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 落ちた先の通りには、無数の生き物がひしめいていた。数にして三十はいたように思う。人間じゃないのはひと目で分かったけれど、では何か、となると見当もつかない。

 足がある。腕も、大方の影には付いているように見える。二足歩行で、聞き取りづらいが日本語を話している。頭は無い。寸胴で、全体的に肉が厚い。くびれらしいものも無いけれど、身体の動き、節々の曲がりかたを見るに、肉のなかには骨が入っていそうだ。

「お待たせしました。出発いたします」

 そう言って、ガイドは歩きだす。生き物たちは、彼女を先頭にゆるやかな列を成して、のっそのっそと付いていく。地面に倒れ伏したままだった俺は、木の幹のような彼らの足にしこたま踏まれたけれど、その肉は足の裏までやわらかく、俺の骨が食いこんでいくばかりで、おそらくは互いに、痛みは感じなかった。ひと通り踏まれ終えてから起き上がり、列の後ろを追いかける。

 河口湖には一度行ったことがある。電車を乗り継いでの、味気ない道程だった。あの時はたしか、一旦八王子の方まで北上して、そこから西へ向かったのだったと思う。

 対して、ガイドに導かれる俺たちは、おそらくそんなまどろっこしいルートは採らないのだろう。眠りについたベッドタウンは黒々と暗く、街灯の光もなぜだかいつもより弱々しいようで、今どこを歩いているのかなんてものの数分で見失ってしまったけれど、それでもほぼ一直線に西へ進んでいることは分かった。

 箱根の山とか、超えるのだろうか。前後左右でペタペタと音を立てる、短くて太い足を見る。この足で山越えは……。できたとしても、どれほど掛かるか分からない。間に合わないのではないか。と、そこまで考えて、何にだ、と思考が詰まる。何に……何に間に合わない? 

 ……夜明け?

「死者に時間はありません」

 行列の先頭、生き物たちの向こうから、ガイドが言う。真正面でそう言われたみたいにハッキリと聞き取れて、俺に言ってるのだと判る。

「時間が……?」

 時間がない? 何かのリミット……じゃない、たぶん、そうじゃなくて。たった今骨身を伝った、冷たいトーンを思い返す。この人が言ってたのは……きっと、時間なんて、概念がない……その概念のなかにいない、属していない、ということで……。考える。俺は、外れてるのか、時間――生の時間から。だからもう、時間は関係ない? うろの目で、足下をうごめく影を見る。じゃあ、こいつらはみんな、しんで――

「貴方に」

 目の前で。言葉が、骨に触れるように立つ。

「時間はありません」

 感情のない声が、それだけ言って帰っていく。俺はようやく、自分が何を言われていたのかを、ちゃんと理解する。俺の周りのこいつらが生者か死者かなんてことは問題じゃない。そもそも、そんなことを思案する立場でも、俺は、なかったのだ。

 お前には関係ない、と、彼女は、初めから言っていたのだ。

 びちゃびちゃと、俺の頭骨に酒が掛けられる。両隣を歩いていた生き物たちが、手に持った酒瓶を傾けて、惜しげなく俺に注いでいる。酒は首を伝って両肩と背とに分かれ、全身を透明に濡らす。パン、パン、と、彼らの、体躯に対してごく小さな手が、俺に向かって合わせられる。周りを歩いていた奴らも振り向いて、同じように手を鳴らす。みな何かをくりかえし呟いているので無い耳を澄ますと、なんまんだぶ、なんまんだぶ、と聞き取れる。

 生前、俺は日本酒が好きだった。けれど、何を好んでいたのかは分からない。味も香りも、無い方が好ましかった気がする。頭の上を垂れていた酒が、歯に滴り、隙間に落ちる。何も感じない。ただ気分がいい。

 死者に――と言った冷たい声を、もう一度思い返す。何かしらショックを受けてもよさそうなものだけれど、なぜだか、晴れ晴れとした気分だった。余計なもの、野暮ったいものが全部、削ぎ落とされた気がした。俺はずっとこうなりたかったのかも知れない、と思った。

 夜行の群れは進む。俺も歩いていく。

 河口湖へ。西へ。

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