4
「よろしかったのですか?」
声がした。業務的な、抑揚のない声。
何か応えようと、俺は思ったのだろうか。わからない。しかしどうであれ、俺の顎は二つに割れて、頭骨の中に落ちてしまっていた。感覚も無い。カラ、カラ、と音を立てても、俺の意志が通じているのか、あるいはすきま風にでも吹かれているのか、その判別すら適わない。
どこからか細い腕が伸びてきて、俺の頭を拾い上げる。視界が揺れる。カラ、と、また顎骨が鳴る。
「また」
バスガイドが立っていた。もちもちたちの姿は無い。独り、じっと目を細めて、俺を見ている。その感情は俺には読み取れない。けれど、俺の視認できない深いところに、何かゆらめくものがあるような――その影だけがかすかに見えるような、そんな気がした。願望だろうか。
「ここ、ですか」
そう言って、バスガイドは歩き出す。
それは夜行の間じゅう、もちもちの隙間から見えた動作だった。変わらないはずだ。なのになぜ、今、まったくの別物であるように感じられるのか。わからない。ガイドの足取りはしんと静かで、地を踏む足にまるで重みがかかっていないかのようだった。枝や葉が音も無く踏まれ、砕けていく。その静けさが、わけもなくさみしかった。
どれくらいかガイドは歩いて、不意に立ち止まると、頭骨だけの俺を、どこか、固くグラついたところに置いた。そうして視界の端で、小さく口を開いて言った。
「貴方は、いつもこの山で死に損じてしまいますね」
それを最後に、もう彼女が俺を見ることはなかった。振り返り、来た道を帰っていく。小さく揺れた俺が置かれた場所から転げ落ちても、気に留めるそぶりすら見せない。後ろ姿は、やがて森にのまれて消えてしまう。
転げ終えて、俺は、俺が載せられたものが何だったのかを知った。
それは、山だった。数十数百と積みあげられた、頭骨の山。俺の山。
顎を失い、間抜けに地面に収まった俺は、それと対面して、瞬時に理解した。この骨はすべて、俺の骨だ。俺は何度も、こうやって死んで――死に損じて――積みあげられていったのだ、と。
意志こそ通じないけれど、山の虚一つ一つに、夜行を果たせなかった、無数の俺がいるのを感じる。風が吹く。カラ、カラカラ、と山が鳴る。後悔――生前には感じたことがないような、無性で、巨大な後悔が俺を襲う。木々が笑う。落ち葉も、枝も俺を笑う。
眼窩の虚がねじくれ、寄りあって、溜まりとなって怨念を満たす。生半可者の、情けない怨念。その深奥と目が合って、俺は夢を見る。
自室、バスガイドが俺に突き刺した、垂直の俺が目を覚ます。無表情のまま周囲を見回したその俺は、足下で横になった背の割けた俺の抜け殻を裏返し、軽くその身をはたくと、両腕から入って、脚、頭と、なかに体を潜りこませる。そうして、空の肉を着込んだ俺が、またぱちくりと目を覚ます。
眠そうに目をこすり、時計を見る。溜め息をつき、パンを囓り、シャワーを浴びる。着替えを済ますと、鞄の中身を確認し、重たげに背中を曲げる。目を閉じて、しばらく立ち尽くしたのち、一歩、また一歩と、暗い顔で歩き出し、ドアを開け、出勤していく。(了)
夜行 玉手箱つづら @tamatebako_tsudura
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