「雲」「メトロノーム」「消えた罠」

 さて、困った。


 小さな倉庫の中は夥しい数のメトロノームで埋め尽くされていた。

 それは全て包装されたままで綺麗に整列されており、まるでピラミッドのように目の前に立ちはだかっている。


 俺は手に持った今日の台本を強く握りしめながら、それを睨みつけることしかできなかった。

 台本に印刷された『ここまでやるの!?実録ドッキリ天国!』という文字が醜く歪んでいく。

 どうしてこうなってしまったのだろう、数日前の記憶をたどってみる。


「あれだ、あれ。メトロノームみたいに揺れる鉄球あんだろあれ。SAS〇KEとかの障害物とかでよく見るあれだよ。あれをいっぱい用意して、ブンブンふって、その中を芸人とかに歩かせたら数字撮れるだろ。もちろん落ちたら熱湯でな。じゃあ俺はもう帰るから、家で可愛い嫁さんが待ってんでね。それじゃあ明後日までに準備頼むぞ新人クン」

 

 なんかそんなことを言ったような気がする。でも…。


「ガチのメトロノームこんなに集めろとは言ってねぇわ!!」

 

 なんなの最近の若い子って比喩表現とか例えとか伝わんないの!?

 そういえば、アイツに「鳩が豆鉄砲を食ったような顔してんなよ」って言ったら、

「でも実際見たことないですよね。嘘つくのやめてもらっていいですか?」って

急に上から物言われたの思い出したわ。

 ガチじゃん…ガチで義務教育LOSEしてんじゃん…。


 てか、なんでアイツまだ来てないの? 新人っていうのは一番乗りで来るもんじゃないの?

 俺はジーパンのポケットをまさぐり、スマホを探す、がそこにお目当ての物はなかった。

 あれ?っと小さく呟きほかのポケットをパンパンと叩いていくが、どこにも何にもなかった。

 マジかよ、落としたか。そう思いメトロノームに背を向けて倉庫から立ち去ろうとした。

 

「えっ」


 振り返ると、そこにも無数のメトロノームが屹立していた。

 さっきまでそこにはドアがあったはずだ。

 辺りを見渡す。

 メトロノーム、メトロノーム、メトロノーム…いつの間にやら四方八方が埋め尽くされていた。

 どうなってんだよ。

 俺は無理に道を開こうとこぶしを振り上げる。

 その時だった。


 カチ…カチ…。


 すべてのメトロノームがその針を左右に揺らし始めた。

 音は寸分の狂いもなく全てが同じペースで拍を刻んでいる。


 カチ…カチ…。


 その旋律は耳を抑えても脳に突き刺さり、頭がおかしくなりそうだった。

 俺はその場で身を丸め、地面に蹲る。


 カチ…カチ…カチカチ…カチカチ…。


 逃げる俺を追い詰めるようにメトロノームは揺れる速度を増していく。

 俺が一体何をしたって言うんだよ。

 耳たぶを耳の穴にねじ込み少しでも音の侵入を防ごうとするが、そんなことは無意味であった。

 

 カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ…。


 そのうち、音が聞こえない時間のほうが少なくなっていった。

 もうどのくらいの時間が経過しただろう。数秒十秒かもしれないし、数時間かもしれない。

 無限に続くかと思えた悪夢のような時間。

 それは突然、終幕を迎えた。


「音が、消えた」


 最初は鼓膜が破れたのかと逡巡したが、今の自分の呟きを聞き取れたため、そうではないことが分かった。

 いったい何だったのか、とずっと閉じていた目を開く。


 するとそこには真っ白な雲が広がっていた。


 それを認識した途端、体は浮遊感に包まれ、そして、眼下の雲に向かって落下を始めた。

 

 なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、一体全体今日はいったい何なんだ。夢でも見ているのか。

 そんなことを考えている間にも俺の体はどんどん加速していく。

 ある一定の速度を超えたとき、俺の脳は過去の記憶を視界に映し始めた。

 それは、走馬灯というものに違いなかった。


 劇で桃太郎の役を演じて、親に褒められた小学校の時の記憶。

 弁論大会のクラス代表に選ばれた高校の時の記憶。

 寂れた遊園地で彼女と遊んだ記憶。

 彼女と一日中、評価の低いホラー映画を見た記憶。

 彼女と…。


 その走馬灯は次第に彼女との出来事だけを映し出すようになった。

 その記憶はどれも暖かく、あと幾秒で地面に叩きつけられるとしても、とても心地の良いものだった。願わくば、ずっとこの時間が続いて欲しいと真に願った。


 しかし、その走馬灯は急に暗転し、何も見えなくなってしまった。

 それに疑問を覚えたと同時に、俺は自分の身体が既に地にへばりついていることに気が付いた。

 意識はそこで完全に断ち切られた。





「力及ばず申し訳ございません、意識が途絶えてしまいました」


 暗い赤紫のフードを被った老婆がうつむき気味にそう告げる。


「いえ、お気になさらないでください。次こそは主人が目を覚ますかもしれません。その時まで私はいつまでも添い遂げますから」


 若い女性がベッドに横たわる意識のない男性を抱きかかえながらそう言う。

 その目に光はほとんどなく、優しく男性を撫でていた。

 対称に男性はどこか満ち足りたような表情で彼を抱く女性の方を向いていた。




「205号室の奥さん、また怪しい魔女みたいな人呼んで何かしてたわよ」


「え~前に部外者は連れ込んじゃだめだって言ったのに~」


「まあでも、旦那がああなっちゃたら無理もないかもね、なんだっけパラシュートが開かないドッキリの予行練習中に事故っちゃったんだっけ」


「そうそう、あの人気特番のプロデューサーやってたらしいんだけど、今じゃあのザマよ。その影響で番組は打ち切りになっちゃったし。あーあ、私あれ好きだったんだけどなー」


「ホント見る影もないわよねー。今日なんて目の前に紐で5円玉つるしたの揺らされて呪文みたいなの唱えられちゃってたわよ」

 

「なによそれ。ふふっ昭和の催眠術じゃないんだから」


「そうよね~。私も遠目で見て笑っちゃったわよ」


「藁にも縋るってああいうのを言うのね~」

 

 電球の切れかけた薄暗い部屋で看護士は厭らしい笑みを浮かべながら、その後も終わりの見えない雑談に花を咲かすのだった。



















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