第3話

 すべてを用件を済ませたハルカは館の出入り口へと向かった。

 エルトルージェの方はもう準備を済ませて待っているだろう、とそう思ったハルカが目の当たりにしたのは彼にとって今、もっとも会いたくない人物だった。

 不機嫌さをこれでもかと露骨に顔に出すハルカとは対照的に、その男……次男エリオットは酷く小馬鹿にしたような笑みをにしゃりと浮かべていた。


――いやまぁ、家の中にいるんだからどうしても会うのはわかってたけどさ。

――な~んでよりにもよって最期がお前なんだよ……。

――もういいからどっかに行ってくれないかなぁ、いや本気でさ。


 相対してしまったからには、ハルカが否が応でも応対する必要がある。

 次男エリオットについて一番よく知っているのは他の誰でもない、長男のハルカだった。その時間は両親よりもひょっとすると多いかもしれない。

 エリオットはとても高慢な男である。この事実に嘘偽りはなく、この館に住み込みで働く従者であれば誰しもが周知していて当然すぎるほどに、エリオットは自身を絶対し、自分以外のすべてを見下す。例えそれが実の兄であろうとも彼にとっては塵芥も同じなのだ。

 同じ教育を受けているはずなのに、何故こうも差が出るのやら……ハルカはいつも不思議でならなかった。



「――、俺に何か用か?」

「いやぁ、ようやく元愚兄が消えてくれるからね。その見送りにきてやったのさ」

「いらんお世話だな。そんな暇があるのなら少しは当主らしくすればどうだ?」

「はっ! パパに選ばれなかったお前に偉そうに言われる筋合いはないね!」

「……そうか。まぁ今日から俺とお前はもう兄弟じゃない。兄貴じゃないから弟じゃないお前に偉そうに上から物を言う権利もないし、してやる義理もない――せいぜい頑張れよ」

「あぁ、そうだ。僕達はもう兄弟じゃない――だからだよ!」



 次の瞬間、エリオットが腰の剣を鋭く抜き放った。

 白銀に輝く真っ直ぐな両刃は鋭く空を切り裂く。その切先の向こうにハルカはいない。

 エリオットが抜き放つ前からハルカは瞬時に動いて距離を取っていた。

 兄妹で殺し合いをするなどエリオットは正気なのか!? ――こう尋ねる気さえもハルカにはない。何故ならば兄弟であった頃から常にあの手この手と画策して命を狙っているのを、ハルカはとうの昔から気付いていた。

 後継者争い……そのための有力者を暗殺することは、そう珍しい話ではない。

 エリオットはこれまでに数え切れぬほどのハルカ暗殺計画を企てた。

 毒殺、暗殺者への依頼、果ては冤罪などなど――その数は軽く見積もっても100を超える。

 しかしその100を超える魔の手からハルカは今日に至るまで見事生還を果たしてきた。


――こいつ、いろいろと画策してるけど全部詰めが甘いんだよな……。

――顔にすぐ出るし、あれじゃあ気付いてくれって言ってるようなもんだぞ?

――よくもまぁ、穴だらけの計画ばっかり立てられるもんだ。

――こいつは絶対に軍師には向いてない。軍師させたらその舞台は一刻ともたずして壊滅だな。



「はっはっは! クズの癖にしてよく避けられたなハルカ!」

「もう早速呼び捨てかよ。いや、今頃お前からお兄ちゃんとかいわれても嬉しくもなんともないからいいんだけどな」

「無駄口を叩いていられるなんて随分余裕じゃないか!」



 エリオットの剣が再びハルカへと襲いかかった。

 上段からの力任せの唐竹斬りに、ついにハルカも腰の得物を抜き放つ。

 ビャッと稲妻の如く迅速に抜き放たれた刀身は美しく滑らかな弧を描いた片刃。

 ハルカの得物は、葦原國あしはらのくにより代々伝わる剣……正式名称を刀という。折れず、曲がらず、それでいて大変よく斬れる――この3つの代名詞から成り立つ刀が、ハルカの愛刀だ。


 もちろん普通の愛刀ではない。

 何せハルカの刀はコモレビ自らが打った代物でもあるからだ。

 齢3才を迎えた誕生日の時、額にそっと接吻キスをして「いつか必ずハルカを護るから」と優しく語り聞かせた言葉と共に贈られたこの刀を、ハルカは現在でも愛用している。


 これはもう己の身体の一部なのだ。

 けたたましい金属音が鳴り響く。

 激しく火花をわっと散らした両者の刃だが、先にハルカの白刃がエリオットの腕を切り裂いた。

 ぱっくりと裂かれた袖の下、同様に刻まれた刀傷より鮮血が次々と滲み出てエリオットの腕を朱に染め上げていく。濃厚な血の香りが辺りに漂い始めたのとほぼ時同じくして――



「ぎ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」



 エリオットの断末魔にも似た苦痛の叫び声があがった。

 エリオットの傷はそれほど重症ではない。赤い汁の滴り様から一見すると重症に見間違えなくもないが、実際のところは一寸(およそ3cmほど)と傷にしては随分と小さいし、骨にまで到達すらしていない。

 なんだかんだといっても2人は血を分けた兄弟で、ハルカはエリオットの兄である。

 兄弟としての情が、ハルカに手加減をさせた。



「あぁぁぁぁっ! 痛い、痛い! 僕の腕がぁぁぁぁぁ……!」

「おいおい、真剣を抜いて斬りかかってきたのはそっちだし、だいたいその程度でぎゃーぎゃー喚いていてよく当主に選ばれたな……」

「腕が……腕ぇぇぇぇぇぇっ!」

「――、これはいったい何事なのだ!?」



 この騒ぎにゴルドを始めとする館の住人がぞろぞろとエントランスへ集まってきた。

 遅れてやってきた彼らが、どのような原因がこの現状が起きているか当然知る由もない。

 よって、エリオットがハルカへ襲いかかったものの返り討ちにあった――などとは思い至るはずもなし、ハルカがエリオットを斬ったと誤認するのは無理もない話だった。



「き、貴様ハルカ! エリオットに斬りかかるなど何を考えておるのだ!」

「勘違いしないでくれるかクソ親父。俺は別に何もやってないぞ。喧嘩を吹っ掛けてきたのはそっち、んで俺に返り討ちにあったんだよ」

「ば、馬鹿な……そんな馬鹿な話があってたまるか! 貴様のような男にエリオットが敗れるはずなど……」

「でも実際にそうなってるだろ……」



 過剰に戦慄くゴルドに、ハルカが向ける視線はとても冷たい。


――いや、確かにエリオットにもそれなりにできる方とは俺も思うよ?

――けど、その剣は隙だらけだし邪念がめっちゃ滲み出まくってるから読みやすいんだよな。

――これじゃあ雑魚ならともかく、達人クラスが出てきたら一発でアウトだぞ。

――クソ親父のやつ、そのこと本当にわかってんのか?


 ハルカとエリオット……公式、非公式を含めて彼らが手合わせした回数は200超えで、そのいずれもハルカが勝利を収めている。

 才能なら両者の間にそれほど大きな差はない。

 だが唯一決定的に分けたのは、2人の心構えだった。

 剣と共に生きる道を選んだハルカは、修練に余念がない。かつては朝から夕刻にかけてずっと修練に身を焦がし極限にまで達した疲労により倒れることもしばしばあった。

 一方でエリオットは自らの才を過信し、修練という修練を行ったことがない。彼は剣を握ったその日から訓練相手を務めた従者を完封している――だがこれ一度のみ。

 自分は天才だから修練なんてものは必要ない……このたった一度っきりの勝利を最後にエリオットは慢心と過信に囚われた。



「エリオット何をしておるのだ! それでも貴様は次期当主か!」

「パ、パパ……!」

「……クッ。仕方がない、さっさとこれを使ってその者の息の根を止めろ!」

「おいおい、とうとう殺しにかかってくるかよ……」



 我が子を平気で亡き者にせんとする、かつてではあれどゴルドの言葉にハルカはほとほと呆れた。そうして冷ややかな目線をゴルドに送っていたハルカの顔付きが、驚愕によって酷く歪まされる。

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