「あ」の人(7)
4月28日 雨
おばあちゃん、最近二日に一度は好平さんと夕飯を一緒にとっています。
18時ごろに帰って来る好平さんの背広の始末をしてお風呂に入ってもらっている間に、温めなおしたお惣菜を並べて、ご飯とお味噌汁をよそいます。
湯上りの好平さんが部屋着に着替えて、テーブルについたらお気に入りの缶ビールをお酌して、あっという間に飲み干される一杯目にすかさず二杯目を注いで、それから「いただきます」と食事を始めます。
私が食事が遅いほうなのはおばあちゃんも覚えていると思いますが、好平さんは驚くほど箸の早い人です。そして、よく召し上がります。
いつも作る食事の量を、おばあちゃん曰く「大喰い」のお兄ちゃん程度だと見積もってお出ししてもあっという間に平らげてしまいます。お代わりのお茶碗を渡すたびに細い体のどこにご飯が入っていくのかと、まったく面食らいます。
食べ物の好みもなんとなくですがわかってきました。
今まで出した物を残されたことはありませんでしたが、好みだったものは箸が早くて、そうでないものは遅いのです。
豚の生姜焼きや下仁田ねぎの柚子ぬた、あんかけ肉団子、厚揚げと青菜の炊いたのはあっという間でした。
大体のお料理は同じくらいの早さで平らげられていきますが、ダントツに箸が遅いものがあります。
それは、カボチャの煮つけです。
カボチャの煮つけが出たが最後、私が箸をおく頃にようやく小鉢が空になるぐらい遅いんです。
好平さんは口をカボチャでいっぱいにして、モグモグと一生懸命咀嚼しています。
私はそれを見ないふりして、そっと空いているお皿を下げて流しに立ちます。
カボチャの煮つけは栄養価の高いお惣菜ですから、細身の好平さんには進んで食べてほしいのですが、嫌いとなると少し悩ましいところです。
それよりも何よりも、好平さんみたいな大人の男の人が難しい顔でかぼちゃと立ち向かい、無理やり飲み下そうとする姿がおかしくてしょうがありません。
私がお茶碗を洗うために台所のシンクに向かうと、好平さんが残してあった器をもってきてくれました。
よせばいいのに、私はそのタイミングでうっかり吹き出してしまいました。
そっと見上げた好平さんはムッとした顔でこちらを見下ろしていて、それがさらに私の笑いの発作を誘発させるのです。
肩を震わせながらお皿を洗う私の横で、洗いあがったお皿を仏頂面で拭いてくれる好平さんがなおの事おかしくて、どうしようもありませんでした。
「……アレルギーとかでは、ないですか?」
もし隠して食べているのなら一大事です。
今まで食べた後に発疹が出るとかそういった様子はないようですが、念のため確認すると「別に」とぶっきらぼうに答えてくれます。
であれば「カボチャ嫌い」が確定です。
それに「そうですか」と含み笑いをしながら返したら、急に後ろから腰をつかまれてしまいました。びっくりしたのとくすぐったいので手にしていた泡だらけのお皿を取り落とすかと思って慌てていたら、好平さんの頭が肩に乗ってきました。
ぐりぐりと頭を押し付けてくる好平さんは何も言ってきません。
それをするに任せていたら好平さんは「もう寝る、おやすみ」と不貞腐れたように言って北の部屋に行ってしまいました。
取り残されて一人になって、肩がすうすうと寒くなりました。
お皿を洗い終えた私は、私は好平さんにお詫びの手紙を書きました。
気を悪くさせたならごめんなさい、と。
初めてうちに来てくれた時に、カレーを褒めてもらって嬉しかったこと。
好平さんが一緒に食事をしてくれるのが嬉しいこと。
だから、好平さんが喜んでくれるようなお料理をしたいので、好きなものと苦手なものを教えて下さいと書いて、明かりの漏れる北の部屋のドアの下の隙間から手紙を差し入れてお風呂に入りました。
こんなことでと思いましたが、とても不安でした。
おでこにみっともない傷がある上に、私の何が気に入って結婚してくれたかわからないのに、とても高いという男の人の自尊心を傷つけるような真似をしてしまい、嫌われてしまったかもしれません。
心が沈んだままお風呂から上がって髪を乾かし南の部屋に戻ってみたら、私のベッド横の棚にレポート用紙が乗っていました。
白い紙には固い筆跡で「唯子のカボチャなら食べられる。でも、少な目にして」と書いてありました。
私はその紙を抱いてベッドに倒れこみました。
顔を枕に押し付けたら、少しひんやりしていました。
きっと湯上りだから顔が熱かったんです。
好平さんが頭を押し付けてきたのを思い出したからじゃありません。
決めました。私はきっとこれからカボチャは出しません。
カボチャなんて緑黄色野菜の一つにしか過ぎませんし、他のもので栄養を取ればよいのです。食べなければならないものではありません。
カロテンの摂取なんかよりも好平さんの心の平和を守る方が、よっぽど大事な私の役目ですから。
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