第5話
今日の東尋坊は、風が気持ち良かった。岸壁から見下ろす日本海の波は意外と穏やかに見えた。
ここまで来る道は土産物店ばかりで、その先に東尋坊の尖った崖が見える。真ん中の道は、観光客をそのまま東尋坊に導いている。その道が狭いせいか、人で混んでいる感がある。
その中を高校生くらいの若い男が四人歩いて行く。一人がテントを背負い、ほかの三人もリュックを背負っているが、軽装で・・・仲間同士で卒業旅行にでも来たようだ。
そして、東尋坊に夜の闇が被いはじめると、この四人は東尋坊をぶらぶらしながら、テントを張る場所をそがしていた。夕闇が東尋坊を覆って来ると、少し焦って来ていたが、崖から奥まった所に松林があった。
「ここにしょう」
体の細い少年がいい、すぐにテントを張った。そこからは、東尋坊の岸壁も垣間見えて、いうなれば絶景の場所だった。夜のなっても緩やかな風が吹き続け、気持ちいい場所だった。
今日は早い目の夕食するようで、どうやらカレーのようだ。前日は小学校の校庭の端っこを借りた。男だけの夕食作りになる。疲れているし、ましてこんな場所での食事だから面倒くさいものは作る気にならない。
カレーは時間を掛けずに出来た。みんな腹が減っていたのか、すぐに食事は終わった。
「トイレがあった場所まで戻り、飯盒と鍋を洗って来るから」
それぞれが飯盒や鍋を持ち、
「山田、テントを見て行くれ」
と、三人が揃ってテントを後にした。
残されたのは、山田だけだった。
笠原めいが何のために、この東尋坊に来たのか、
「・・・」
龍作には判断し兼ねていた。
めいは両手で阿弥陀如来像を握り締め、時々意味不明の言葉を呟いていた。
「お経・・・?」
なのかもしれない。
めいは何かの場所を探しているのか、時々足を止めたり、何かに気付いたのかその方を見たりして、東尋坊を彷徨っていた。そんなめいに、
「どうしたんですか?」
龍作は尋ねた。
「いえ・・・」
この時、
「むっ・・・誰かが?あいつか・・・」
龍作は人の気配を感じた。この頃になると、この気配が誰だかすぐに推測はついた。
振り向いたが、誰もいなかった。だが、龍作は、誰かが近くに
(確かに、いる。あいつだ)
のは間違いなかった。
空にはまだ少し明るみが残っていたのだが、観光客はもうほとんどいなかった。それでも、歩くのに邪魔にならない程度の人は残っていた。
ウウ・・・
ランが立ち止まり、背後の薄闇の中に唸った。
「ラン」
龍作はランを制し、頷いた。
「泊まる所は決めているのですか?」
龍作は聞いた。
めいの返事はない。首を振ったように見えたのだが、その態度にきりっとした厳しい雰囲気があった。
龍作は首をひねった。
(何をしようとしているのか・・・)
馬場金作は、福井の生まれではない。というより、彼の出生地は、安濃警部が調べたが不明ということになっていた。
金作の父母は愛知県の名古屋に住んでいた。良く出来たいい両親で、金作を大切に育ててくれた。しかし、金作は、その両親の子供ではなかった。つまり、笠原めいと同じように施設で育っていた。詳しい素性は施設の人には分からない。施設の玄関に捨てられていたようだ。
その事実を、金作が知ったのは高校生になった時である。彼の養父母は、彼を大学に行かせてくれた。
金作に、その養父母に感謝の気持ちはあった。
金作には、そのことでいじめられたという感覚はなかった。しかし、自分の境遇は胸をはって他人に自慢できなかった。それを自覚していて、とことん意地を張って、何事につけても自分の気持ちを通し、また反抗をした。
その根底にあるのは、自分が親なしっ子だったという惨めな・・・彼は自分の境遇をそう判断していた。誰も金作をそう侮蔑したことはないのだが・・・
「だから・・・負けない。負けるものか」
という気持ちが、金作の心にいつも宿っていた。
「お前は、親なし・・・」
という罵りの言葉を、誰も彼に対してそんな言葉を発してはいなかった。単に、他人の眼を気にしていたに過ぎなかったのである。誰も金作がそんな境遇であると知らない。それに気付かなかっただけである。知っていたのかもしれない。
そんな時、勤めた会社に、笠原めいという女がいた。金作と同じ境遇だった。彼が総務課に配属されていたから、めいの経歴を知るのか可能だったのである。その経歴を見て、
「ふん」
と、金作は嘲笑った。
その後、金作は、
「こいつを、とことんいじめつくし、追い詰めてやる」
金作は、そうしてやる、と奥歯を強く噛み締めた。
あの日、笠原めいは突然いなくなった。
「ふっ」
金作は勝ったと笑った。だが、彼のめいへの追い詰めはここで終わらせる気はなかった。
「まだだ」
金作はとことん追い詰めてやる気だった。
めいの住んでいる住所はすぐにつかめた。
そこでも、彼は近所の家に電話を掛け捲り、
「あいつは・・・」
と、めいを追い詰めた。なりふり構ないかまわない金作の行動だった。
そして、笠原めいはそんな仕打ちに耐えられず、福井からいなくなった。
以後は、馬場金作にもめいの消息はつかめなかったようだ。
多分、金作にとってめいの存在にそれほど興味はなかったのかもしれない。
その後、金作が五十二歳の時、事故で死んだのである。国道の道を歩いている時、石につまづき、一瞬よろけた。その拍子に、歩道から車道に倒れた。大型トラックが真正面から突っ込んで来たのである。
龍作は安濃警部から、この調査の結果を受けた時、腹の底から唸ってしまった。
(人と人の交わる世界は・・・こんなものかも知れない)
人が生きるということは・・・実にしんどいことだ、と龍作は感じた。彼自身、そこから逃げ出したのだから、それなりに理解出来た。だが、馬場金作だが、
(死んだ人間が、なぜ、ここにいる?)
首を傾げざるを得ない。それに、
少女が、そこにいる。いつもの笑みを浮かべ、じっとめいを見守っている。
「あの子は・・・誰なんだ?」
山田少年はテントから出て、何かの気配のする方向を見た。
「何だ?」
そこには何かが浮かび漂っていて、人がいるように見えたのである。山田少年は眼をよーく凝らした。
浮かび上がったのは、小さな人影だった。
「女の子だ」
山田少年にははっきりと見えた。しかも、そこは崖の彼方で、闇に漂っているように見えた。
「お化け・・・」
こんなように、彼は思ってしまった。彼の体は固まってしまい、そこからうごくことができない。その場にへたり込んでしまった。
その女の子は、何をするでもない。少年に危害を加える気配もない。ただ、崖の彼方に浮かんでいるだけだった。
「ああ・・・あああ」
山田少年は這いながら逃げ出した。
「お化け・・・」
とは思わなかったようだ。
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