第2話

 十数年と住み慣れた自室と今日でお別れをする――いざ、改めて認識をしてみるとこれはこれでなかなか感慨深い。ゴルドからお払い箱扱いをされたハルカは、せっせと荷造りをしていた。

 その時のハルカの顔は相変わらず嬉々としていて、悲哀の感情いろを一切表に出さない。

 単なる強がりか? ――きっとそう思う従者も少なからずいるだろう。

 だが現実は正しく、ハルカはこの結末を心から受け入れていた。


――ようやく、この家からおさらばできるな。

――正直言って面倒事は嫌いだし、堅苦しいのも嫌だし。

――長男だからって家督継ぐの嫌だなって思ってけど、本当にラッキーだわ。


 それはハルカの母――コモレビの影響だろうか。

 遥か極東端の海に浮かぶ島国――“葦原國あしはらのくに”の出身である彼女もかつては流浪人だった。それが大陸に渡り、ゴルドと出逢い、ハルカとエリオットの二児をこの世に産んで程なくこの世を去っている。

 母がまだ存命していた頃、ハルカはよく旅の話を聞かされて育った。

 旅の道中での出会いや冒険、そして別れ……尽きることのなく、そして飽くことのないコモレビという物語じんせいはハルカの心情に多大な影響をもたらす。

 いつか自分も母のようにあちこちを旅をしたい、そして母の生まれ故郷である葦原の地へもいつか……思いは年月と共に膨れ上がりそして現在、見事に成熟した。

 旅立ちの時……ハルカは最後の荷物――大小の打刀を腰に差した。



「――、準備終わりっと……あ~いや、もう一つだけあったな」



 ぽんと膝を叩いたハルカは、荷物片手に自室に正真正銘本当の別れを告げた。

 廊下を歩いていると、何人もの従者達が頭を下げる。その刹那、皆が一様に浮かべたのは暗い、悲しみに暮れた表情かおだった。その挙措からハルカとの別れを惜しんでいることがひしひしと伝わり、ハルカも自分が如何に恵まれた環境下にいたかを改めて実感する。


――なんだかんだいっても、ここの暮らし本当に楽しかったよなぁ。

――エルトルージェもいたし、みんなもいたし。

――あのクソ親父とバカ弟はどうでもいいけど……。

――でも、母さんが死んでから親父がなんかおかしくなったんだよなぁ。


 あれこれと、今日に至るまでの人生を振り返りながらハルカが向かった先には、青銅製の扉がずっしりと来訪者たる彼を出迎える。

 ぎぎ、ぎぎぎ――重量感あふれる音を鳴らしてゆっくりと左右に開かれる扉。

 その隙間から差し込む光の延長には、一振りの剣が台座の上にてちょこんと鎮座している。

 宝剣アマリリス――ファムランテ家の家宝にして、当主の証たる剣。

 黄金の装飾はもちろんだが、最大の特徴はなんといっても刀身にある。

 肉厚で幅広い両刃は敵を倒すことに重きが置かれた剛剣で、その白銀の輝きはさながら月のように冷たくもどこか神々しい。

 その宝剣にハルカはまるで友人と接するかの如く、気さくに声をかけた。



「――、よぉアマリリス。久しぶり」



 物言わぬ剣に声をかける、この異様な光景に彼を訝し気に見やる者はきっといるだろう。

 常軌を逸脱した行為はエルトルージェでさえも不安を憶えるほどで、ゴルドが次男エリオットを選んだ要因もここにあるといっても過言ではない。

 だが、ハルカの瞳には確とその姿がありありと映し出されていた。



『――、お久しぶりですねハルカ』

「あぁ、数か月ぶりってところか。あのクソ親父が引退してからずっとここに閉じ込められっぱなしだったもんなぁ。もっと日が当たって景色が見える場所に保管すればいいものを……」

『あなたがそう言ってくれるだけで私は嬉しいですよハルカ』



 ハルカの瞳に映るのは剣ではなく、美しい女性としてのアマリリス。

 どういうわけかハルカには幼少期の頃より、剣に宿る意志を人の形として認識できた。

 もっとも、すべての武器が該当するわけではない。

 アマリリスは通常の製法とは大きく異なる、いわば特別な剣なのだ。


 属性付与武器エンチャントアーム――天鍛鋼オリハルコンを素材とした武器には不思議な力が宿る。世界の基礎である火・水・地・風……そしてそのどれにも属さない、稀有な力まで。そうした武器を属性付与武器エンチャントアームと呼称される。

 天鍛鋼オリハルコンは極めて珍しい鉱石であるので、その入手難易度の高さから値段も馬鹿にならない。短剣でも一振りあれば立派な館が立てられるほど高価格で取引される。

 アマリリスはその属性付与武器エンチャントアームなのだ。


――いつからかもう忘れたけど、俺には属性付与武器アマリリスが人として見えた。

――他の周りの奴らには姿はもちろん、声すらも認識できない。

――どうして俺にだけこんな能力が備わったのかは、今でも謎だ。

――でも、一つだけ言えるとしたら……アマリリスは超美人だってことぐらいだな!

――なんなんだよあれ……あの大きなメロンは。犯罪級だろ、今すぐ飛びつきたいわマジで!


 アマリリスはとても美人な女性だ。

 同性ならば彼女の美しさに嫉妬し、異性ならば誰しもが虜になろう。

 ハルカが巨乳好きになったのも、アマリリスが主な原因だったりする。

 巨乳は正義なのだ……ハルカはそう信じて疑わなかった。

 それはさておき。

 本来の目的を果たすべく、ハルカは咳払いを1つした。



「――、なぁアマリリス。実はさ、俺お前に言いたいことがあってきたんだ」

『私にですか?』

「……今日あのクソ親父が後継者を決めたんだ」

『まぁ! それでしたら――』

「あのバカ弟になった」



 ハルカがそう告げた瞬間、ぱっと花が咲いたアマリリスの顔はたちまち影がかかる。

 彼女が落胆の感情いろを示しているのは一目瞭然で、だがどうしようもできない現実にハルカは押し黙るしかない。

 やがてアマリリスもすべてを察したかのように、項垂れたまま『そうですか……』と力なく呟いた。



「――、そういうわけだからさ、俺この家から出なくちゃならないんだ」

『寂しく……なってしまいますね』

「あぁ。だから、その……元気でなアマリリス。もし縁があったらまたどこかで」

『……はい』

「――、あのさ!」

『……?』

「……いや、なんでもない。それじゃあ俺はもう行くから……」



 アマリリスの方へ振り返ることなく、ハルカはその場を後にする。


――……何を考えてるんだよ俺は。

――言えるわけないだろ、一緒にこないかなんて……!


 ハルカは愚かにも、アマリリスが次男エリオットの手に渡ることに嫉妬してしまった。

 アマリリスが単なる剣であったなら、こうも醜い感情を抱くこともきっとなかったに違いない。女性としてずっと接してきていたからこそ、他人に寝取られるような害悪な気分がこの時ハルカの心に誘惑という名の悪魔を生んだ。

 そんなに他の男の手に渡るのが嫌なら奪ってしまえばいいではないか、何を躊躇う必要がある? ――先程この甘い誘惑に少しでも心が揺さぶられた己を殴ってやりたい。ハルカは自らを強く叱責した。

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