「平社員」「会議」「修正」

 打鍵する音がこだまする。

 それ以外は、オフィスの外を走る車のタイヤがアスファルトに切り付けられる音くらいしか聞こえてこない。

 時計を見る、時刻は15時を少し回ったくらいだった。

 定時まであと3時間か、僕はそう思い再度ディスプレイに視線を戻す。

 画面の端に新規メッセージの通知が表示されていた。

 マウスを動かし、その通知をクリックする。

 画面に社内チャットのウィンドウが開き、その中央に文章の羅列が映る。

 送り主は課長のようだ。


 『先ほど終わりました会議の議事録作成をお願いします。

  可能でしたら今日中に作成願います。』


 その文言とともに、1時間ほどの音声ファイルが添付されていた。

 こういった仕事がくるのは稀なことではない。

 会議に参加しても意味がない一介の平社員に少しでも情報を与えて、成長を促そうとしてくれているのだろう。

 それに僕にとってこの仕事はそんなに苦ではなかった。

 弊社において議事録とは、その会議内の発言を全てテキストデータに変換しただけのものである。

 そのため、僕は心を無にして耳から入る言葉を指から吐き出すだけで時間を消費出来てとても楽ができるためだ。

 強いて難しい点を挙げるとするならば、言いよどみや言い間違え、接続語がおかしいなどの点を微修正するのに脳を使うくらいだ。


 僕はチャットに「了解しました。早急に取り掛かります」と打ち込み、PCに繋がれたイヤホンを耳に差し込む。スクリーンに議事録作成用のアプリを立ち上げ、数度首と肩をひねってから添付された音声ファイルを再生した。


 「それでは、第12回新製品開発検討会議を開始します」


 ドスの聞いた部長の低音が耳に流れ込む。

 脳内に丸いフォルムにバーコード頭が連想して浮かび上がる。


 そこから先はよくある会議だった。

 商品の試作機を見て、機能がどうとか美観がどうとか、そんな話をしていたと思う。少なくとも僕の指が記すテキストファイルにはそう書かれていた。


 次に僕の意識が覚醒したのは40分くらい経ってからだった。

 会議では質疑応答が始まろうとしていた。


 「あっあの、何点か質問いいでしょうか?」


 弱弱しく発言するその声にはとても聞き覚えがあった。

 同期の山田である。

 彼は同時期に入社した中ではズバ抜けた成果をたたき出し、期待の若手社員として各部署から注目される人物であった。

 自分は特に深くかかわりあいになったことが無かったが、よく耳にする彼のいい噂話から心のどこかで嫉妬してしまっている箇所も実際あったりする。

 いま僕がこうして議事録を書いているのに対して、彼はその会議に出席を許されているのだ。この時点で自分の中に劣等感が生まれ、それが自尊心を喰らおうとしていた。

 しかし、その考えが浮かぶたびに、でも仕事に毎日全力で取り組むのは面倒だな、という惰性が思考を上書きしていくのだった。

 だから、僕の意識が覚醒したのもほんの一瞬で、すぐに文字起こしマシーンに体を作り変えていく、はずだった。


 「ぼっ僕が思うに、この機能は顧客が真に求めているものとは少しかけ離れているのではないかと考えるのですが、こっ根拠としましては…」


 山田の質問はどれも的を得たもので、なおかつ斬新なアイデアを盛り込んでいたり、根拠の事実確認も完璧という非の打ち所がないものであった。

 彼の発言を前にしては、部長や課長であっても押され気味の空気感が音声だけで伝わってきた。


 圧倒的な敗北感が僕を覆う、そしてそれは消えかけていた劣等感と紐づき再度自己嫌悪となって牙をむいた。

 ああ、やめてくれ。そんなに優秀にならないでくれ。僕の駄目さが浮き彫りになってしまうだろう。

 一回この思考に入ってしまうと、すべてがマイナスに見えてしまう。

 課長が僕に議事録を頼んだのも「お前も山田みたいに頑張れよ」というメッセージを暗に伝えているのかもしれない。

 山田がこんなに活躍してしまっては、僕みたいな役立たずは用済みとクビを言い渡されてしまうかもしれない。

 邪悪に精神を侵された僕、その間も音声は絶えず山田の活躍を淡々と伝える。


 その時だった、僕の脳に悪魔が降り立った。


 「議事録を書き換えちまえよ」


 悪魔は僕にそう囁く。

 

 「いや、会議に出席してた課長にはすぐバレるだろう」


 僕は悪魔に返答する。


 「誰も完璧に記憶できないし、音声を聞きなおす手間もかけたくねぇから、こんなくだらねぇ議事録なんてものを作るんだろ」


 「それは、そうかもだけど…」


 「だったらちょっとくらい弄ってもバレねぇって。流石に案を180度別物に書き換えるのはヤバいかもだが、読み直したらこの案には穴があるなぁくらいに変更する分には問題ねぇって。まあ、山田には大打撃だろうがな」


 そういうと悪魔はクククと小さく笑った。

 僕はNOとは言えなかった。

 沸々と湧き上がる嫌悪感が僕の指を支配していく、完璧な山田を不完全で歪な大衆的なものへと変化させていく。


 僕の脳はポジティブな妄想を映し出す。


 「いやぁ、山田君は一見完璧そうな案を出すんだが、見返してみると穴だらけなんだな、君に議事録つくりを任せて助かったよ」


 「課長、その議事録をつけていて思ったのですが、その案はこう変更してみるのはどうでしょうか?」


 「おお、それは良さそうだな。君も次の会議出てみるか、この世代はみんな優秀で助かるよ」


 むっふっふ、これで僕も出世街道に乗れるかもしれない。

 一人だけ甘い蜜を吸おうなんて、そんな贅沢を俺は許さないぞ山田。


 僕はその後も流れ続ける山田の声を廉価させながら出力させていく。一度議事録を作り終わった後も、山田の部分のみを見返し、彼の案を不完全に修正していく。それと同時に改変したこともバレないように細心の注意を払った。


 「ふぅ…」


 すべてが完了したのは定時の鐘が鳴るのと同時だった。

 僕は不敵な笑みを浮かべるのをどうにか抑えながら、課長へとチャットで議事録のテキストデータを送信した。

 今日は久々に外食をして帰ろう、僕はそう思い軽い足取りで会社を後にした。




 

 


 周囲から打鍵音が消えた後、課長は一人残りデータの確認作業を行っていた。


 「はぁ~」


 彼はとても重々しくため息をつく。

 彼が見つめるスクリーンには「第12回新製品開発検討会議議事録」と書かれていた。 一見そこには問題のないような文章が羅列されていたが、よく見ると【°】が【℃】になっていたり、漢字の誤変換などが少なくない頻度で起こっていた。


 「時間がかかるのは良いけど、せめて精度は上げて欲しいよなぁ…」


 彼はそうボヤキながら画面をスクロールさせていく。


 「おっと、会議では良さそうだった山田の案、文字に起こすと意外と穴あんなぁ」


 彼は頭を掻きながらそう呟く。


 「いや、でもこれは簡単な修正するだけでなんとかなるから問題はないか、一応明日山田に確認してみようっと、まあアイツの事だからこんなコトとっくに気が付いて俺よりもいい修正案だしてくるんだろうなぁ…」


 そう言って彼は少し悲しい顔をしたのち眉間に皺を寄せ、ムッとした表情を浮かべた。


 「それはなんかムカつくから、議事録を俺の修正案で直しておこう~」


 彼はそうニコやかに呟き、キーボードをたたき始めた。




















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