第3話

「昔は、ここ下馬大橋で馬を降り、下を流れる《じょうかわ》で身を清めてから、平泉寺に入って行ったようです」

笠原めいは立ち止まり、鬱蒼とした樹々で覆われた菩提林を見やった。

「樹木の年輪は相当経っているようですね」

めいは菩提林の樹木を見上げ、

「みんな、数百年は経っています」

めいは、まるで生きているようなものの言い方をし、手を合わせた。

「それぞれが、この平泉寺を見守り続けて来ています」

「行きましょうか」

龍作はめいに声を掛けた。

めいの返事はなかったが、菩提林の森に向かって歩き始めた。めいが自分の意志で歩いているのではなく、何かの大きな力によって引き込まれているようにも思えた。

すると、めいは布製の手提げバッグから白い風呂敷に包まれた何かを取り出した。

「それは・・・?」

「阿弥陀如来様です。ずっと私を守ってくれています」

めいは白い風呂敷を取り除き、阿弥陀如来像を両手で包み込んだ。

めいは阿弥陀如来の眼を見つめ、ちょっと悲しい眼をした。この人の生きた生涯が一気に襲い掛かって来たのかもしれない。

「行きますしょう」

というと、老女は微笑んだ。

ビビはランの背中に乗り、しがみついている。菩提林の神秘的な雰囲気に呑まれているようだった。龍作は笑みを浮かべた。

(この子たちにも、感じるものがあるのかもしれない)

菩提林の中に踏み込むと、急な静寂が襲い掛かって来た。しばらく歩いて行くと、所々に人がいて、腰にかごを縛り付け、落ちている小枝や葉っぱを拾い集めていた。その中に、

「あの子は・・・」

がいて、みんなと同じように小枝などを拾っていた。

「あの子が・・・いますね。やっていますね」

笠原めいの表情が和らいだ。

「私も、何度もここに来て、きれいにしました。平泉寺の方は寺としての収入がありますが、ここは、そんなものはありません。だから、私たちがこうやって奉仕して、きれいに維持しているのです」

「みんな、近くの人ですか?」

「誰もが仕事を持ち、休みの時にここに来ています」

見る限り、観光客が石畳の道を歩いている。その違いはすぐに分かる。一方は腰なり背中に籠を負っている。もう一方は何も持たずに話しながら、この菩提林の雰囲気に呑まれてただ茫然と歩いている。

不可思議な少女の近くにいくと、めいが、

「いい子だね。ありがとうね」

と、声を掛けた。

やはり、少女は何も言わないが、老女を見て、笑みを浮かべるだけだった。

「じゃ、行って来るからね」

と、言うと、めいはさらに奥に向かった。

しばらく行くと、白山平泉寺の石碑が眼に入った。

石畳の道はめいのような年老いたものには歩き難いが、めいは一歩一歩足の感触を味わっいるようだった。やがて、

一の鳥居がある。

龍作はあることが気になったので、後ろを振り向いた。

(あの男が・・・)

いた。

おかしなことに、あの男は一の鳥居から一歩も入って来ていない。

「・・・」

しばらくして、もう一度振り向くと・・・あの男はいなかった。

ランはそんな龍作を見上げ、小さく、

ワン

と吠えた。

「大丈夫だ。ちょっと気になっただけだ」

「クぅ・・・」

ビビはランの背中にしがみついたままである。

この時、

ピー、ピックル

「来たな!」

龍作は空を見上げた。杉の大木が白い筋雲のある空まで届かんばかり延びていて、その空の明るさが石畳の道まで届かない。ビビも、ピックルの鳴き声に気付き、見上げるが、何処にいるのか見つけられないのか、

ニャ、ニャー

と鳴くだけだった。

「よし、これでみんなそろったな。それてしても、私の狙い通りに成し遂げられるか・・・」

龍作は自分の立てた計画に自信があったが、一抹の不安があった。

今回も盗みが目的だが、処分してお金に換える気はなかった。また出来るような代物ではなかった。龍作も、それは理解していたのだが、今気になっているのは、なぜか・・・めいの存在だった。

笠原めいの生涯は安濃警部に調べもらっている。いずれ知らせてくれるだろう。

一の鳥居の先の左に玄成院があり、今は平泉寺の社務所になっているが、その横に簡単な柵がある。「庭」・・・庭園がある。司馬遼太郎氏の街道をゆく・・・越前の諸道によると、枯山水だが、気を衒っておらず、沙羅双樹やつつじなどで自然の漢字を出し、匠気を抑えているという。龍作は、そこが気に入って「庭」の盗みを試みることにしたのである。

龍作は並び立つ杉の樹林を見上げた。空の空間が狭い。そのため、辺りは鬱蒼としていて暗く感じる。また、誰もが一度はこれらの杉のてっぺんを見上げるが、首が痛くなるからそう何度も見上げない。見る限り、機材は杉の枝でうまく隠されている。

(すべてが順調だ。これなら、いいだろう。もう少し暗くなれば、準備は完了だ)

「いるな」

警察官のことである。観光客はまばらであった。それに比べ、警察官の数は多い。多いといっても、いつもの平泉寺の静寂を壊すものではなかった。

 「小原警視正にしては気を使っているな」

龍作は小原警視正を探した。近くにいる筈である。すると、社務所から、七十くらいの男とともに小原警視正が出て来た。

龍作の近くに来た。

「うぅぅぅぅ・・・」

小原警視正は唸っている。

「あいつ、何をする気だ?あいつのことだから、やる、と言ったら、必ずやるだろう。それにしても、この庭をどうやって盗む気だ」

小原は怒っていた。ゴッホの絵画を盗むという時にも、小原は呼び出された。今度は、

「この庭か・・・」

小原は深い溜息を吐いた。

「神職、これが、国が名勝として指定している「庭」なのか」

「そうです。でも・・・」

神職は言葉少なに答えた。神職にして見れば、この「庭」を盗むには、滑稽以外の何物でもなかった。巷に疎い神職だから、九鬼龍作がどんな人物が全く知らなかったし、知る気もなかったのである。

傍にいた安濃警部は、そのような当たり前の問い掛けをする警視正に、

「ふっ」

と、可笑しくて噴き出した。

「何だ!」

小原は警部を睨み付けた。

「あっ、何でもありません。失礼しました」

「それにしても、あいつは、こんな「庭」をどうやって盗む気だ」

多分、何処にでもある「庭」とでも、彼は思っているのだろう

神職は、でも・・・の後、言葉を言い淀んだ。

(今日に限って、なぜ、人が・・・観光客何だろうが、多いのか?)

彼らはカメラを持ち、仕切りにシャッターを切っていた。

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