先輩はラムネしか食べませんもんね
響華
作品ができ上がるまで
破いた袋のゴミをポケットに放り込んで、弾くように蓋を開ける。
からから、と音を立てて筒から飛び出たラムネの粒は、俺の手の上に乗る──その前に、
「ラムネって、ラムネ味じゃないですか」
そのまま口の中に入れる。カリッ、と噛み砕くような音。舐めずに齧るなんて贅沢な食べ方をしながら、机の上に座る仁井野笹はゆっくりと話を続ける。
「ぶどう味のラムネ、ってなんなんでしょうね?」
「そりゃあ、まあ」
渋々もう1回筒を傾けて、出てきたラムネを流し込む。
「2つ味があって、お得ってことだろ」
「値段は変わらないんでしたっけ?」
「全く変わらない、ブドウ糖も90パーセント入ってる」
「ぶどう味だから190パーセントですねぇ」
蓋を閉じたラムネを、そそくさと鞄の中にしまう。このじゃらじゃらとなる音がどこまで外に聞こえるかは知らないし、試したこともない。
ただ言えることは、この学校にお菓子の持ち込みは許されておらず、教室で視線を避けながら食べるようなことはしたくない俺にはこの空き教室でバレないようにするしかラムネを摂取出来ないってことだ。
「先輩、先輩」
「なんだよ」
「たまに別のもの、食べたくなったりしないんですか?」
「……別に、ラムネだけで3食過ごしてるわけじゃないが」
相変わらず机の上で足を揺らす彼女を見ながら、俺はスケッチブックを開く。
描く相手は、仁井野笹。既に半分くらいは埋まってるページを飛ばして、まだ白紙の紙を置く。
「ねぇ、せんぱーい」
「……なんだよ」
「ラムネ、毎日食べてたら飽きないんですか?」
「お前は毎日酸素吸ってて飽きないのか?」
「飽きますよ、飽き飽きしてます、まだ春先なのに。やめてみよっかなって思ってますねー」
「……悪かったよ」
絵を描いている間、彼女の足はピタッと止まる。ここを切り取って描いてくれと言わんばかりに、口と目以外の全てが止まる。
「ラムネ食べないんだったら、こんな寒い空き教室なんて使わなくてもいいじゃないですか」
「別に、厚着してもらっても構わないぞ」
「譲歩の濁点の字も感じられませんね」
確かにここが寒いのはわかる。滅多に人の寄らない空き教室、暖房の一切ない、陽の光も当たらない空間は月を2つほど冬に近づけたような気温をしている。手はかじかむし、ちょっと前までは息も白かった。
だからといって、他に描く場所もない。美術部の部室は部外者立ち入り禁止である。
「せんぱぁーい」
「なんだ」
「私の事、好きなんですか?」
描く手が止まる、顔が赤くなる、しょうがない。
「仁井野笹」
「なんですか」
「俺は今、俺の絵のモデルになってる女の子のことが好きだ」
「……そうっすか」
鉛筆が、白紙を静かに汚していく。ぶつかる音、擦れる音、汚れを作品に変える音。
「……ねぇ、先輩。例えばなんすけど」
「例えば?」
「私が今、ゆっくりと背中に倒れて……机の上から、頭から。真っ逆さまに落ちていったらどう思います?」
描く手は止まらない。
「びっくりするかな」
「びっくりして、どう思います?」
「……多分、綺麗だと思う。仁井野笹の、俺の好きな後輩の死は、きっと綺麗だと思う」
「……うへへっ」
描く手は止まらない。
「じゃあ、描きます? 私が死ぬところ」
「まだ描けない、そこまでの腕がない。だから、もう少し待ってろ」
「……そればっかりっすね、先輩は」
にへら、と彼女は笑う。笑って、また少し足を動かす。そこの部分を描き終えたのが、なんでバレてるのかは分からない。
「先輩は、変化を好む人だと思ってました」
「嫌いじゃないよ、変わる景色もいいものだろ」
「その割に、私が景色から消えるのは嫌なんですもんね?」
描く手が止まる。それを見て仁井野笹は机から下りる。
「ラムネで自分とここを結び付けて、ここにいる私と自分を結びつけてる。束縛って嫌われるらしいですよ?」
「別に、構わない……嫌、嫌だけどな嫌われるのは」
「そうやって素直に好意を寄せてくるの、やめてくださいよ、照れるじゃないですか」
喋りながら、机の周りをくるりと回る。視線の先で、回る彼女がこちらを見てる。
「……繋がりがあると、どうでも良くなれなくなるんですよ。分かってます?」
「分かってるよ」
「変わった方がいいんですよ、こんな面倒な女と関わっちゃダメです、私は変われませんから」
「俺だって変われないよ、そんなもんだろ、そんなもんでいいんだろ、きっとな」
椅子取りゲームみたいにクルクル回ってた彼女が、改めて机の上に腰をかける。
「いつか、綺麗なものが描けるようになったら、私の死を描いてくださいね?」
「じゃあそうなる前に、告白は済ませておかないとな」
「……酷い先輩です」
「空き教室で校則違反してるような先輩だからな、参考にするなよ」
「後輩にこんなことしといて言いますか、そういうこと」
ため息をつく仁井野を横目に、閉まったラムネをもう一度取り出す。
ぶどう味のラムネはなんとなくお得な気がして、齧らないまま口の中で溶けていく。
先輩はラムネしか食べませんもんね 響華 @kyoka_norun
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