「私」という私(6)

 オフィス街の中の公園はむやみに広くて人通りが多い。

 その広い公園で行き違いにならないようにあたりを見渡すと「いただきます」なんて、のんきに手を合わせている唯子の姿を木陰のベンチに見つけることができた。

 ズカズカと近寄って有無を言わせずに隣に腰掛ける。

「ずるいな」

 驚きすぎて声も出ない様子の唯子の膝の上には、手のひらに収まってしまうような古びた小さなプラスチックの弁当箱が広げられている。

 その弁当を取り上げて、かわりに買ってきたばかりの焼き鮭弁当をのせてやった。

「ずるい」

 唯子の小さな弁当箱の中には、いんげんの胡麻和えと、玉子焼きと、豚の生姜焼き、ご飯は梅肉と白ゴマが混ぜ込んである。

 割り箸を割って、その弁当に勝手に箸をつける。

「……何がずるいんですか?」

 いろんなことに疑問符を浮かべているだろうに出てきた質問がそれなのか、と思いながら、食べなれた唯子の味のお惣菜を口に運びつつ答えてあげる。

「俺は唯子の手料理を食えないのに、他の奴には食べさせてる」

「それは……お仕事ですし……」

 もごもご言いながら唯子は焼き鮭弁当をつつきだした。

 しばらく黙々と箸を動かして小さな弁当箱を空っぽにして返して、唯子が弁当を食べ終えるのをぼおっとしながら待った。

 さすがの大食いの俺でも、弁当を二個も食ったら満腹になる。

 ここ最近感じなかった満腹感と体の片側の温かさにしみじみとひたっていると、いつも通り「ごちそうさまでした」と唯子が手を合わせた。

 膝に頬杖をついて隣の唯子を見る。

 化粧をするでもないのに色の白い肌に、暑さのせいか薄ら汗がにじんでいる。

 一つ結びにしたうなじにおくれ毛が張り付いていて、憎たらしいことこの上ない。

 俺が隣にいるというのに道行く男たちの視線を集めるという事実を、唯子自身は分かっていないのだ。

「唯子が『やりたいこと』って、弁当屋の経営?」

 つい意地悪な口調になる俺を咎めもせず、唯子が俺に体を向ける。

「違います。欲しいものがあるんです。お弁当屋さんはその為のアルバイトで……」

 唇を引き結んで、膝に置いた手を握りしめている。

 そういえば、お義兄さんが「あまねの時はともかく、唯子が自力で収入を得ようとしたことは一切ない」と言っていたのを思い出す。

 このバイトを見つけるのも始めるのも、唯子にとっては大冒険だったに違いない

「欲しいものがあるなら言ってくれればいいのに」

 ため息をつきながら言う俺に、唯子は膝に置いた手をもじもじさせていた。

「それは……ダメです。私のわがままで欲しいものなので」

「服? 指輪? もしかして高い鍋とか?」

 欲しがりそうなものをあてずっぽうで言う俺に、唯子は顔を伏せた。

「あの……ベッドを、換えたいんです」

 その言葉に虚を突かれた俺に、唯子は顔を上げた。

「あと、ソファも。壊れてもいないのに新しいものを買うなんてホントにいけないことだとわかっているんですけど、でも絶対にダメ。あと、ソファのカバーとか、枕もお布団もシーツだって全部、ぜんぶ……前のままじゃイヤ」

 いつも穏やかな唯子にしては珍しく勢い込んで、一生懸命に言う顔は真っ赤だ。

 ソファやベッドが「前のままじゃイヤ」って―――。

「つまり、その……」

 嫉妬は好意のしるし。

 弾む心を押さえつけつつ言葉を選ぶ俺から、唯子は顔をそむけた。

「唯子」

 顔を見たくて肩にかけた手は振り払われ、唯子は立ち上がった。

「ずるいのは好平さんの方です」

 弁当箱の包みを胸に抱いて、口はへの字になっている。

「私と結婚したのに、どうして前に付き合っていた人のもの、残しておくんですか?」

 唯子の問いかけに俺は口ごもった。

「それは……」

 うまく言葉にできず目をそらす俺に、唯子の涙まじりの声がふってくる。

「好平さんの気持ちが……全然わかんない……です」

 踵を返し去っていく唯子の足が視界から消えるのと、公園の時計が昼休憩の終わりを告げるのは、ほぼ同時だった。

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