努力してもこの程度なのね──
社交界ではよくある本音を隠した言葉の牽制。
私はそれに笑顔で返す。皆が求める私にならなければ。それが私の役目だから。
私は入れ替わり立ち替わり挨拶に訪れる招待客の顔と名前を反芻する。さっきの人は伯爵家、この人はその系譜の子爵家⋯⋯。
必死に覚える私の耳にふと、声が届いた。
──こんな大々的に婚約を披露した後、破棄するなんてアイツも大概酷い奴だなあ──
──ふふっ、破棄するには理由が必要ではなくて? ねえ? セリオル様が婚約破棄し易くなるようにしてあげましょうよ──
──いい考えね。流石お姉様!──
人の騒めきと音楽に掻き消され、よほど神経を向けていないと気付けない彼らの会話。その声は悪意に満ちていて、まるで針のように私の胸に突き刺さって行く。
私は思わず振り返りそうになる自分を必死に抑えて笑みを作り続けた。
「シュリン、大丈夫かい? 少し休もうか?」
「はい⋯⋯。申し訳ありません、なんだか人に酔ってしまって」
声の主はいつもの彼ら。ミディアム、ウェルダム。そしてパラミータ。カーテンの向こう側での会話はあの人には聞こえない。もしかしたら聞こえていても「聞こえないふり」をしているだけなのかも知れない。
「少し休もうか。飲み物を取ってくるから待っていて」
「いえ、大丈夫、です、自分で──」
「ダメだ。こんなに⋯⋯身体が冷えて⋯⋯温かいものを持ってくる」
不安の色を見せたあの人は私をソファーへと座らせ、給仕に何かを伝えると急いでその場を離れた。
「セリオル様ったらお優しいんだから。ねえシュリン様、そう思いません?」
「本当ですね」
「ふふっ。シュリン様はセリオル様にもっと相応しくなりませんと⋯⋯ほら、口さがない人ってどこにでもいますもの」
「ええ、そうですわね」
私はあの人が離れてすぐに近付いて来たミディアムの言葉を聞きながらそっと目を閉じる。
──彼女達にとって私が扱い易いと演じなければ。
もっと上手く立ち回らないと。私は自分に言い聞かせた。
「セリオル様には大輪の華がお似合いだと思わない? ああ、気を悪くしないで? 小さな花と婚約してくれるセリオル様は素晴らしい人よ。でも⋯⋯本当に綺麗な方だったのにあんなに素敵な⋯⋯あら、ごめんなさい。セリオル様が前にお付き合いされていた方なのだけれど、気になさらないで」
「まあ、そんな方がいらっしゃったのですか」
「ええ、ええ、でもセリオル様がお選びになったのはシュリン様。わたくし驚いてしまったわ。ふふっ」
地味な私はあの人に相応しくない。そう言いたいのだろう。私を傷付けようと言葉の端々に棘を仕込むミディアムはいやらしく目を細めてほくそ笑んでいた。
「そんな素晴らしい方ではなく、私を選んでくれたのですね」
ミディアムの頬がピクリと攣った。
すぐに口角を上げたミディアムは「ふふ」と笑って扇を広げてゆらゆらと揺らしながら鋭い視線を私に向けたのだ。
「ねえ、セリオル様だけ他の方を知っているなんて不公平だと思いません? シュリン様も色々な方を知る機会があってもよろしいですわよね?」
ああ、そういう事。
ミディアム達はあの人には他に良い人が居たのだとわざわざ聞かせて不安にさせるだけではなく、私に不貞を仕掛けようとしている。
婚約してしまった今、私の瑕疵を作り出しそれを破棄の口実にしようとしているのだ。
私はその企みに心の中で溜息をつく。この人達はいつもこうだ。侯爵家という身分に誰もがものを言えないことをいい事に好き勝手な事を言う。
──もう少し上手く隠せばいいのに。
私が何も知らないと思っている。と、過信し過ぎよ。
「これから多くの方とお会いするようになるのですね」
スカラップ侯爵家の婚約者となれば当然人との関わりが増えるもの。私がそのつもりで答えてもミディアムの言葉を肯定したようにも聞こえる便利な返答。私は「無垢な少女」を演じて微笑む。
「ええ、ええ、そうです、そうですのよ。シュリン様なら分かって下さると思っていましたわ!」
ミディアムが嬉しそうな顔を作り笑う。そして私もまた笑顔を作る。
──あなた達の本性など知っているわ。
私は仮面の下で嘲りの笑みを浮かべた。
「シュリン、待たせてごめん」
「もうっセリオル様、あまりシュリン様を夢中にさせてはおかわいそうでしょう?」
「ミディ⋯⋯何を言っているんだ。俺は何度も言っているだろう」
「ふふっ。セリオル様のお気持ちは分かっていましてよ」
「分かってない! お前らいつも何を考えているんだよ⋯⋯」
「あら。セリオル様と同じだと思いますわ。ふふ」
ミディアムの歪んだ笑みに一瞬、なんとも言えない悪寒が走った。何なのだろう⋯⋯この違和感は。
そんなミディアムに眉を顰めたあの人から差し出された温かい紅茶。
それを受け取りながら、私は自分の手が指先から冷えて行くのを感じていた。
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