第2話
笠原めいは、福井の勝山市の生まれである。
めいには小さい頃の記憶がほとんどなかった。いや、あったのかも知れないのだが、老女記憶からは消されていた。だが、よく言われる記憶喪失ではないようだった。
小さい頃、大きな地震があったらしい。ほとんどの家が全壊し、多くの人が亡くなったとめいは聞いていた。そのなかに、老女の家族もいたようだ。親戚はなかったようで、だからめいは施設で育った。
高校を出てから、めいは働きに出た。もちろん、勝山で、である。施設の紹介で、繊維の会社で働き始めた。小さな繊維会社であったが、めいは懸命に働いた。初めてもらった給料も嬉しくて、めいは泣いた。誰にも愚痴など言ったことはなかったが、自分は独りという精神的圧迫があったのだろう。施設でお世話になった先生に真っ先に知らせに走った。山田という女の先生だったが、自分のことのように喜んでくれた。
めいは自分がどのような境遇だったのか、はっきりと認識していなかったのだが、普通の人とは違っているのは、言葉に出来ないまでも分かったいた。だから、自分が施設で育ったことは、誰にも話していなかった。
そんな中、会社に入って八年ばかりした頃、めいは周りの人々の眼が・・・視線が気になりだしたのである。
確かに、
(私を、変な眼で・・・)
見ている。みんな、私を軽蔑しているようだった。彼女にはそう見え、感じた。
「なぜ・・・」
めいは、この疑問の答えをすぐには出せなかった。
めいには、会社の総務課に、とても仲良くしている事務員がいた。山本陽子といって、めいと同じに入社していた。その子が、
「めいちゃん・・・」
と、事の次第を説明してくれた。
めいはショックだった。施設で育ったのは事実だし、隠しても仕方のないことだった。
「でも、誰が・・・」
が、めいには気になった。それも、陽子は知っていて、
「馬場さんよ・・・きらい。有名な大学を出ていて、周りの人をすっごく軽蔑した目で見ているのよ」
といい、名前を言うだけでも汚らわしいのか、嫌な顔をして教えてくれた。
めいには、その名に聞き覚えがあった。知り合いというのではなく、誰からともなく冷たい視線を感じていたのだが、その先には馬場金作がいた。
(誰?)
知らない男の人であり、ましてこれまで話したことなど一度もなかつた。その人が、
「なぜ・・・」
と、めいは思った。
「知らないんだけど・・・」
と、めいは陽子にいった。
陽子は、
「気にしない方がいいわ」
と、慰めてくれた。
しかし、なぜだか分からないが、馬場のいじめは大きくなり、だんだんと冷酷さが増して来た。直接のいじめではなく、あることないこと、告げ口したり、電話を掛けては、めいを苦しめた。
そして、会社内では、めいを白い眼で見る人が多くなって来ていた。
めいは、馬場のそんな仕打ちに堪えられずに、ついに会社辞めてしまった。彼女は四年ばかり謂れのない仕打ちに我慢したのだった。
逃れる必要がなかったのだが、めいは逃げた。施設で育ったことに引け目を感んじいたのかもしれない。
(ああ、これで・・・)
と、めいは安堵した。しかし、馬場のめいへの追及はまだ続くことになる。
めいは代々の土地はあったが、地震で平地のままだった。いつだったか、めいは、その土地に行き、
「ここが、私の家だったの・・・」
微かだが記憶に残っていた。めいは座り込み、泣いた。泣いた所で、どうしようもないのは分かっていたが・・・。この時、めいは、何かの声を聞いた。気のせいではなく、確かに彼女は・・・聞いたのだった。彼女はこの声に導かれるように歩いて行くと、そこは、仏壇のあった所で、なぜか彼女ははつきりと覚えていた。まだ声は聞こえていた。彼女は、そこを手で掘った。冬の寒い時期で、めいの柔い手がはじけ、痛かったが、それでも彼女は掘り続けた。
そこには、高さ十センチくらいの仏像が出て来た。何年も土の中に埋まっていたせいか、泥がこびり付いていた。でも、その仏像の眼は金色に光り、(自分を優しく見守るように見て・・・よく来てくれたね、と言っているように、めいには思えた。
アパートを借りて生活をするしかなかったのだが、部屋に帰り、その仏像を何度もきれいに洗った。その夜は仏像を抱いて、寝た。不思議と、よく眠れた。めいにとつて、一瞬の安らぎの時間だったし、以後も仏像に助けを求めた。仏像は、阿弥陀如来だった。
だが、馬場の追及は終わらなかった。
馬場がめいの住所を調べるのは、簡単だった。今度は、アパートの住人に謂れのない噂を流されてしまい、遂にはアパートを出て行くしかなかった。
それでも、めいが二十八歳の時に、榊文雄という男と知り合い、一緒になった。文雄は優しい男であった。子供は出来なかったが、幸せな時間が続いた。
(どうか、このしあわせが・・・このままずっと続いてほしい)
と、めいは願うのであった。
その時間も、馬場によって壊されてしまう。
「なぜ・・・あの人は、私をこんなに苦しめるの・・・」
めいは泣くしかなかつた。こうなれば、
(なぜ、私をいじめるのか・・・)
直接、馬場にきくしかなかった。そこで、めいは思い切って、馬場の会社帰りを待ち、
「なぜ・・・」
と、馬場を問い詰めた。
その時、馬場は口を歪め、こう言ったのである。
「俺は、あんたのような親なしが嫌いなんだ。それだけの理由さ」
めいは愕然とした。
彼女は呆れて、言い返す気にならなかった。何もすきで、こんな境遇にいるのではなかった。
めいは勝山を離れた。住み慣れたこの勝山が、彼女は好きだった。遠くの白山を見ていると、心の底から安心感が得られ、白山に被る白い雪に心がいつも癒された。でも、ここにいる限り、この男は私に付きまとい、私を苛め抜くだろう。
「もう、これ以上は・・・無理だった」
彼女の限界だった。
そして、数十年が過ぎた。
「あら、きれいな子猫ちゃんね」
その黒い猫は子猫ではなく、成猫である。その眼が、甘える目で老女を見ていた。
老女は足元にいたその黒い猫が、自分を見上げているのに気付き、抱き上げた。
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