第6話 そこまでする!?【回想】

 王都のフリンダーズ家にはお父様と私だけ。

 働いている使用人が他に十人ほどいるけれど彼らと食事を一緒に摂る事は基本ない。


「お父様はまだお帰りにならないの?」

「はい。先程、家令様が旦那様に呼ばれて様子を見にお出かけになりました」

「そう。忙しいのかもしれないわね」


 毎日お父様と夕食を摂れている訳ではなかったし、一人なのはいつもの事。それを寂しいと感じていたけれど⋯⋯今日はほっとしている。早くあの人との婚約が解消される事、あの人から婚約破棄される事を伝えなくてはならないと分かっていても、少しだけ怖いのよね。

 私とあの人の関係が偽りだと知らないお父様とお母様、そしてお兄様もあの人との婚約を喜んでくれたし、侯爵家という上級社会に私が馴染めるのか心配もしてくれたから。


「ご馳走様。お父様に申し訳ないけれど、今日は早めに休むわ」

「そうなさってください。すぐに湯をご用意します」


 今日のメニューは野菜がトロトロに溶け込んだシチューともっちり白パン。外はこんがり中はふわっと焼かれたムニエル。甘く煮詰められたニンジンだった。

 メデュが料理長に頼んでくれたのかな。私の大好物ばかりが並んでいた気がする。

 ああ、私は気遣われている。

 私は自分の為にあの人の茶番に乗る事を選んだのだから誰も傷つかないと思っていた己の浅はかさを今更ながら痛感していた。

 私が婚約を破棄される事、それはお父様、お母様、お兄様だけでなく、婚約祝いをしてくれたメデュ達家の使用人達。  

 家族もみんなも落胆させ、傷付け、心配をかける事なのよね⋯⋯。



「では、ぐっすりとお休みください」

「ふふっなんだか子供に戻ったみたい」


 私は時間をかけてお風呂に入り、身体が温まっている内にふかふかにされたベッドへ入る。

 お父様はまだ帰って来ない。

 

 あの人に婚約破棄を願い出て、色々考えて。本当に疲れていたのだろう。メデュにポンポンとされている内に私はすぐに眠りに落ちたのだ。



 それは衝撃と言っても過言ではない出来事だった。


 それは出会いの冬が過ぎた早春。私はあの人の恋人をしつつ講義を受け続け、振る舞いが様になってきた頃。

 春咲きの薔薇を抱えてあの人はフリンダーズ家にやって来たのだ。

 

 その日は講義が無く、あの人との約束もなかった。

 気分転換にルヴァンガへ出掛けようとお気に入りのフリージアが刺繍されたワンピースを着てエントランスを出た私の目の前は突然真っ赤に染まった。

 それは大きな薔薇の花束。可愛らしさと気品を主張する甘くて華やかな香りに思わず私は息を止めた。


「あっ、や、やぁシュリン⋯⋯突然、ごめん。その──っ」


 珍しく強張った表情のあの人は私を見て言葉を詰まらせた。


 ──ああ、気まずい。


 私は嫌な気持ちが湧き上がり、あの人の表情を見たくないと俯いてしまった。だって、私はフリージアのワンピースを着ている。フリージアは冬の茶番で標的にされた花だから。

 あの人が「フリージアの刺繍」と言ったから私は偽りの恋人になった。

 あの人がフリージアなんて気に留めなかったら私なんかに偽りの告白なんてしなかったのだから。


 でも、思ったの。

 私で良かったじゃない? って。もし、他の子が同じような事をされたら嫌だもの。偽善かも知れないけれどあの人達の企みを知っている私だから、あの人の「顔」が好きな私だから最低な茶番を割り切れるのよ。


「どこかへ⋯⋯出かけるのかい? どこへ? 一人で? 誰かと? もしかして⋯⋯最近、シュリンと会える時間が少なくなったのは⋯⋯勉強の為だけではなく誰か良い人が出来たとか⋯⋯」


 私を好きなフリをして、心変わりを心配していると装って。あの人は泣きそうな表情を作り聞いて来た。


 大丈夫。信じない。演じられる。


「いいえ。天気が良かったので近くを散歩しようかと思ったのです」

「⋯⋯そうか、良かった⋯⋯。あの、シュリン、今日はフリンダーズ子爵はいらっしゃるのかな」

「はい。お父様も今日はお休みなので書斎で本を読まれていました⋯⋯お呼びいたします」

「君も同席して欲しい⋯⋯大切な、話があるんだ」


 どこか嬉しそうに目を細め、そう言ったあの人。私は応接室へ案内してからワンピースを脱ぎ捨てた。

 あんなに気に入っていたフリージアのワンピース。私は暫くこの服に袖を通す事は出来ないかも知れないと思いながらクローゼットの奥へと押し込んだ。


「お嬢様、お着替え──」

「もう着替えたわよ」

「一人で⋯⋯お着替えになったのですか」

「ええ、侯爵家の方をお待たせ出来ないわ。それにお会いするのに普段着では失礼でしょう? 最近隣の国から入ってきたこのドレスならすぐに着替えられて、一人で着られるのにそこそこフォーマルだもの」


 私が着替えたのは今までボタンや紐で生地を閉じて着る物だった服にステラファスナーと言う画期的な留め具が作られた隣国から入ってきたドレスだ。

 フリンダーズ家の領地は隣国と西側国境が近い為珍しい物を見る機会が結構ある。冬に入る前、国境の町へ遊びに行った時に珍しさと着脱の簡単さ、その一見無地でシンプルに見えて実は小花模様が描かれているところが気に入って手にしたの。

 噂では隣国にはすごい発明家達が居て「ステラ」と言うのはその内の一人の名前らしく、彼らの発明品は必ず「ステラ」が付いているとか。


「でも仕上げはメデュがしてくれる?」

「はい──本当に便利な留め具ですよね」

「つまみを動かすだけで開いたり閉まったりするの不思議よね」

「ほらほら、じっとしていてください──はい、出来ました」


 私は簡単に髪を纏めてもらい、応接室へ向かう。

 「大切な話」とは一体何のつもりなのだろうか。いい加減付き合うのも面倒になったと終わりにしてくれるのなら私はそれを受け入れる。三ヶ月ちょっと。「顔」が好きなあの人と恋人になれたのだから私はそれで良い。

 周りから暫くは捨てられたと陰口を叩かれるだろうけど笑って返せばいいのだから。

 もしくは⋯⋯旅行に行こうかな。


「ねえ、メデュ。私、偽りの恋人を終えたら隣の国へ行ってみたいわ」

「よろしいですね。その時は是非私をお連れください」

「勿論よ──よしっ、 気合を入れて終わりにしてくるわ」


 メデュが応接室の扉をノックしてすぐに「入りなさい」とお父様の声がした。


「遅くなりまして。申し訳ありません」

「シュリン、セリオル君からお前に話があるそうだ」

「はい」


 さあ、お別れだ。大丈夫。私は分かっている。


「シュリン。君は俺──私の為に頑張ってくれている。無理をしないで欲しいと思いながらも嬉しかった。優しくて努力家のシュリン──どうか私と、婚約してください」

「──っ!」


 薔薇の花束を差し出し片膝を突いたあの人。

 優しく細められた碧色の瞳が潤み、頬に薄らと紅が差したとても綺麗な「顔」。

 これは一体何なのだろう。


「シュリン。私はシュリンの幸せを願っているよ」

「お父様⋯⋯わ、私」

「フリンダーズ子爵はシュリンの気持ちが有れば婚約を認めてくれると言ってくれた」

「で、でも侯爵様はっ私なんかではお許しになりません!」


 そう、どんなにお父様が許してもどんなにフリンダーズ家が認めても我が家は子爵家。スカラップ侯爵家は貴族の中でも侯爵様の中でも最上位なのだ。そんな家が子爵家との婚約を認めるとは思えない。


「父上⋯⋯侯爵もシュリンの気持ちが俺に有るのなら認めると言ってくれた。シュリンが俺の為に講師に付いて努力している事を褒めていたよ」

「侯爵様が⋯⋯」

「シュリン。どうか──頷いて欲しい」


 目の前が真っ暗になるとはこの事か。

 私は呆然としてしまった。周りに何を言われようと偽りの恋人を選んだ。何を言われても揺るがない為にレモラと殿下のように「見える努力」をした。


 それが私の意図とは違う方向へ動いてしまった。

 

 壁側に控えていてくれるメデュが息を呑んだ気配がする。

 ああ、私はきっと泣きそうな酷い顔をしている。私はゆっくりと両手で口元を押さえて震える声で答えた。


「は⋯⋯い」


 侯爵家の人の申し出を断れるはずがない事をあの人は分かってやっているのだ。 

 そう。これはあの人の「計画」。私を絶望させる為。まさかの婚約と言う切り札まで使って本気で私を絶望させようとしているのよ。

 

 一瞬の絶望が頭をよぎった。でも絶対に絶望しない。してあげない。

 私はこの時決意したの。


 最低な茶番の為にここまでする人達には絶対に負けてあげないのだと。

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