「夫婦」という関係(1)
『十五夜だけ見て十三夜を見ないなんて「片月見」じゃないの。縁起悪い』
『こういうのはね、ちゃんと両方見るべきなのよ』
そんな小賢しいことを説教くさく言って、女は「またね」と去っていった。
どうせ担がれたのだと思いながらも待ち合わせとも言えない不確かな約束を忘れかね、心の中で
日付を調べ、天気予報を確認し、定時で退勤できるように仕事を調整して……なんて、まるで小僧のような自分に苦笑いが漏れる。
仕事を終えて夜が更けて、がっかりしなくて済むように「まぁ、縁起物だから」と、変な笑いをこらえながら丘の上の石のベンチに腰を掛ける。
途中のコンビニで買った缶ビールは、悩みに悩んで三つにした。
二人で分け合うためじゃない。家の備蓄用に買っただけ。
そんな言い訳を腹の中で繰り返しながら夜空に上っていく月を見ていると、丘の下から呑気な声が聞こえてきた。
「雨にならなくてよかった」
髪の長い、色の白い、にんまりと笑う女がやってくる。
十五夜の夜の女・あまねは本当にやってきた。
無造作に隣に座ってくるあまねと缶ビールを開け、他愛もない話をする。
10月の夜の冷えた空気に、体の片側が温かくて心地よかった。
ふと目を落としたら、あまねの手の指先が赤かった。
思わず握った。
冷たかった。
俺と違う、つくりそのものが小さな手だった。
手を凝視している俺をクスクス笑いながら、もう片方の小さな手が俺の手を挟んできた。
酒や何かで温もった手が冷やされる。
絡みついてくる指先の力がキュッとこもる。
空いた手で引き寄せた肩は冷たく、髪は冷たくて、小さな耳だけは熱かった。
「好きだ」
見上げてきた目はじっと俺を見つめて、潤んでいた。
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5月10日
おばあちゃん、私、最近真剣です。
5月になってお仕事が落ち着いて、好平さんが朝早く出社しなくてもよくなったんです。
6時に起床して朝ご飯を食べて、7時半に家を出て間に合うんですって。
だから、朝ご飯も一緒に食べられるようになりました。
夜ご飯をたくさん召し上がる好平さんも朝はそんなに入らないようで、ご飯一膳とお味噌汁と小鉢物ひとつぐらいで満足のようです。
お昼はお仕事の都合で外に出て職場の方と召し上がることもあるようですから、そちらはそのままにしています。お弁当を持たせて傷んだものを食べてもいけませんし、職場のお付き合いも大切ですからね。
朝ご飯の席で、好平さんは食事をしながら今日の帰宅予定を教えてくれます。
私はそれを聞いてお天気と相談しながら今日の家事の予定や夕飯のお献立を考えます。
食後のお茶を飲んで家を出る好平さんをお見送りして、そこからは家事の時間です。
洗濯機を回してお掃除をして、お買い物に行って、夕飯の仕込みをしてお昼を食べて、お茶を飲んで、家事をこなしながら、はたと考えるのです。
好平さんは外で働いてお金を稼いできてくれています。
家にいられる時間は、一日のうちで12時間くらいです。
しかも、そのうちの6、7時間は睡眠時間だとすると、残り時間は5、6時間程度。
そこから朝晩の食事と身支度などの時間を引くと、好平さんの時間はどれほどあるんでしょう。
私は手早く家事を済ませてしまえば、いくらでも時間を編み出せます。
でも、好平さんには自由にできる時間がいくらもありません。
つまり、この生活のために好平さんの大事な時間を、言い換えれば人生をすり減らしてもらっていことになるんです。
夕食の後、ソファの背もたれに頭を預け、小さくいびきをかきながら居眠りをしてしまう好平さんを見ていると、本当に申し訳なくなります。
束の間の怠惰を自分に許している好平さんを背に、私は朝ご飯の用意をします。
今まではお夕食に全力を傾けていましたが今後はお夕食を少し軽めに、朝の汁物を具沢山にして、なんて、栄養のバランスをとることにします。
おばあちゃんは面倒だというかもしれませんが、そのくらいなんでもありません。
せめて不満なく家で過ごしてもらえるように。
すこしでも、好平さんの役に立ちますように。
妻である私の行動の第一義は、それに尽きるはずです。
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