恋するカフェオレと一途なアップルパイ

尾岡れき@猫部

恋するカフェオレと一途なアップルパイ


”恋するカフェオレ”と”一途なアップルパイ”って知ってる?

 このCafe Hasegawaには想いあった二人を、結びつけるそんなカフェオレとアップルパイがあるんだ。


 誰よりも深く、誰よりも溶け合って。誰よりも甘い――そんな、特別な時間を過ごせるから。


 信じる信じないは、勿論あなた自身に委ねるけどね?





☕🍰





 心臓が暴れまわる。

 プランを改めて確認をしながら、自分がどう振る舞うべきかを考える。


 やっと、予約を取り付けたのだ。


 このカフェは人気だ。大正時代に喫茶店があれば、こういう空気感なのかもしれない。

 店を貸し切っての予約はなかなかできない。まして、中学生が借りれるはずもなく。


(でも――)


 今この瞬間だけは、後ろ向きな自分を押しのける。

 目の前で、咲那が照れくさそうに微笑を溢す。


 縁起でもないけれど、こういうのを走馬灯というのだろうか? 用法を間違っているのは認めるけれど、そんな言葉を選びたい心境だった。


 入学してからクラスが一緒だった。同じ班になることも多くて――隣になることも多かった。


 波長があった。


 僕はバスケ部、彼女は時短料理研究会で。接点はあまりない二人なのに。ハンバーグはおろしポン酢かけが好きで。二人とも甘党で。でも、ピザにはタバスコをかけたい。そんな好みまで、二人とも一緒だっった。


 中学2年の10月――僕から告白をした。

 このまま友達で終わるのはイヤだったから。


 なけなしの勇気を振り絞ったんだ。


 ――私で、本当にいいの?


 彼女のか細い声を今でも思い出す。

 だって、咲那以外の子が隣で過ごす未来は、まるで想像できないから。

 咲那が良いんだ。僕はそう言った。


 それから――。


 受験生であることも加味して、羽目を外さない程度に、色々な場所を回って、たくさんデートした。遊園地にも水族館にも行ったし、買い物にも出かけた。最後の試合にも来てもらった。一緒にいる時間が本当に満たされて、本当に幸せだった。


 でも、神様は残酷だ。

 僕らに向けて、こんなイジワルをする。


「ステキな思い出になるよ。ありがとうね、耕太君」


 咲那は笑う。

 離れて暮らしていた、お婆ちゃんが認知症になった。咲那の一家が決めた答えは、おばあちゃんとの同居だ。この街から離れ――直線距離にして30キロ先の3つ離れた街へ。咲那は明日、引っ越す。


 神様ってイジワルだ、って思う。中学生にはどうすることもできない。


 今まで日常を、当たり前のように共有していたのに、明日からは咲那がいない。

 落ち込むことしかできなかった僕に、クラスメートは呆れ半分に囁いたんだ。





☕🍰





「時間は限られているんだからさ。どうせなら忘れられないくらいの想い出を作る方がいいんじゃない?」





☕🍰





「お待たせしました、メインの仔牛のステーキ、赤ワインソース仕立てです」


 とカフェスタッフが配膳をしてくれた。まるで上品なメイドさんをイメージさせる制服。優雅な所作。その柔らかい声が、僕らの緊張を溶かしていく。


 一方の僕らは、学校指定の制服で何ともミスマッチで、気恥ずかしくなってしまうけれど。


 ――ウチは、ドレスコードなんか関係ないからね。


 マスターさんがそう笑って言ってくれて、なお気持ちが軽くなった。

 町内会では、宴会や集会場所にもなっているけれど。照明や醸し出す雰囲気で、こうもお店の表情が変わる。そのことに驚く。


「まさか、下河君に紹介してもらえるとはね」


 そう言って、咲那はナイフでステーキを切り分けていく。


「んー、おいひい」

「咲那、顔が溶けてるよ」

「耕太君だって」


 クスクス笑って、咲那が言う。きっと彼女以上に、僕の顔は腑抜けているに違いない。


「それにしても」


 照れくさくて、思わず話題を変える。


「まさか、下河のお姉さんがバイトしてるなんて、ね」


 思わず、目で追ってしまう。


 視線を感じてすぐに注文を確認しに来てくれるのだ。さり気ない気遣いや、緊張を解きほぐしてくれる笑顔に救われた。

 見れば、咲那がジトっと僕を見ていた。


「な、何?」

「耕太君、下河君のお姉さんにはステキな人がいるからね」

「はぁ? 何でそうなるの?」


 僕が思わず目を白黒させて――咲那はクスクス笑う。どうやら、からかわれていたらしい。

 僕はそっぽを向く。と、咲那はさらに笑みを零した。


「だって、距離が少し遠くなるから。釘を刺しておかないとって思ったの」

「いやいや、咲那は僕のこと知ってるでしょ?」


 もともとバスケ部連中以外で、まともに話そしていなかった僕だ。人見知りの僕。あがり症の彼女。この二人を結びつけたのが、漫然と読んでいたミステリ小説。僕がクリスティーを読めば、咲那はエラリー・クイーンを読み。僕がディクスン・カーを読めば、彼女は横溝正史を読み。


 ラノベで交流することはよくある。でも古典ミステリを読み漁る人はなかなかいない。自然と、相手に興味が湧き、話し相手になるのも必然だった。


 ――お前らさ、教室で完全犯罪のトリック話し合うの止めてくれない?


 下河の苦情は受け付けない。だってお前も、この話について来られるんだから、同じ穴の狢。完全犯罪の共犯者だった。





☕🍰





 時間ってあっという間だ。急遽決まった引っ越し。その準備に追われていたから、今までのように話すワケにもいかず。僕自身、引っ越しが決まってから落ち込んでしまっていたこともあり、本当に久しぶりに咲那と話した気がする。


 この短い時間で色々なことを話した。

 

 お互いの本が気になっていた、あの瞬間から。

 ぎこちなく、言葉と言葉を交わして。

 

 バスケ部の試合の応援に来てくれて。

 下河達に冷やかされ、二人で真っ赤になって俯いたことも。


 文化祭を二人で回って。

 後夜祭で、僕から告白をして。

 たくさんの瞬間を。他愛もない時間が。今ではこれほど大切だったんだと、今さらながらに思う。


「デサートをお持ちしました」


 とスタッフが――下河のお姉さんが言う。それはこの楽しい時間が終わる、終幕の合図でもあった。


「お待たせしました。”一途なアップルパイ”です。この後もゆっくりお過ごしくださいね」


 そうお姉さんは、皿を置く。


 本当は、cafe Hasegawaの隠れ名物”恋するカフェオレ”とのセットだった。通常、お店で飲めるのは、犬をデザインしたカフェアート。何か思い悩む犬の男の子が人気だった。でも――このディナーを予約すると、カップルに合わせてバリスタがカフェアートを淹れてくれる。


 ただ――。


 今回は、咲那とスケジュールとバリスタの日程が噛み合わなかった。下河の口利きもあり、無理を言って予約をしてもらったのだ。文句を言えるワケがなかった。


「あのね、耕太君。私は、カフェオレが飲めなくても大丈夫だよ? こんなステキなディナーに誘ってもらったんだもん。大丈夫、ちょっと距離が遠くなるだけだから、私あっちでも頑張れるよ」

「う、うん……」


 僕の感情が見透かされたのか、半泣きになりながら、無理に笑いながら咲那は言う。僕はただコクコク頷いて、アップルパイをフォークで――。




☕🍰





 ちりん、りん。

 来客を告げるベルが鳴った。





☕🍰





「え?」


 困惑する。格安に値引きしてもらったとはいえ、しっかりと予約したはずだ。思わず顔を上げると、入ってきた青年はペコリと、僕らにお辞儀をしてバッグヤードに消えていった。


「ふ、冬君? で、でも……だ、だって今日は――」

「大丈夫だよ。日をまた改めれば良いだけだから」


 そんな声も、店内のジャズミュージックに静かに溶けていった。

 僕も咲那も目をパチクリさせるしかない。

 見れば、マスターさんと奥さんが微笑んでいる。まるで、


 ――大丈夫だよ。

 そう言ってくれているようで。


 咲那と訳が分からず顔を見合わせていると、例の彼がCafe Hasegawaの制服を身にまとって出てきた。さながら、執事のようだった。


「マスター当然、ご挨拶はもう済んでますよね?」

「歓迎と祝福のご挨拶は、何回しても良いんじゃない?」


 そうマスターさんに言われて、彼は照れくさそうに頬をかく。見れば、その隣で下河のお姉さんが嬉しそうに、満面の笑顔を咲かせていた。こっちまで幸せになるそんな笑顔をみたら――彼が、下河のお姉さんのステキな人であることは間違いなかった。



「今宵の出会いに感謝を。数多の店のなかから、当店を選んでいただいたこと、心より感謝申し上げます。折角のお二人の時間に水を差すのも野暮というもの。こちらは誠心誠意、考えられる限り最高のおもてなしをさせていただきたいと考えています。ただ、一言。お二人に捧げさせてください」


 そう彼は深々と、頭を下げて――。


「君たち、二人ならきっと大丈夫」


 そう彼は囁いて、カウンターの奥で作業を開始する。マスターさんと奥さんは、カウンター奥の椅子に座り、その作業を見守るだけ。さも彼の動作を熟知ているように、下河のお姉さんは、セッティングをしていく様は華麗だった。

 程なくして、店内はコーヒーの芳醇な香りで満たされた。





☕🍰





「お待たせしました。当店自慢の”恋するカフェオレ”です」


 下河のお姉さんが、コーヒーカップをソーサーごと、ゆっくり置く。僕らは、そのカフェオレを彩るアートに、言葉を失う。


 男の子と女の子。

 でも、二人の距離は不自然に空いていて。


 愕然とする。


 きっと、バリスタに他意は無いのだろう。でもその距離が、二人にぽっかりと空いてしまった心の穴――言い得ない、虚無のようだった。


「冬君、仕上げがまだだよ?」

「だね」


 と彼はカウンターから出てくる。

 そして、深々とお辞儀をした。


「ちょっと、失礼しますね」


 ティースプーンで、そっとカフェオレを掬う。

 あっ――声にするより早く攪拌されて、そんなことをされたら絵が消えてしまって――跡形もなく、泡立って、これまでの思い出と同じように消え――て、ない?


 僕は目をパチクリさせた。


 ちょん。

 と彼はスプーンでカップのなかを突いて。


 ちゃぷん、と跳ねる音がして。

 僕は目を大きく見開く。


 男の子と女の子の隙間に。その指先。男の子と女の子の指先を繋ぐように、細い糸が絡み合っていた。


「へ?」


 僕が目をパチクリさせている間、咲那のコーヒーカップにも、同じようにイラストの二人を糸で繋げていく。


「え、あ、あの、これって……?」

「お待たせしました、耕太君と咲那さんのための恋するカフェオレです。このお話をいただいてから、ね。ずっと淹れたいって思っていんだ」

「え、で、でも……今日はスケジュール的にムリって……」

「うん。何とか間に合ってよかったって思っているよ。遅刻したのは、本当に申し訳なかった。でも、この時間に関わらせてもらって、本当に感謝しているからね」


 ペコリと彼――と、下河のお姉さんは二人一緒に頭を下げた。

 目が点になるってこういうことを言うのか。

 僕は言葉にならない。自分でもなんて呆けた顔をしているんだと思う。


「だからね、絶対に自分からその糸を切っちゃダメだよ」


 そう彼が囁く。思わず彼をみて――にっこりと微笑まれた。

 自暴自棄になっていた、その自覚がある。


 全部、失ってしまった。そう嘆いていた。

 でも、一番大切なものは、この指先から見えない糸で今もつながっている。そう思う。


「それじゃ、ゆっくり召上がってくださいね」

 そう下河のお姉さんは、にっこり笑って言ったんだ。




 

☕🍰





 一途はアップルパイはサクッとしたパイ生地の食感。でも、すぐに塗り替える、果実の甘みと酸味。


 一方の恋するカフェオレは、苦味が少なく飲みやすいのに、口の中にかすかにコーヒーの香りが残って。どことなくビターで。

 甘くて、少し苦くて。でもやっぱり甘くて。全部、溶けていきそうな、そんな錯覚を憶える。


 見れば、店内の照明は薄暗くフェードアウトして。

 ただ、僕らだけを照らす照明が、月明かりのようだった。


 きっと、呼べばマスターさんも、スタッフさんもすぐ来てくれる。でも、今この時だけは、を満喫したい。そう思う。


「咲那」

「耕太君――」


 今なら指先から繋がる糸の存在を感じる。

 もっと繋がりたい、って思う。


 ほんの少し、物理的に距離が離れても。この糸を感じられたら、きっと僕らは踏ん張れる。


 でも、あとちょっと。

 あと、少しだけ。


 糸の結び目を、もう少しだけ強くする繋がりが欲しい。

 林檎の果実より甘くて。


 これから先の未来を想うと、ほんの少しだけビターで。


 初めて、交わった温度を感じながら。

 触れるように。

 傷つけないように。


 でも、誰にも触れさせないように。

 糸の結び目を縛る。

 唇と唇から伝わる温度で。




 初めてのキスは、林檎とカフェオレの甘さ以上に、僕らを溶かしていった。

 




☕🍰





 ”恋するカフェオレ”と”一途なアップルパイ”って知ってる?

 このCafe Hasegawaには想いあった二人を、結びつけるそんなカフェオレとアップルパイがあるんだ。

 誰よりも深く、誰よりも溶け合って。誰よりも甘い――そんな、特別な時間を過ごせるから。


 信じる信じないは、勿論あなた自身に委ねるけどね?

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