「ナイフ」「回路」「ポケットティッシュ」

 いくらセンター街といえども平日の昼間となれば人通りもそこそこで、私は肩に抱えた半透明なバッグに詰まった白い薄紙の束に視線を落とすたびに気分が沈んでいく。

 なんとなくでポケットティッシュ配りのバイトなんて始めるんじゃなかった。

 太い道の真ん中に立つ私を人々が避けていく様を俯瞰で見ると、モーセの十戒のようになっているんじゃないだろうか。 

 私は人に無視される悲しさを打ち消すため、ティッシュを配る行動への自我を消し機械のように口と体を動かしていく。

 さて、そうなると残った思考回路が暇になってしまった。

 何か話題はないかと考えを巡らせると一つの事を思い出した。それは、先日友人と話した時彼女が言っていた言葉だった。


 「銃刀法ってあるじゃん。あれで刃渡りが6cmより長い刃物を持ち歩いちゃダメみたいなこと言ってるんだけどさ、つまり刃の長さが6cm以下のなら大丈夫ってことだよね。私、最近護身用に折りたたみナイフ持ち歩いてるんだよね。なんか世の中物騒じゃん、自分の身は自分で守らないと」


 そういう彼女はとても自慢げだった。

 その場では私は、そうだよね~とか、あったまいい~とか言って適当にお茶を濁したが、実際あれはどうなんだ?

 

 まず第一に、この平和な日本において身近に起こると思われる物騒な事件について考えていこう。

 まあ、起こったとして痴漢か付きまとい行為かのどっちかだろうな。

 そしたら、それに対してナイフで反抗したとして…これは反抗した側が逮捕されるな、うん。


 じゃあ次にナイフで反抗しても許される犯罪に巻き込まれた場合を想定してみよう。

 強盗とかになるのかな。

 「強盗だー金を出せー(拳銃)」「こっちにはナイフ(刃渡り6㎝)があるんだよ」

 いや、勝てねぇな、てか即死だなこれ。

 ナイフ持ってない時よりも悲惨な結果になっちゃったな。


 うーん、じゃあ相手が武装してなくて、ナイフを使わざるを得ない場合は、と。

 誘拐とか?

 「お嬢ちゃん俺の車に乗ってもらおうか」

 「やめてください! ナイフだぁぁぁ!」グサー。

 いや、これも刺した側が責められるだろ。

 過剰防衛とかいうので逮捕される未来しか見えねぇな。


 えぇ、じゃあマジでナイフ持ち歩いたところで役に立つ機会ないじゃん。

 警察に職質されたときにめちゃめちゃ怪しまれるだけじゃん。


 いや、ナイフが役立つ場合も一個くらいあるはずだ。その場合を何とかひねり出していこう。


 まず初めに、過剰防衛にならない様にするためには、何発か殴られるくらいされないとダメだな。

 被害を受けないようにするためのナイフが、被害を受けないと使えないとかウケるな。


 そんで、ナイフで反抗した後、反撃を喰らって死んじゃダメだから、相手はこっちの犯行で戦意を喪失するような奴じゃないとダメと。

 あとは、この一連の流れを警察に説明して信じてもらえるような証拠が必要だな。

 うーん。人間相手じゃ無理かもしれない。

 どうやってもナイフで反抗した時点で、加害者になってしまう。


 じゃあ、害獣に襲われた想定としてみるか。

 害獣、害獣かぁ。この国平和だからいねぇんだよなぁ。

 野良イヌとかネコにナイフは流石にいろんな方面からバッシングの嵐だろうから駄目だな。

 クマとかイノシシはそもそも刃渡り6cmのナイフじゃ太刀打ちできない。

 ドブネズミとかどうだろうか…いや、蹴り飛ばすだけでどうにかなりそうだな、ナイフいらねぇ…。

 

 ちょうどいい弱さの社会的にそんなに好感度が高くない獣…あ!

 カラス、とかちょうどいいんじゃあないか。

 

 空から急にやってきてカバンをひったくろうとしてきたから、護身用に持っていたナイフで反抗して事なきを得ました。


 うん。カラスが飢え過ぎていて賢すぎている件に目を瞑れば何とか辻褄が合いそうだ。

 対カラス用に日常的に持ち歩ける代替品もパッと思いつかないし、(そもそも対カラスは備えなくてもいいような)バッチリだな。


 あとは、それまで何の訓練もしていない一般人が躊躇いなくナイフを振るえるかどうかだなー。

 

 まあ、無理だろうなー。あの娘、ゴキブリも殺せないし。


 ははははっ、ナイフいーらね♪


 カァー!カァー!


 「えっちょっ何!?」


 隔離していた意識を現実世界に呼び戻すと、私の抱えるバッグ目がけてカラスが飛びかかってきた。

 こんなことマジであるんだ、さっきはカラスの事を過小評価してしまっていたけど、それは間違いだったみたいだ。


 「これは食べ物じゃないよ!」


 私は肩に抱えたバッグを手元まで下ろし、持ち手の部分をつかみ、カラスに向かってブンブンと振る。

 ぐしゃっ。手元にやわらかい感覚が伝わり、反動で私はその場に尻もちをつく。


 カァ…カァ…


 体勢を整え、辺りを見渡すとあちらこちらにポケットティッシュが散乱していた。

 今の一連の出来事を見た周囲の人々が奇異の視線をこちらに向けている。 

 カラスの姿はもうどこにも見当たらなかった。


 「ははっ、やっぱナイフなんかいらないわ」


 私は散らばった白い包装を少し傷のついたバッグに収納してから、何事もなかったかのようにアルバイトに戻った。


 日が高く昇っても、未だセンター街に人通りは多くなかった。


















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