「あまね」という女(7)

 湿気臭い布団の中で寝苦しくて目が覚めたら、いっちょ前に目の周りを赤く腫らせた唯子が朝ご飯だと起こしに来た。

 味噌汁とご飯と焼き海苔を前に、兄妹二人、はす向かいで「いただきます」と手を合わせて朝ご飯を食べるのも久しぶりだ。

 炊き立てのご飯を口に運んで、うっかり笑えた。

 僕はご飯の炊き加減は柔らかめが好きだ。

 唯子もそこはわかっていて、いつも僕にご飯を出すときはそう炊いていた。

 今日は固めの仕上がりになっている。

 それは多分、城山さんの好みなのだろう。

「おにいちゃん」

 お味噌汁のお椀を置いて、唯子が顔を上げた。

「なに?」

「私が『あまね』さんだって、好平さんも知ってる……?」

「そりゃ当然でしょう。じゃなきゃお前を押し付けたりしません」

 見るからに肩を落として再びお椀を持つ唯子は、また何事か考え込んでいる。

 それを横目に焼き海苔を一枚とってご飯を巻き、口にほおばりながら「あ、そうだ」と気づいた僕は、心の赴くままに行動に移した。

 左手をグーに握ってコツンよりも強めに唯子の頭に落とす。

 思いのほかゴツンといい音がして「もう!」なんてお椀を片手に苦情を述べる唯子に人差し指を突き付けてやる。

「僕は怒ってるんだからな」

 昨日、家に帰ってから唯子に問い詰められるまま「唯子があまねであること」を話した。

 その時に唯子から「電車事故の真相は自殺ではなく人助け」だと聞かされている。

「怒ってるってどうして……」

 叩かれた頭をなぜながら抗議する唯子を放って、僕は二枚目の海苔に手を伸ばす。

「僕は怒る権利があるの。人助けはいいけど、もうちょっと賢くやってくれない?」

「私じゃないもん、あまねさんが……」

「どっちでもいいよ。次に駅で人を助けたくなったら、ホームに『非常停止ボタン』っていうのがあるから、それを押せばいいってことぐらい知っといて」

 「小学生でも知ってるからね」と念を押すと、唯子はしぶしぶ「はい」とうなずいた。

 唯子が自分を「あまね」だと自覚するまで発散することのできなかった怒りをぶつけてすっきりした僕は、唯子の前に、ポケットの中のものを探って出してやった。

「夫婦喧嘩は犬も食わないんだから、さっさとケリつけな」

 朝の食卓に、少しリングに傷のついたルビーの指輪が光っている。

 事故の時にあまねがはめていた指輪だ。

 唯子はそれを見て、ごくりと唾をのんだ。

「お兄ちゃん……」

 悩む理由はよくわかる。

 僕には一択の答えしか浮かばないけど、それでも選ぶのは唯子自身だ。

「お前がしっかり考えて選んだことなら、なんでもいいよ。だって、僕はお前のお兄ちゃんだからさ」

 お茶碗を「ほれ」と差し出したら、愚妹は不満そうに口をとがらせながら、気前よく大盛りのおかわりを寄こしてくれた。

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