第5話 一つ思い出すと続けて思い出す

 私はメデュに揺り起こされた。

 いつの間にか日は落ちて部屋は暗くなっていしまっている。


「お疲れなのですね。そろそろお夕食のお時間ですよ⋯⋯食べられますか?」


 私を気遣ってくれるメデュ。色々と言いたい事があるだろうに私の為に我慢してくれている。


「夢を、見ていたの。この一年の始まりから王太子殿下とレモラに会った時の夢」

「お嬢様の大切なご友人様ですね。お二人がお忍びでいらした時の旦那様の慌てよう⋯⋯ふふっあら、失礼しました」

「いいのよ。私も面白かったもの」


 「ルヴァンガ」の日からエポラル王太子殿下とレモラは「作戦会議と近況報告会」と名打ってお忍びでフリンダーズ家に来るようになった。

 初めは腰を抜かすほどに驚いていたお父様も慣れてくれば殿下と談笑するようになった。

 反対に私が殿下に王宮へ招待された時は大騒ぎが再発した。正式な呼び出しではなく「お友達」として呼ばれただけだと言ったのにドレスを新調すると言われて全力で止めたわね。


 ⋯⋯あの人は家に呼んでくれるより来る方が多かった。

 

 ああっダメダメ。私はあの人の「顔」が好きなんだから。たとえ偽りでも恋人としての時間を一年過ごせたのだから楽しかったのよ。そうよ。分かって茶番に乗ったんだから家に呼ばれるはずがないじゃない。

 それに、ここで私が折れたら今までの準備が水の泡になってしまう。


 殿下とレモラに一年待ってもらったんだから。


「あっ、そうでした。アノヤロウが先程見えられました。なんだか少し窶れておいででしたが、演技でしょう。お嬢様はお休みだからと追い返しましたけどね。おとといきやがれクズ⋯⋯とは言いませんでしたが」

「メデュ⋯⋯言葉⋯⋯」

「いいんです! いくら侯爵家だと言ってもやっている事は最低ヤロウなのですから。もし、何かしてくるのであれば私、スカラップ侯爵家の悪事を持って新聞社に駆け込みます!」

「⋯⋯それは今はやめて」


 大衆は貴族のゴシップが大好きなのよね。みんな下剋上や努力で成り上がるもの、見染められ幸せになる話に憧れるのと同時に貴族の特に上級貴族の失態からの失墜を求める。

 殿下とレモラの時も面白おかしく書かれてレモラは危うく「悪女」にされるところだった。私もレモラと話をする事がなければ書かれた嘘を信じたままだったのだろうし。

 だからレモラは殿下に相応しくなろうと必死に努力したのだ。そうしたらその頑張る姿が世間に広がり、権力で黒を白に変えるような上級貴族に反発する心理も相まって今では婚約者のアルバ様よりレモラは市井での評判が良い。

 良くも悪くも新聞は影響力があるし、煽動された大衆は国を左右する⋯⋯風説って怖いと思ったわ。


「シュリンも偽りの恋人になる覚悟をしているのなら侯爵家に相応しくなろうとする姿勢を見せなくてはダメよ。大衆を味方に付けるの」

「シュリン嬢がセリオルに相応しくなろうとすればアイツらに自分達の計画が上手く行っていると勘違いもさせられる」


 標的にされた事のある二人の言葉は説得力があった。本当、殿下とレモラが居てくれて良かった。


 それから私は殿下の厚意で講師を紹介してもらい指導を受け始めた。もちろん、レモラの講師とは別の人。

 レモラと同じ講師だと私達が繋がっているとあの人達に気付かれてしまうから。

 

 ⋯⋯頑張ったなあ私⋯⋯。少しでもだらけたりすれば倍の宿題が出され、失敗すると身体で覚えるのだと何度もやり直ししたり⋯⋯厳しい指導に何度もやめたくなったけれど。

 先生の開発した姿勢矯正コルセットの苦しさを思い出すだけでも背筋が伸びるおかげでマナーも姿勢も殿下に褒められるまでになったし、ダンスは上達したし、向けられる嫌味への耐性も身についたのだから良しとしよう。


 私は私の為に頑張った。けれど⋯⋯あの人は私が頑張れば頑張るほど苦い顔をしていたのよね。面と向かって嫌な顔をされなかったのは救いかな⋯⋯。


『あまり根をつめなくても良いよ。シュリンが頑張ってくれるのは嬉しいけれど、俺との時間が少なくなるのは嫌だな』


 いつもあの人はそう言っていた。でもこれは私を労う言葉でも想っての言葉なんかでもなくて本心は──。


『お前が何したって無駄。どうせ捨てられるのに馬鹿な女。無駄な努力の時間に俺が負けるのが癪ださっさと落として終わりにしたい』


 ──って事なのよね。

 先生が仰っていたもの。位が高い者ほど本音と建前を器用に扱える。口から出る言葉と内の本心は逆なのだと。

 分かってる。大丈夫。あの人の言葉も態度も全て私は本気にしていないのだから。


 だって私はずっと揶揄われていたのよ。

 あの人は私の事を馬鹿にして笑っていたのよ。


「お嬢様?」

「⋯⋯なんでもないわ。少し考え事をしていた、だけ──っねえ、メデュ、これは?」


 あの人から贈られ、あの人に返す為に積まれた山に新しい物が追加されている。

 

「蜂蜜と⋯⋯レモン?」

「ああ、それですか。クソヤロウがお嬢様にと置いて行ったのですよ。明日、また来るとか言っていましたけど本当、「顔」が良いだけで自分がお嬢様に最低な事をしていると分かっていないんですよ! ああ、分かっていてお嬢様を弄んだのでしたね」

「メデュ⋯⋯何度も言っているけどそれは私も承知の上で──」

「だって最低です⋯⋯お嬢様と婚約まで⋯⋯捨てる事が前提の婚約だなんて⋯⋯酷過ぎます」


 メデュの怒りは尤もだ。それに関しては殿下とレモラも言葉を失っていたし、私も嫌がらせの為にそこまでするとは思っていなかった。


 私とあの人の婚約。


 それは突然結ばれたのだ。

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