「私」という私(2)

 家出をして7日が経ちました。


 梅雨の時期らしく、暑かったり寒かったり、しとしと降ったりかんかん照りになったりと不安定な天気が続きます。

 もうそろそろ衣類だけじゃなくて寝具も夏物の手入れをして、いつでも変えられるように用意しないといけません。

 吹き出す額の汗をぬぐいながら、ふと、好平さんの背広の夏支度はどんな風になっていたかしらと脳裏によぎりましたが、今はそれどころじゃありません。

 私が二度も記憶をなくした人間で、その記憶喪失の間に好平さんと大恋愛をしていた「あまねさん」である事実について検討しなければいけないのです。

 結局お兄ちゃんが一緒にいてくれたのは最初の一日だけで、あとは「子供じゃないんだから」と放っとかれていますから、ともに考え、悩みを分かち合う相手もいません。

 一人にされた私は家の掃除をして、庭木の手入れやご飯をつくって―――つまり今までと同じように一日を過ごしていますが、現状を黙殺しているわけではありません。

 家事の合間に卓袱台に置かれた指輪に向かいあって、来し方行く末を考えることを自分に課しています。

 ですが……考えれば考えるほど、自分が「あまねさん」だったということが受け入れられません。

 私が「あまねさん」だった時期に着ていたという服や装身具、使っていたお化粧品も見せられましたが、どれも実用性に乏しいものばかりで、こんなものを持っていたらおばあちゃんにどんなに怒られたでしょう。

 特に下着なんか派手で水商売の人が着けるようないやらしい色で。

 こんなものを自分が着て、おそらく好平さんにも見せたのかと思うと、穴を掘って埋めてしまいたくなります。

 そう! それに、好平さんの手帳には『あまねと寝た』と書いてありました。

 何を隠そう、私は誰とも、口づけだってしたことがありません。

 ならば、私はあまねさんじゃない!

 ……現実逃避してそう言っても、実際は「私が記憶していないだけ」なんですよね。

 きれいで朗らかでかわいらしい、好平さんが惚れ込んだあまねさん。

 そんな大事にしていた人の本性が、地味で自立していない可愛くない私だったなんて、さぞがっかりしたでしょう。

 私と接する時、いつも「あ」と言っていたあれは「あまね」と呼びかけたかったのではないでしょうか。

 今にして思えば、好平さんはいつも私の中に「あまねさん」を探していたんです。

 それでも、自分が自殺に追い込んでしまったのだと思い詰めて、口にすることができなかった。

 私と結婚したのも「自分のせいで電車に飛び込んでしまい、記憶を喪失した上に醜い傷まで残してしまった女に責任を感じたのだ」と考えると合点がいきます。

 それとも、もしかしたら何かの拍子に「あまねさん」の記憶が戻るんじゃないかと、奇跡を願っているのかも?

 ともかく、私の事故は自殺じゃない事だけは確かです。

 せめてそれだけは伝えて、好平さんの心の重荷を軽くしてあげたい。

 そして、その結果好平さんが望むのなら「夫婦」と言うこの関係を解消してもいい。

 そう考えをまとめて、手紙を書こうと便箋のしまってある自分の机の引き出しを開けた途端、あまりのことにぎょっとしました。


 引き出しの中はとてもごちゃごちゃとしていて、私が片付けたとは思えない状態に荒らされていました。

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