「あまね」という女(4)

 迫る電車のブレーキ音、警笛の音。

 それに混じって、トランクの車輪と鈴の音、パンプスの足音が駆け寄ってきました。

 「あぶない!」と、おばあさんを引きもどす女性の声に続いて、大きな衝撃音と、悲鳴と、サイレンと―――。

 あまりのことに腰の抜けたおばあさんを気遣う人など、誰もいませんでした。

 それよりも「突然電車に飛び込んできた女性」の方にみんなが注目したからです。

 その後、介護施設の職員さんを通じて調べたところによると、女性は飛び込み自殺をしたことになっていました。

 女性の身元も不明だったので、遺族に『自殺なんかじゃない、自分を助けてくれたんだ』と事情を伝え、謝罪をすることもできなかったおばあさんはひたすら自分を責める毎日だったそうです。

 それにしても私のトランクはどこにでもあるようなものですし、そんな人助けをした覚えもありません。

 そうおばあさんに伝えると、たいそう憤慨した様子で胸を張りました。

「あたしは間違えたりしないよ、絶対にっ」

「視覚に障害がある場合、音を聞き分ける能力が鋭くなる人がいるんです。マスさんは、特に音の聞き分けには自信があるんですよ」

「あなたのトランク、車輪のねじが一つ取れているでしょう? それに鈴だって」

 おばあさんは私のトランクを指さします。

「トランクの中に下げている鈴は、前と一緒ね」

 自信満々におばあさんの言うことは、すべて当たっていました。

 トランクの車輪が一つ取れかかっているのも、盗難防止のためにトランクの中のファスナーに鈴を下げているのも、おばあさんの言う通りだったのです。


 お二人と別れた後、私は事情を確かめるために駅事務所に向かいました。

 切り抜きを持って事務所を訪ねると、すぐに駅長さんが出てきて「いやぁ! ご無事で何よりです。ひどい怪我でしたからねぇ」と、私のおでこを見上げながら、腫れ物を触るように接してくれました。

 切り抜きを見せたら、まさしくこの記事の女性は私のことだと教えてくれました。

 私は混乱してしまいました。

 好平さんはこの記事を見て、飛び込んだのはあまねさんだと確かめています。

 でも、あのおばあさんと駅長さんは、この記事の女性は私だと断言するのです。

 私とあまねさんが取り違えられているのでしょうか?

 訳が分からなくなったわたしは、その事故の時に女性が運び込まれたという病院を教えてもらいました。

 タクシーで向かった先は、見慣れた総合病院でした。

 見慣れているはずです。

 「私が去年の年末に怪我で入院した」あの病院なんですから。

 私は、そこで大事なことを思い出しました。

 私の前髪の生え際に沿って走るひどい傷跡。

 去年入院した時のこの怪我は「何が原因で怪我をしたのか思い出せない」ってことを。

 病院でしばし待つことで、入院中にお世話になった主治医の先生とお話しできました。

 私が入院した当時の事をお尋ねしたら、難しげな顔で頭を掻いて教えてくれました。

 私が入院した怪我の原因がこの新聞の切り抜きの事故で間違いない事。

 そして意識を取り戻した私は、事故のことも含めて記憶を全て失っていたというのです。

寒川かんがわさん、あなたは確かに記憶を失っています。つまり、二度ほど」

 先生のお話を聞いている途中で気持ちが悪くなってベッドをお借りして横になっていたら、とても機嫌の悪いお兄ちゃんが迎えに来てくれました。

 家についてお兄ちゃんを問いただしたら「あまねさん」は私だというのです。


 理解が追いつきません、私は唯子ではないんでしょうか。


 おばあちゃん、私は一体誰ですか?

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