第8話 順調に埋められる堀【回想】
大々的に婚約が発表された数日後。領地からお母様とお兄様が駆けつけてきた。
二人は喜びと言うよりも心配の方が上回っているのか、どうにか無かったことに出来ないのかとお父様に詰め寄っていたけれど「侯爵家からの申し出だ」との返答に泣きそうな顔をしていた。
「シュリン、大丈夫なの? 侯爵家だなんて⋯⋯」
「一体何があってシュリンがあのスカラップ侯爵家から婚約を望まれたんだ⋯⋯僕が言うのもなんだけどシュリンは普通。平凡も平凡⋯⋯」
「それは私だって自覚してるわよ⋯⋯お兄様だって私とそっくりなのよ? 平凡兄妹よ私達。私達だけではなくお父様もお母様もそっくり。それがフリンダーズ家よ⋯⋯」
私達フリンダーズ一家はよく似ている。
栗色の髪と同じ色の瞳。お父様もお母様も同じそっくり一家なのだ。
「そうよ! そんな平凡フリンダーズ一家のシュリンが何故、あんなに煌びやかな人から望まれたの⋯⋯ああっ」
「お母様、気をしっかり」
ふらふらとソファーへ倒れ込むお母様をお兄様が支える。
うん。気持ちはよく分かる。普通ならあり得ない話だもの。
でも、真実は話せない。
何故私があの人に望まれたのか。それを知ったら家族が傷付く。
「冬のお茶会で見初めていただいたのよ」
「⋯⋯ん?」
「それからお付き合いさせていただいて⋯⋯それで婚約を申し込まれたの」
「おや? セリオル君は──」
「私も未だに信じられない事だけれど、スカラップ侯爵家に相応しくなれるよう頑張るわ⋯⋯だから!」
「分かっているよ。シュリンが頑張っている事。ちゃんと僕もお母様も知っているよ。だけど、無理をして欲しくない。それだけなんだ。シュリン、辛い時は僕やお父様、お母様を頼るんだよ」
「お兄様⋯⋯うん。ありがとう」
そう言ってお兄様は私の頭を優しく撫でてくれた。私の事を心の底から心配してくれるお兄様の言葉が嬉しかった。
「旦那様、スカラップ様がおいでです」
家令の呼びかけの後ろにあの人の姿が見えて私は息を詰めた。
数日前の事──大変だった⋯⋯。
その日、あの人は殿下とレモラと作戦会議をしている時に婚約届けを貴族院に提出してきたと事後報告にやって来た。新聞といい、届出といいその行動の速さに唖然としたし、すぐ帰るものだと思っていたのに私の部屋を珍しげに見回してはアレコレと質問攻めにされた。
しかもその間ずっと私の手を離してくれなくて、その意図が読めず本当に何だったのか。
帰り際「今日は君の事を沢山知れた」と目を細めたあの人に私は背中に冷たいものが流れた。いずれ私側の過失で婚約破棄する為に私の瑕疵を探った。それはつまり私の弱点を見つけたと言う事だったのだろうかと。
寝室側で窺っていた殿下とレモラもあの人の行動に首を傾げて「違和感」があると複雑な表情だった。
油断してはならない。私は恋人よりも難しい婚約者を演じ切らなければならないのよ。
「ご夫人と兄上君がいらしていると聞いて⋯⋯居ても立っても居られず、是非ご挨拶をさせていただきたく、失礼を承知で参りました」
本当に「顔」が良い。
顔が良いのは微笑むだけで良い人に見えるのだと痛感する。紳士的に笑うあの人にお母様は「まぁっ」と目を輝かせた。
「セリオル様、本来ならこちらがご挨拶に伺うものであるのに⋯⋯ご足労お掛けして申し訳ありません」
「オマール殿、いや、お義兄さん。貴方と私は義兄弟になるのです。どうぞセリオルとお呼びください」
「い、いや、それは⋯⋯畏れ多い⋯⋯えっと、は、はい⋯⋯」
あの笑顔は同性にも通じるのかお兄様もその笑顔に折れた。
この短時間でフリンダーズ家を懐柔するなんて⋯⋯。お兄様もお母様もお父様までもがあの人を気にいったようで警戒心が無い。
確かに見た目だけは紳士的で次期侯爵に相応しい人。その本性がとても歪んでいるとは誰も思わないだろう。
「シュリン? 顔色が悪い」
「えっ⋯⋯いえ、大丈夫、です」
ふわりと私の額に手を当てるあの人の体温。こんなに温かいのに⋯⋯とても冷たい。
「熱は無いみたいだね。シュリン、無理をしていない? 辛い時も楽しい時も俺には何でも話して欲しい」
「無理なんてしてませんよ。「私なんか」のご心配ありがとうございます」
「──っ、それはどういう⋯⋯」
やってしまった。嫌味が出てしまった。
私は一瞬目を見開いたあの人に誤魔化すように微笑み返した。
あの人はそんな私を見て何を思ったのか分からない。ただ黙って私の手を強く握ってきた。
「子爵⋯⋯お義父さん。急な話で申し訳ないのですが、お義母さんとお義兄さんがいらしている間に婚約披露パーティーを開こうと思っています」
「ありがたいお話ですが、スカラップ家に頼り切ってしまっては心苦しい。我が家に出来る事はありますでしょうか」
「シュリンとの婚約は⋯⋯私の希望です。スカラップ家より是非にと望んだ婚約なのです。それを知らしめる為にも任せていただけないでしょうか」
一体何を考えているのか。私は分からなくなっていた。
私を絶望させたいのならスカラップ側からの婚約だと知らしめない方があの人には有利なのに。
お父様は困ったような笑みを浮かべてあの人に頭を下げた。
お母様もお兄様もお父様が決めたのであればと頷いた。
私は胸が痛んだ。
心から喜び祝福してくれるお父様、お母様、お兄様。それに家の使用人達。あの人が私を嘲笑っていると知らない彼ら。
メデュは「お嬢様は何も悪くありません」と言ってくれるけれど私が婚約を承諾した瞬間からいつか彼らを傷付ける事になるのだと。私は思い知ったのだった。
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