夜行
玉手箱つづら
1
日々の楽しみが睡眠に行き着いたら、おしまいだ。
何をするよりも眠りたい。そうやって迎えた朝の頭の軽さ、体温、渇いていない口のなか。労働のしやすさ。それらを知ってしまって、夜がプツンと短くなった。八時間も眠ると、寝覚めは劇的によくなる。それだけでも、抗いがたい快楽だった。
今夜もまた、早い時間にベッドに入って、今夜やらなかったことすべてを、隠すみたいに灯りを消す。実りのない日々を苛む意識も寝息にほどかれ、散漫に薄らいで、布団にうつった自分の熱が気にならなくなっていく。
その人が、部屋の真ん中に浮いている。右手に、俺を提げている。
なんだろう、と思う俺の腹に、上から俺が落ちてきて、爪先が垂直に刺さる。痛い。二つ折りになった背中から、パキン、と、割れるような音がした。手をやって確認しようとしたけれど、その時にはもうその人の手がそこにあって、背の肉の割れ目から、俺の脊椎――いや、俺を――俺そのものを引き抜いている。
体液を油代わりに、全身の骨がつるんと脱け出て、乾いて、その人は俺から手を離す。
手を見やる。バラバラの骨がなぜだか繋がって、五本の指を成している。
骨人間になった、らしい……。
無いはずの脳が、ぼうっと、思考を緩めていく。
「……よろしいのですか?」
その人が俺に訊く。不思議そうな顔で、俺を見ている。
俺はまだ呆けていて、えあ、と適当な相槌を返す。何かで見た格好だ、と、その人の姿を眺める。丸っこい帽子。濃紺のベスト。
その人は一度首を傾げて、不思議そうな顔をしたまま、向こうへと振り向く。そうしてそのまま、窓に手をかける。カラカラ、と、窓は開いていないのに、サッシだけが音を立てる。置いていかれる、と直感する。
「待って!」
立ち上がって、その人の背に叫ぶ。その人は少しだけこちらへ向いて、目の端で俺を見る。
「行きます、行く、から」
無い舌がもつれて、言葉が上手く繋がらない。足がよろけて、腰より下の骨の繋がりが、バラけてしまいそうにたゆむ。
「行く、行きます。……けど、どこへ?」
その人は窓枠に足をかけ、閉じたままの窓からベランダへ抜ける。
「河口湖まで」
俺を見ないでそう言って、アパートの二階、そこそこの高さから、すうっと通りへ落ちていく。その後を追いながら俺は、ああ、バスガイドの格好だ、と、既視感の正体に思い至る。
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