第六章――③
「あーもう! イーダの馬鹿ぁ! 素直に謝ったら許してあげようと思ったのに、全然反省する気ゼロだし私に歯向かおうとするし、挙句の果てには他の女とイチャイチャするなんて信じられない! 馬鹿馬鹿馬鹿!」
「痛っ、セリカ、痛い……」
可愛らしい声で文句のマシンガンを飛ばし、烈火のごとく怒りながらイーダの向う脛をガスガス蹴りまくる女神セリカノリス様。
一見駄々をこねる子供のようで微笑ましいが、その威力は見た目以上に痛いらしく、イーダはうずくまって必死に急所を隠している。あそこは魔王でも痛いのか。初めて知った。
今度から弁慶ではなく魔王の泣きどころとでも呼ぼうか……なんて空気を読まないどうでもいいことを考えてしまうほど、当事者以外茫然とするしかない事態だ。
唯一説明できそうなユマに目を向けてみるが、彼も目を白黒とさせながら頭痛をこらえるように額を押さえており、使徒でも知らない何かが目の前で起きているらしい。
なので、この二人の攻防が落ち着くまで、ぽかーんと馬鹿みたいに静観するしかなかった。
ボケーッと突っ立ったまま不毛な時間を過ごすことしばし。
「女神、そろそろ事情を話してくれないか。まったく状況が理解できないんだが」
罵りと急所攻撃で撃沈した魔王を見ない振りをしたユマが、肩で息をしながら憤懣やるかたないご尊顔の女神様にそっと言葉をかける。
女神様は大きく深呼吸してくるりとこちらに振り返ると、先ほどまでの般若のごとき形相が嘘のように、さながらお花が咲き乱れる背景を背負っているかのようなオーラを放ちながら、優雅ににこりと微笑んだ。
「うふふ。実は……私とイーダは夫婦なの」
「「「「「「はあぁぁ? 夫婦!?」」」」」」
予期せぬ設定が飛び出し、私たち六人の素っ頓狂な声がハモった。
魔王と女神が夫婦なんて、誰が想像するだろうか。いやまあ、恋愛物の設定としてはありがちだけど、ありがちすぎて灯台下暗しだったわ。
「彼、元々は私と同じ神なのよ。美男美女のカップルで神界でも有名だったんだけど、ちょっとしたことが原因で喧嘩しちゃって。頭きちゃったから、別居ついでに封印したのよ。で、何百年か経ってそろそろ反省したかなぁと思って封印が解いてあげたら、闇落ちして魔王になっちゃって」
旦那が自分のせいで闇落ちしちゃってるのに、口調軽っ!
安売りで買った食品が冷蔵庫の中で賞味期限切れちゃったー、くらいの軽さだよ! いいのかそれで!?
古今東西、神様夫婦の喧嘩は壮絶なものだが(特に浮気性で有名なギリシャ神話のゼウスは嫁さんに散々な目に逢っている)、百年単位で封印しちゃうとかスケールがでかすぎる。神様の時間感覚疑うわ。
しかも闇落ちさせてどうするよ。逆効果じゃん。
リアルに頭を抱えた私をよそに、女神様の回想話は進んでいく。
「いやぁ、私もね、やり過ぎたなーって反省はしたんだけど、直接謝るのって恥ずかしいじゃない? だから、代理人にイーダの様子を見て来てもらおうと思って聖女を選んだんだけど、彼ったら私を完全拒否するんだもの。おまけに世界征服まで企んじゃってるし」
「……それで、また頭にきて封印しちゃったと」
「まあ、やったのは私じゃなく聖女だけどね」
つーか、それを頼んだのはお前だろ? と言いたいのを我慢した。褒めてくれ。
「でも、やっぱりイーダを諦め切れなくて、何度も歴史を繰り返してイーダを封印せずに済む未来を模索してたんですね」
「正解! ハリちゃん賢ーい」
パチパチと小さな手を叩いてお褒めくださるが、ちっともうれしくないぞ。
歴史ループの謎に気づいたのはただの偶然。アリサとの会話もヒントになったが、半分はオタクの経験と勘というヤツで、できたら正解でなければよかったのにってオチである。
それが真実だと判明してガッカリというか、もはや絶望だ。
しかし、一つ謎が解けると芋づる式に他の謎も解けてくる。
「……ところで、私を呼んだのは、アリサとイーダの仲を裂くためですか?」
「うん。イーダが趣味じゃないハリちゃんなら任せられると思って」
できたらもうちょっとまともな理由が聞きたかったけど、死にかけのところを拾い上げてもらったわけだし、これには文句を言うまい。
気持ちの上では微妙だけど。
「まさかとは思いますけど、聖と魔のバランスがどうとかっていうのも、夫婦喧嘩を正当化するためのこじつけ設定じゃないですよね?」
「いいえ、嘘ではないわよ。元々イーダは神格は持ってても魔属性寄りで、私は聖属性なの。聖魔のバランスを取るために夫婦になったのよ」
「あー、そこは案外まともなんですね……」
ちょっとだけ絶望感が薄まったが、それでもあんなにドハマりしてた『聖魔の天秤』の世界観が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
いや、それだけではない。たかが(といっては失礼だが)夫婦喧嘩のせいで一体何人何十人の女の子が戦いに巻き込まれたのか。
あ、さらに嫌な予想が浮かんでしまった。
「……ところで、騎士と聖女の恋の結末って、これもまさかですけど、夢オチで済ましてますよね?」
「まあ、どうしてバレたのかしら?」
これまで召喚された女の子の数だけ恋愛エンドが存在していたとしたら、毎回あるべき歴史が歪められてパラレルワールドが山のように存在している。
あれだけユマに厳重に“シナリオ”の管理をさせていた以上、そのような事態を黙認するはずない。
「ユマに本当のことを言わなかったのも、歴史に干渉させないためじゃなくて、単に事の発端を白状するのが恥ずかしかっただけでしょう?」
「だって元が夫婦喧嘩だしねぇ……」
「ひょっとして使徒の恋愛禁止の制約って、『自分が別居中だから身近な人間が恋にうつつを抜かすのが許せない』って理由だったりします?」
「きゃあ。ハリちゃんってエスパー?」
何一つ悪びれた様子もなく相槌を打つ女神様に、理性で押さえていた怒りが爆発した。
のっそりと立ち上がり、杖を床に放り投げ、呑気に微笑む女神様を小脇に抱えると、スカートをまくり上げるとモコモコとしたカボチャパンツが現れた。
ちなみに色は白だ。
一連の動作にぎょっとする男たちを無視し、それをむんずと掴んでずり下げて現れた愛らしい桃尻に、思い切り平手打ちを叩き込んだ。
パッチーンという景気のいい音と、「きゃあ!」という可愛い悲鳴がこだまする。
「ふざけてんじゃないわよ! 夫婦喧嘩は好きにすればいいけど、それに人間を巻き込むな! これだから神様ってのは困るのよね! 自己中で傲慢で後先考えない!」
「い、痛い! ちょ、何す……きゃあ!」
言葉の合間合間に平手打ちを入れる。女神様はジタバタと暴れるが、弱体化しているせいか子供のような力しかないため、いろんな意味で疲労困憊の私でも余裕で抱え続けられた。
「黙れ! 痛いのは叩いてるこっちも同じよ! でも、あなたたちのせいでたくさんの人が傷ついたり亡くなったりしてるの! ルカも、ロイも、リュイも、キーリも、アリサも、ユマも、過去に聖女に選ばれた子たちも、みんなあなたのせいで迷惑してるの! その痛みを知らないまま、のうのうと過ごしていていいはずないわよね!?」
「わた、私は女神よ! こんなことしてただで済、む、痛ぁ!」
「むしろ、あなたがこの程度で済んで感謝してほしいくらいよ! 個人的にはイーダとまとめて永遠に地獄の業火で焼かれればいいと思うけど、さすがにそれは良心が痛むもの! 子供のお仕置きで済まそうなんて、私って寛大よねぇ!」
「どこが……ぎゃん!」
「くやしかったら私を殺すなり封印するなりしなさいよ! どうせできないんでしょう、弱体化してるんだから! おとなしくお仕置きされてれば、そのうち解放してあげるわよ!」
どれくらいパチンパチンいわせまくったか。
男性陣もそれなりに女神様に腹が立っていたのか、私に口を挟むのをためらっていただけか、おどおど視線を逸らしながらもお仕置きを黙認し続けることしばし。
女神様の反論する気力を折りめそめそ泣くだけになり、そのうち私の手のひらが限界を迎えたので、いつの間にか復活していたイーダの隣にちょこんと降ろす。
子供みたいに(現に子供だが)泣きじゃくって縋りつく妻があまりに不憫だったのか、よしよしと頭を撫でてやるイーダ。これで元鞘になるといいんだけど。
……にしても、手が痛いのなんの。パンパンに腫れてグーも握れない。
まさにお尻ペンペンは愛の鞭だ。愛がなかったらできないよ。
私の場合は愛云々じゃなくただの憂さ晴らしだが。
ジンジン痛む手のひらを振りながら患部の熱を逃がしていると、ユマが治療してくれた。
「……さすがにまずいかしら、これ」
「どうだろうな。個人的には胸がすく思いがしたが」
「使徒がそんなこと言っちゃっていいの?」
「女神は純粋が過ぎて、悪意なく他人の神経を逆なですることが多々あるからな。想像するに、夫婦喧嘩の発端もそこじゃないか?」
ありえる。というかそれ以外に考えられない。
「ともかく、なんかグダグダなんだけど、これで終わりよね? さらに黒幕が出てきたりとかしないわよね?」
「待て。僕にこれをどうしろというんだ」
女神様をあやしながら困惑するイーダに、私は苛立ちを隠さず言い放つ。
「これといか言うな。あなたの妻でしょう。夫婦喧嘩のケリは夫婦だけでつけなさい。さもないと、二人まとめて封印するわよ」
「さすがに女神を封印したら大事になる」
使徒たるユマがすかさず突っ込んだ。冗談ですよ……半分は。
「だが、魔王を放置もできないな。首輪の効果もあくまで一時的なものだろうし」
「そうよね。かといって、封印しちゃえばまた歴史ループしちゃって被害者が増える一方だし、アリサもいい加減ベッドでゆっくり休ませてあげたいし、イーダも一緒に一旦屋敷に戻りましょうか。どうかしら、ルカ」
「……女神様がイーダの力を制御し続けてくれるなら構わない」
ルカは疲れ切った様子でおざなりな返事をする。
立て続けに暴露された真実に頭がついていかないのだろう。私も正直思考を放棄したい。
だが、こんなことは私やアリサの代で終わらせなければいけない。
あとはこの二人を元鞘に戻すだけだ。説得にしろ脅しにしろ、何か手を考えなければ。
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