第10話 黒い噂
ミディアムに感じた違和感。それが何なのか分からないまま婚約披露パーティーから数日。
私は「行儀見習い」の名目でエポラル殿下とレモラに呼ばれた。
そこで聞いた話に私はとても驚いた。
「この話が本当ならフィレ侯爵家は勿論のこと、スカラップ侯爵家もただでは済まないだろうな」
「あくまでも噂なのだけれど」
二人はそう前置きして話し始めた。
なんでも最近貴族の間で流行っていると言う「薬」があるそうだ。
本来は治療目的に使われ、少量であれば精神を落ち着かせる作用のあるもの。ただし、過剰摂取してしまうと善悪の判断が付かなくなり、楽しい事だけを求めるようになる危険な薬なのだとか。
けれど、元来の性格が穏やかであればその行動は自分の身の回りだけで済むようで、性格が攻撃的であればあるほど「薬」の効果は強まり、自分にとって都合良い方向に物事を捉えるようになるのだと言う。
そして、それはまるで毒のように体を巡り、やがては理性を失ってしまうらしい。
「その「薬」はトロス公爵家が管理しているんだ。勿論、僕は公爵に確認した。公爵も「薬」の危険性は十分に理解して販売のルートは病院だけにしていると言っていたし、帳簿もピッタリと合っていた」
「けれど、おかしな事に使われている量と在庫が合わない病院があるの。それがフィレ侯爵家が管理している病院」
「まさかっ」
私は思わず声を上げてしまった。
だって、もしそれが本当だとしたら……あの人はその「薬」で正常な判断が出来なくなっている可能性があるのではないか。
あの人だけではなく、ミディアムとウェルダム、パラミータとアルバ様。彼らも「薬」の効果で最低な遊びをより楽しんでいるという事に。
⋯⋯まあ、元々の性格を増長させているのだろうけど。
私の考えている事が分かったのかエポラル殿下が苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「シュリン嬢の考えた通り、もし「薬」をアイツらが使っているとしたら、元々の性格がアレだから効果は強く出ているのだろう。今の時点で禁止されているものでは無いから罪になるわけではないが⋯⋯使い続ければ⋯⋯どうなるかを考えられなくなっているんだろうね」
「元々人を見下す性格なんだもの⋯⋯冷たい言い方だけど自業自得かも知れないわ」
困ったような笑顔の二人に私も苦笑する。
確かにそうだ。彼らは自分が一番だと思っている。そもそも自分の思い通りにいかない事が嫌いな人達。だから、こんな茶番を仕掛けて来たのだ。
「ねえ、シュリン。私、それよりも気になる事があるの」
「ああ、僕もだよ」
レモラと殿下はグラスを置いて私をじっと見て来た。
なんかその目が笑っているようで私は背筋を伸ばしながら息を呑んだ。
「シュリンはセリオル様が好きよね。それも「顔」が」
「え、ええそうよ。性格は嫌いだけれど「顔」が好きで、憧れの人と婚約まで出来て幸せな時間を過ごしている──」
「その性格。それがシュリンの勘違いかも知れないとしたら? 勘違いだったらシュリンは心から幸せになれる?」
「な、何の話?」
「シュリン嬢、僕達はセリオルを調べた。まず断言しよう。セリオルは「薬」を使っていない。これが前提だ」
私は⋯⋯あの冬の日。あの人から最低な告白をされて、それ受けた。
あの人は私を貶める為に告白したの。
それが勘違い。そんな事はない。私は聞いたのよ。あの人達の企みを。レモラだって聞いていたし、殿下とレモラもあの人達の企みで茶番を演じて⋯⋯。
「僕とレモラの始まりはアイツらの企みからだったけれど、今はお互い想い合い手を取り合っている。レモラは僕の為に努力してくれているし、僕もレモラが不遇な扱いをされないよう王太子として努力しているつもりだ。アルバは婚約者だが「薬」の疑惑が出た。それが凶と出るか吉と出るかそれこそ僕の努力次第だ」
「セリオル様はフィレ侯爵家の双子と妹とは違う気がするの⋯⋯セリオル様に何か思惑があるように思うのよ。何となく分かるだけで確信は出来ないのだけれど。その為にシュリンと婚約したのではないかしら」
そうだとしても。あの人が私を「使った」事に変わりはない。そして、私もあの人を「使って」いる。
「双子と妹と違ってセリオルはシュリン嬢に誠意と愛情を持っていると、僕は感じるよ」
「そんなの⋯⋯私を騙す為でしかありません」
思えばそうなのだ。いつもあの人は優しい。けれど、優しくして捨てる。私を絶望させる。それがあの人の思惑なのだから。
「あの人の優しさは偽りです」
私は「私」を自覚している。
断言した私に殿下とレモラは悲しそうな表情をしたけれど「そう感じても仕方のない事」だと肩をすくめた。
「そうね、シュリンが感じるものが全てよね。一年だったわね。シュリンがセリオル様との時間を望んだのは」
「私、一年楽しんで、お別れしたいの。正直言うと「顔」が好きなだけじゃないの。優しくされると幸せだと感じているのよ。優しいあの人は好き。でも人を傷付けるあの人は嫌い。そして⋯⋯人の心を弄ぶあの人が嫌いなのに、もし、あの人が私を好きだとしたら⋯⋯私が、あの人の心を弄んで⋯⋯同じ事をしているかも知れないとしたら、自分を⋯⋯許せなくなってしまう」
「シュリンはセリオル様の名前を呼ばないわよね⋯⋯一年後、名前を呼ぶか「あの人」のままか。シュリンの決断を尊重するわ」
「ありがとう、レモラ」
そう、私はあの人の名前を呼ばない。
これは偽りの婚約者なのだと私が忘れないようにする為⋯⋯だから。
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自分から言い出したのに夢に見るほど私は婚約破棄と言う言葉に傷付いていたのかも知れない⋯⋯すごく疲れる夢だった。
「お嬢様? 起きられましたか」
「ええ、少し寝過ごしたかしら」
「構いません。もっとゆっくりしてよろしいのですよ」
「そんな訳にはいかないわ。お父様にお話があるの」
「旦那様は⋯⋯」
言い淀むメデュの表情が曇った。
「シュリン、起きたかい?」
「お父様。ごめんなさいまだ支度が──」
「急いで支度しなさい──セリオル君が待っているよ」
お父様が告げた名前に私の心臓が跳ねた。
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