第4話

「さあ、行きましょう。拝殿は、もう少し、先ですか?」

龍作はめいに気を使い、肩に手をかけた。

「待って下さい。その前に、玄成院の「庭」を見て行こうと思います」

「えっ!」

龍作はちょっと躊躇した。が、

「分かりました」

「その「庭」は、私の好きな場所で、「庭」の苔に跪き、何時間も眺めていると淀んでいた心の中が透き通って来ました。久し振りに会いに行きたいと思います。そして、帰って来ましたと報告したいと思います」

 「庭」はしっとりとした濃い緑色に覆われていた。

「同じです。何年経ってしまっていても、この姿は変わっていません」

笠原めいは苔に跪き、眼を閉じた。


「ええ、拝殿は二の鳥居の先です。そして、その先に本社があります」

そこから見上げると、本社までの道が続いている。笠原めいの表情には安堵が広がり、

「やっと戻って来ました」

と、呟いた。

めいは石畳の階段をゆっくりと登って行く。苔の緑は眩しく輝いている。何百年も経ている杉が石畳の階段を囲むようにそびえていて。陽の光りは石畳の階段まで届かない。

おそらく、この人は何度となく、この石畳の道を拝殿に向かって歩いたことだろう。つまりこの人にとって平泉寺は、自分を支える存在だったのかもしれない。

彼方に朽ちた拝殿が見えて来た。

「あそこです」

石畳の階段は緩い勾配だったが、歳のせいだろうめいにはきつそうだった。それでも、めいは一歩一歩歩いて行く。

ビビはランの背中に乗ったまま顔を上げ、拝殿の方を見ている。ランは時々、やはり気になるのか、後ろを振り向いたりしていた。何かの気配は感じていたのだが、それ程鮮明な感覚ではなかったのかもしれない。

拝殿の前に着くと、笠原めいはここでも膝を曲げぬかずいた。阿弥陀如来像を前に置き、しばらく額を上げなかった。

時々、何の鳥か分からないが、快い鳴き声が耳に入って来る。この鬱蒼とした杉の樹林の中に日々渡っていた。その鳴き声の中に

ピ、ピックル・・・

「この人は・・・」

龍作は思っていた。

「ここに来たのは、この拝殿にぬかずくためだけてはない筈である」

めいが何を思い、何を願ったのかは分からない。聞いた処で、教えてはくれないだろう。

「これから、どうします?」

めいは何かが吹っ切れたのか、すっきりした表情をしていた。

「えっ!」

龍作の問い掛けに、めいは言い淀んだ後、

「東尋坊の方へ行きたいと思います。そこが・・・私の目的地です」

めいの眼付きはきっと鋭く光った。

「あっ、そうですか」

龍作はめいの心を読み取ろうとしたが、

「この人は・・・」

心を閉ざされてしまった。

「この人がこの先何をしようとしているのか、定かでない。しかし、このまま、この人を一人にするわけにはいかない」

この奇妙な思い付きは、龍作の計画に大きな変化を持たせることになる。

(仕方がないな)


今度の盗みは非常に難しい取り組みになるはず、と九鬼龍作は思っていた。そうかといって、一旦立てた計画をそう易々と断念する気はなかった。考えていた別の方法に切り替えるしかなかった。

「後のことは、安濃警部に任しておこう。あの男・・・結構やり手だから、大丈夫だろう。ピックルだけは残しておこう。私は、この人について行くことにする」

としたのだ。

この人の行き先ははっきりしている。しばらくは、ランとビビにこの人を守ってもらおう。

「この子たちを少しの間、頼みます。私は簡単な用事を思い出したので、しばらく離れます。すぐに帰って来ます」

というと、龍作は急ぎ、もと来た道を引き返して行った。

ピ、ピ、ピックル

龍作は急ぎピックルを呼び寄せた。

ピックルはすぐに反応してきた。


平泉寺の石畳から見上げる空は、まだ明るい。しかし、杉の樹木が、その明るさを遮断していて、濃い群青色の苔も手伝って地上はもう夕闇に等しかった。

「これなら、うまく行くだろう。そろそろ初めてもいい」

のだが、

「やはり・・・あの「庭」は残すべきかな!」

龍作は一の鳥居まで来ると、走るのを止めた。もう観光客はいない。清掃していた地元の人も、もういない。しかし、

「まだ、いるな」

玄成院に近くには明らかに警察官と分かる者が寄り集まっていた。もちろん、その中に小原警視正もいた。それに、安濃警部も、彼の背後にいた。

「ふふっ、全然緊張感がないな」

現場には張り詰めたものがなかった。龍作は左手を頭の辺りまで上げ、安濃警部に手を振った。計画は変更で、予備のものに変わるという合図である。

「みんな、驚くはずだ」

龍作の仲間は誰ひとりいない。その必要がないのである。ピックルが計画を変更したことを知らせたから、もう龍作の仲間はいない。ただ、いるとすれば、安濃警部だけといっていい。

「もう少しか・・・!」

安濃警部が空を見上げ、何かを呟く。まだ、少し空には明るみが残っていた。

「何か、言ったか?」

「いえ、何も」

その唇には笑みが浮かんでいる。

もう少しの時間は・・・すくに過ぎた。

「やるか!」

安濃警部が上着の内に手を入れた。

その次の瞬間、

玄成院を包もうとしていた闇が消えた。つまり、急に昼間のように明るくなったのである。

ピピ、ピックル!

安濃警部は空を見上げた。完全に闇に覆われている。それとは反対に、杉の樹木に囲まれている地上は、人間の眼に眩しいくらい輝いている。

「何だ、何が起こったんだ!」

小原警視正の低い濁声が響く。だが、残っていた警察官は、それどころではなかった。

「庭」が消え、そこに現れていたのは、杉の大木だった。「庭」に数本の杉の木が支配してしまった。

「何だ!「庭」が消えた!」

小原は墓前と立ち尽くした。

そこは間違いなく「庭」があった場所だったのだ。

「こんな太い杉の木はさっきまでなかったぞ。しかも、一、二・・・」

小原は杉の大木を数える気にはならなかった。

「あいつ、やりやがったな。それに、この真っ昼間のような明るさは何なんだ!」

ピ、ピ、ピックル

小原は聞き慣れた鳥の鳴き声を耳にした。

「あいつか・・・あいつが近くにいるのか・・・」

こう明るくては、何処で鳴いているのか、探し出せない。

ピ、ピ・・・

小原の頭の中は混乱している。鳥の鳴き声、この異常な明るさ、九鬼龍作が何処かにいるに違いない、そして、「庭」が消えた・・・何から対処していいのか、戸惑っている小原警視正だ。

「何だ!」

小原は素っ頓狂な叫び声を発した。

急に現れた杉の大木から、一つ目小僧、傘妖、赤鬼・・・などが現れ、踊り狂っている。

「可笑しい。こんな馬鹿なことがあっていいわけない。あいつが、何かをやっているに違いない」

そう、思うのだが、その九鬼が何処にいるのか見つけられない。

この騒動が三十分ほど続いた。

その後、真っ昼間にような明るさは消え、元の暗闇に戻った。

「何だったんだ!」

小原警視正は再び素っ頓狂な声を張り上げた。

「庭」は消えてはいなくて、元のまま残っていた。

小原はその場にへたり込んだ。

「あいつは・・・」

何をやろうとしていたんだ。

「ただの気まぐか!」

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