第25話 『愛憎の果て』


「ハンナ、ほら、珍しいだろう?」

「…お父さん?」


 お父さんが家に連れてきた赤ちゃんは青灰の髪にバイオレットの瞳を持つ子だった。

 何もかもを見透かす様な宝石のような瞳がおくるみの中から私を見つめて。

 お父さんはまるで玩具を子供に与えるように私にその赤ちゃんを手渡した。


「お父さん!どういうこと!この子は!?」

「買ったんだ、街の外で会った行商人が売っててな」

「なんで…」

「お前が喜ぶかと思って」


 お父さんはお母さんを亡くしてから良く似ていた私を溺愛してくれていた。欲しがるものはなんでも買ってくれたし、いつも可愛い可愛いと頭を撫でては傭兵として出かけた先でお土産を買ってきてくれて。


「…お父さん、この子何処かに届けよう?赤ちゃんなんて育てられないよ」

「俺が分かるから大丈夫だよ、お前兄弟欲しがっていたろう」

「だからって…」


 私にとってはとても優しくて強くて自慢のお父さんだった。時々変なお土産は今までもあったし、安全にこの子を引き渡して忘れてしまおうと思ってた。


 だけど。

『やっと見つけた。忌々しい人め、よくも我が子を…』

「………え?」


 急に血の気が引いて、焦点が合わず倒れ込んだお父さん。動かなくて、体を揺すって呼んでも返事が無くて。


『お前はこの男の娘か?』

「…は、い」


 白いモヤが人を象り私の傍に歩み寄ってくる。私の腕の中の子を優しく撫でる仕草をして白いモヤは私に問いかけた。


『お前の父の罪をお前が償え。この子を森で育て、さらった山脈に帰すのだ』

「父は、この子を買っただけです、あなたがどなたか分かりませんが…殺されるほど…罪なのですか」


 悔しくて涙が溢れて。あぁこの存在にお父さんが奪われたのだと察した。お父さんは確かに買ってしまった。だけど攫ったのは顔も知らない誰かで世界の何処の山脈からこの子を連れて来たのかも分からないのに。


『いいな、もし約束を違えば、お前を殺す』

「待って…っ」


 なのに、こちらの事情など知りはしないとばかりに白いモヤは掻き消えて。バイオレットの瞳の赤ちゃんとお父さんの死体だけが残った。


 暫く呆然とした後、腕の中で身じろいだ赤ちゃんに驚き立ち上がる。


「森…森に…」


 いつも薬草をつむ時に持っていく籠にクッションを入れて赤ちゃんを入れて森へ向かうために門へと走った。


「おや、ハンナ。そんなに急いでどうしたんだ?」

「森に…用があって」

「用?薬草つみなら明日の方が」

「今じゃないとダメなの!!」


 顔馴染みの門兵に食いつけば驚きながらも通してくれる。陽は既に落ちて暗かったけど、お父さんが死んだことが分かれば葬式をしなければいけない。


 その時にこの子が見つかれば…きっともう森には連れて来れないから。


「確か…この辺に…あった!」


 昔この森を管理する時に使っていた小屋を見つけ、赤ちゃんとクッションと布を取り出し、小屋の床クッションをひいて寝かせる。


「とりあえずこれで…」


 でも、私は赤ちゃんを育てる方法なんて知らない。ミルクだって持ってきていないのに。


「あー…う〜」

「…っ ごめんなさい」


 殺されるかもという恐怖もあった。でもどうしても赤ちゃんを育てられる自信がなかった。子供を置き去りにする罪悪感も確かにあったけど、家に帰れば父親の葬儀の準備もしないといけない。

 ずっと父親頼りの生活をしていたから父親が居なくなった後、自分でお金を稼いで生活をしなければいけない。


 考えれば考えるほどこの先が想像できなくて怖かった。


 …でも葬儀をしている間もあのバイオレットの瞳が忘れられなくて、怖かった。


「死んでいるはず…だって赤ちゃんだもの…死んでなきゃ」


 だけどあの子は生きてる気がして。

 またあの小屋に行けばやっぱり赤ちゃんは生きていた。


「…そんな」


 逃げられないのだと言うようなバイオレットの瞳が怖かった。

 だけど、今日は死んでいるはずと考えて森に見に行っても赤ちゃんは生きていて。何も食べてないのに成長している様だった。


 気が付けば自分の足で立って私に抱きつくあの子を。シエラを憎む気持ちも恐れる気持ちも確かにあったのに。あの瞬間にシエラへの愛情を確かに抱き始めた。


「シエラ」

 名を呼べば笑顔を浮かべて。私は気が付けば私は貴女を産んではいないけど母親の様なものだとシエラに教えていた。

 ろくに世話をしてもいないのに、最低だと分かってても。


「母!」


 笑顔で手を伸ばし抱き着くあの子を拒めなかった。最後の最後まで本当に憎む事も恐れることも出来なかった。


 シエラ、シエラ。


 私の罪の証。

 シエラ。


 私の大切な子。


「シエラ、怖かった?」

「怖かった、でも…やっぱり愛してもいたの…貴女はいつも温もりをくれたから」


 愛していた。たしかに。歪み切ってしまったけれど。

 最後には結局逃げてしまったけど。


「じゃあ、いいよ」


 良くないでしょうシエラ。傷付いてしまった、傷付けてしまった。

 許さないで、シエラ。



 私は母のように貴女を見守りながら仇のようにも見ていたの。


 ふいに何処かで糸が切れるような音がして。


 目の前のシエラの姿が歪む。力が抜けてジェイコブが私を抱き留めたのはわかった。


 薄れていく意識の中で。

 小さな声を聞いた。


「もう自由になっていいよ」


 流暢に話す事なんかできないあの子の声で。

 記憶の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられた様な感覚なのに。


 まるで何かが抜け落ちたように軽くなっていくのを感じた。


「ハンナ?目が覚めたのか」

 気が付くと家のベッドで横になり私の手を取るジェイコブが居て。訳もなく泣いた。


 何故かわからない。だけど。


 酷く苦しかった。苦しい理由を思い出そうとしても思い出せない。なのに、それが酷く悲しい事だと感じたの。


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