走る凶気が私を殺りにくる
三浦晴海
第1話
一
【■月■日 ■時■分 ■■■■■】
アスファルトで
国道にしては整備不足の目立つ悪路だが、付近一帯には他に主要な道はなく、近隣で生活する人々にとっては貴重な生活道路となっていた。
激しい雨の降りしきる夏の夜。
停車する車の左側はなだらかな山の斜面となっている。林業従事者のための小さな作業道か、森の奥に
斜面を少し登った先にある、やや平坦な林の片隅に、うっすらと光が
電灯の下には、黒いレインコートが立っていた。
木々をすり抜けたわずかな雨が、ぽたぽたとフードに落ちている。レインコートはそれに気を
レインコートの足下には、大きな黒いゴミ袋が三つ落ちている。口部は固く縛られているので中身は見えないが、かなりの重量があるらしく底が泥に沈んでいた。水切りが不十分な生ゴミが大量に入った状態に似ている。雨に濡れそぼったその
蒸し暑い熱帯夜だったが、雨が降っているせいか鳥や虫の声はなく、穴を掘る音以外には葉を打つ雨音しか聞こえなかった。疲れを見せることなくショベルを動かす姿には無駄がなく、作業にも慣れた様子が
やがて充分な穴ができあがると、代わりに積み上げられた近くの盛り土にショベルを突き立てる。そして空いた手で足下のゴミ袋を一つ引き寄せると、縛った口部を解いて持ち上げて、中身を穴の中に落としていった。どぼどぼと、
三つのゴミ袋の中身を全て捨て終わると、再びショベルを取って今度は盛り土を穴へと戻し始める。これも掘っていた時と同じく黙々と、慣れた手つきで作業を進めていった。雨を吸った土は重く固まり、半分ほど液体に満たされた穴の底へ沈んでいく。濃い土の匂いと、森の匂いと、強烈な腐敗臭が辺りに立ち込めていた。
その時、ふとレインコートの手が止まる。
穴からやや外れたところに、見慣れない物体が落ちているのに気がついた。
ショベルを残りの盛り土に突き立てると、右腕を上げて頭上に吊した電灯を引き寄せて枝から取り外す。この暗がりではほんの数歩先も光が届かず、物体の正体も判別できなかった。掘り返された木の根の
それは切断された、人間の右手だった。
手首から指先までの
レインコートは腰を屈めると、左腕を伸ばしてその手を摘まみ上げる。まるで
そのまま数秒間、微動だにしなかった。
ひとしきりの観察を終えると、その右手を穴の中にぼとりと落とす。電灯を再び頭上の木の枝に吊すと、ショベルを取って残りの盛り土で穴を埋めた。掘った時よりも地面は盛り上がったが、いずれは周囲と変わらない高さまで下がって見分けが付かなくなる。たとえ不自然さがわずかに残ったとしても、この広い森では誰の目に
全ての作業を終えると周辺に明かりを巡らせて、他に見落としはないか確認する。何も問題ないと分かるとショベルを持ってその場を離れて、斜面を下って停車していた車へと向かった。後部のハッチを開けると新品の黒いゴミ袋を広げて、着ていた黒いレインコートと、履き替えた長靴と、中身を捨てたゴミ袋を収める。ショベルは
ハッチを閉めて運転席へ回って車に乗り込むと、息を付く間もなくエンジンをかける。眠るように
山深い森林に再び雨の音だけが響く静寂が訪れる。
この日、この時間、ここで起きたことを知る者は誰もいなかった。
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