第3話 朝月夜

電子的なチャイムが耳に馴染み始めた。

机に接続していたタブレットを新しめな学生カバンに詰めると、慣れない硬さが手の甲に触れる。

その重量物をカバンの中で拾い上げる。

黒い光沢は陰の中でも鈍く光る。

日常の中では異質なそれは、実際の輝き以上にその輪郭を浮き立たせている。

はぁ、と不意に漏れかけた溜息を飲み込みように背を伸ばすと

数日前のアーマズでの出来事を思い出して気が滅入る。

転入初日とこの間の件で、俺の頭部は二度に渡って激しい衝撃を受け、

その度に俺の意識は飛ぶか飛びかけている。

「響~。お疲れ。帰ろうぜ」

「あっ、鷹野君。ごめん。これから先生に頼まれた事があるから先に帰っていて」

「そっか」

鷹野君は僕の返答を聞くと軽く頷き、その場を後にしようとすると。

「あれ?獅子神さんは?」

いつも鷹野君の隣でやりたい放題していて離れない獅子神さんがその姿を現さない。

セットで見慣れてきた二人が片方欠けていると、とてもさみしく思える。

心なしか鷹野君の顔もさみしそ・・・・いや、少し安心している?

「獅子神はクラスの女子達に呼ばれたからってさ」

「そっか。じゃあね」

「おう。また寮でな」

そう返すと鷹野は珍しく一人で教室を後にした。

少しだけ違和感を覚えたが、内心安堵した部分が大きかった。

最近は大体鷹野君達と自室意外は生活を共にしている為、

またいつ後頭部に重い一撃を食らわせられるのではないかと内心気が気でない。

みんなから愛される快活金髪美少女である彼女への僕の印象は最悪だ。

アレは事故だと思っていた。

しかし、そうではないかもしれないと思い始めていた。

頭部に衝撃と共に鈍い打撃音が響いた瞬間、歪む視界には

かすみのように、わずかな陰落とす笑みを浮かべていた。

「あれは・・・・」

あの顔は、一体何だったのだろうと悪寒を背筋に走らせながら記憶を頼りに思考を巡らす。

そもそもあれは事故なのか?あの笑みの意味は?

彼女への恐怖心を払拭するためには?そもそも恐怖心を悟られないようにしなくちゃ。

そんな事で頭がいっぱいになっている間に、仕事を済ませ先生に報告し教室に戻ろうと校舎裏を歩いていると。

獅子神と三名の女子が話をしていた。

アレが例の友達かな。

悪寒が増したが、興味本位で足を止め見つめていた。

彼女らから嫌な雰囲気を感じられたため、巻き込まれないように物陰に隠れておく。

この島の人間は気配や視線に非常に敏感。

視線も外して、息を抑える。

この状況はおそらく・・・・・・。

「何度も言わせるなよ?」

痺れを切らした女子生徒が大きく怒号を上げる。

ある程度の距離を取らないと気付かれるため、大きく声を上げない限りは話の内容は分からない。

だが、雰囲気と状況的に推測できる。

鷹野君は文武両道で人当たりも良い、顔も良し。

男女問わずまわりに人が集まる。つまりモテる。

遠目だったから確証はないが、あの三人はカースト上位陣。

鷹野君に好意がある一人がトラブルメーカー獅子神さんが邪魔だからと、

プレッシャーを掛けているんだろう。

さながら獣同士の喧嘩。

相手の所有物を我が物としようと、集団で圧力を掛け、場合によっては暴力で全てを解決する。そんな空気がここまで流れてくる。

これがキャットファイトってやつか。

だが困った。逃げ出すタイミングを見逃した。

少しでも動けば気付かれて、最悪な場合いじめに発展する。

過剰な考えかと思うが、あんなバスケの悪質な数人ブロックのような

詰め方をする連中がどうするなんてロクな事ではない。

かといって、この場に居続けるのは・・・。

今、・・・・・・何か?

思考を巡らせていると、視界の端に違和感を覚えると同時に、さっきまで感じていなかった気配が筆から落とした絵の具の様にジンワリと滲み出てきた。

まぶたを開くのが恐ろしい。

何故、気配を消して隠れている僕に近づいているのに今現在、

声も掛けず、体にも触れず、ただ気配を徐々に色濃くするだけなのだろう。

恐怖。まさに恐怖。

期末テスト前日に出題範囲を数ページ分間違えていたときのような、

焦燥感と恐怖心、そして絶望感。

僕は、この眼で気配の正体を、

「ふぅんぬ!!」

きびすを返し、気配に背を向け、勇気を胸に駆けだした。

地を蹴るつま先には力が込められ、ブレザーの裾が翻る。

およそ45m走った頃だろうか、

「まってよ」

聞き覚えのある声と共に背を軽く叩く感触。

衝撃と諦めを感じ、ゆっくりと足を止める。

追いつかれたことに驚いた。が、驚いたのは追いつかれた事自体ではなく

驚いたのは、少しずつ気配がよってくるのではなく。

20m近く距離が開いてから一気に背後にいたことだ。

算数の文章問題で間違えられて超人的速さになった「たかし君」のような速度差で

追いかけっこをした結果、僕は「たかし君」に負けた。

「ねぇえ、ねえってば」

覚悟を決め、僕は見当の付いている「謎のたかし君EX」の方に振り返る。

「やっとこっち見た」

短めの金髪とスカートを揺らし、不服そうな顔で獅子神さんは言葉を続ける。

「なんで急に逃げるの?いきなり走り出すからびっくりしたよ」

いつものような、爽やかな笑顔で楽しそうな声色を放つ。

怒っているな。話し方に異常は無いが言葉の節々に冷たい重圧が漏れ出ている感じがする。

いや、驚いたのはこっちだよ。

気配やらを消して追跡する人間は知り合いだろうと無かろうと恐怖の対象なりうるよ。

「こんな所で何してるの?」

「先生に頼まれていた仕事が終わって、今から帰るところで」

そう答えると

「こんな校舎の柱の陰に隠れて立っていたのは何故?」

口は笑っているが目が笑ってない。

答えに悩んでいると続けて

「さっきの見ていたの?」

「見ていたんでしょ」

「ねぇ、言ってくれないと分かんないよ?」

「どうしたの?答えられないの?」

いや、恐い恐い恐い。

何この子?!なんか段々と口の笑みも薄れて目が黒ずんできたんだけど?!

「見てないよ」

必死に取り繕い、顔や仕草を平常に整えるが。

「嘘なんでしょ?」

見切られた。

もういやだ。さっきからこの子の声色だけ優しいまんまなのが逆に恐いんだけど。

恐怖心から獅子神さんから視線を外すと、さっきの三人組が地面に転がっていた。

いっそう恐怖が心を深く強く支配する。

「なんでのぞき見しているのかな?」

学園生活への不安から自身の生死の不安に変化した。

「ねぇ、ねぇ、ねぇ」

あんたなんかの妖怪か?!

先の見えない不安が人生という曖昧なタイミングではなく、今現在に直面すると

人はからになるという教訓を今得た。

笑顔を絶望に染めながら、何とか逃げ出す術を考えていると

「おーい、おまえらそこで何やっているんだ?」

遠くで呼んでる声がした。

そちらを見ると、大きく手を振る鷹野君がいた。

目の前にいる獅子神さんは少し遅れて、

「大地こそなにやってんのー?!」

いつも以上に満面な笑みに万華鏡の如く移り変わる。

「?!」

「忘れ物取りに来た」

「じゃあ一緒に帰ろー」

「じゃあ、早くこーい」

獅子神さんは振り返り、そのままの笑顔で

「さっきの事を大地に言ったらどうなっちゃうのかなぁ」

と僕にだけ聞こえるように呟き、ポケットのカッターをちらつかせていた。

助けて下さい。

そんな悲痛な叫びを飲み下し、転がっていた三人を横目に、

鷹野君に駆け寄る獅子神の背中を追った。

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