第3話 過去の音と血の匂い
耳の中に雨の音が響き渡る。
鼻の奥には血の匂いが、手の中には冷たく思い感触が。
ああ、またこの夢か。早く目が覚めてくれ。
そう思ったところで、自分の意志では目覚められないのが夢というものだ。
もう何度も見てきた光景なのに、どうしてまた同じ景色を見せるのか。
お願いだからもうやめてくれ。ここで目が覚めてくれ。
「お願いだから、これ以上俺にこの光景を見せないでくれ……」
璃空の悲痛な願いを無視するように、腕の中にいる誰かの顔が鮮明になっていく。
そこにいたのは、血まみれになった自分の姉、鳴神(なるかみ)未空(みく)だった。
「あ、ああ……ああああああ!!!!!」
璃空はボロボロと涙を流しながら、未空の身体を抱きしめた。
何十回、何百回、何千回見ても、きっと自分は涙を流してしまうだろう。
そんな二人に近づいてくる足音が聞こえてくる。
璃空はゆっくりと顔を上げて、近づいてくる人物を睨みつけた。
殺意の視線を受けた影は、ニヤリと笑ってその場を去った。
そのまま、璃空の視界は暗転し、暗闇の中に落ちていった。
◇
「っ!!」
目覚めた璃空の視界には見慣れた天井が映っていた。
しかし、寝覚めの悪さは慣れたものではなかった。
服は汗に濡れ、布団はあらぬ方向に吹き飛ばされていた。
そして、時計は起床時刻を大幅に過ぎた時間を指し示していた。
璃空は自分の置かれた状況を理解する。
つまり、遅刻確定だった。
「はぁー……最悪だ……」
ボサボサになった髪をかき乱してベッドから立ち上がると、机の上に置いてある携帯を確認する。
そこには予想通り、花梨からの大量の着信履歴と、「もう先に行ってるからね!! バカ!!」というメッセージが表示されていた。
あとで小言を言われることを覚悟しながら、とりあえず璃空はシャワーを浴びるために浴室に向かった。
◇
家を出る頃には、既に始業の時間だった。
璃空の家から学校までは歩いて20分ほどの距離である。
眠そうにあくびをしながら、璃空は通学路をのんびりと歩いて行く。
東京都蓮天市(れんてんし)。璃空が住む街は都内の中心から少し離れた場所にある街だった。
慌ただしく歩く人波に合わせて、進んでいく璃空はふと足を止める。
急に足を止めた彼に、人々は苛立たし気な視線を向けたり、舌打ちをしながら進んでいく。
それでも璃空は立ち止まってしまった。
視線の先。ビルとビルの間の路地から、喉の奥にこびりつくような血の匂いを感じた気がした。
花梨がそばにいるときならここで路地に進もうとは思わないだろう。
しかし、今は璃空一人。璃空は、人波をかき分けて路地へと進んでいった。
路地は昼間とは思えないほど暗く、まるで別世界に足を踏み入れたような感覚だった。
一歩進むごとに、先ほど感じた匂いが気のせいではないと実感する。
「くっ……」
徐々に濃くなる匂いは、否応なく過去に記憶を呼び覚まさせる。
不調を訴え始める身体をどうにか動かし、奥に進んでいく。
そして、血の匂いに混ざって、ぐちゃぐちゃという不快な音も混ざっていることに気が付く。
その音に、璃空の警戒心は最大まで高められる。
一瞬で霊力を張り巡らせ、この先にいる何かを迎え撃つ準備をして、璃空は奥に進んだ。
そこにいたのは、自分と同じ制服を着た少年だった。
璃空に気が付いて振り向く少年は血にまみれ、足元にはぐちゃぐちゃになった肉片があった。
込み上げてくる嘔吐感に遅れて、璃空を襲ったのは動揺だった。
ゆらりと立ち上がり、獣のような動きで近づいてくる少年は璃空のよく知る人物だった。
「お前……悠斗か……? 玉梓悠斗だよな……?」
「り、く……!? うっ──」
璃空の言葉に玉梓の獰猛な瞳に光が灯る。
そして、自分の足元に散らばる肉片と、身体中にこびりついた返り血を見て、胃の中の物をぶちまけた。
「お、おい……」
「っ!! 来るな!!!」
明らかに様子のおかしい悠斗に駆け寄ろうとする璃空を、彼は必死の形相で止めた。
悠斗はゆっくりと後ろに後ずさりし、苦しそうに胸を押さえていた。
「悠斗……」
「……笑っちまうよな。お前の言う通りになっちまった」
「まさか、お前……見たのか? 人食い鬼を……!?」
璃空の言葉に答えず、ただ笑っただけだった。
その笑顔の裏にどんな感情が渦巻いているのか。
想像するだけで、胸が締め付けられる。
しかし、ここで立ち止まっている場合ではないことは誰が考えても分かることだった。
聞きたいことも考えなければいけないこともたくさんあるが、とにかくここから逃げようと周囲の霊力を探った瞬間、璃空は息を飲んだ。
いくつかの強い霊力がこちらに向かって来ていた。
悠斗もそれを感じたのか、璃空に視線を向けていた。
その瞳には、理性を失った獰猛な暗さが戻り始めているように感じた。
どうやら悠長に逃げている時間はなさそうだと、腹をくくった璃空は口を開く。
「悠斗。その衝動、どれくらい抑え込める……?」
「あと一、二分ならどうにか……」
「分かった。だったら、少しの間そこに隠れていてくれ。どうにか逃げる時間を稼ぐ」
璃空は悠斗の背後にある物陰を指さす。
二人がいる路地は行き止まりになっており、ここに来るためには璃空が入ってきた場所から来るしかない。
接近している全員がここに来てくれるのがありがたいが、恐らく入り口を塞ぐ担当と調査に来る担当の二手に分かれるだろう。
こちらに接近しているのが気のせいだったり、悠斗に気が付かないことが最良なのだが、どうなるかは分からない。
「なっ!? おまっ……いや、分かった……」
悠斗も璃空のやろうとしていることが危険なことは即座に理解できた。
しかし、自分の状況を理解している悠斗は、出かかった言葉を飲み込んで、背後の物陰に隠れた。
それを確認した璃空は、深呼吸をして、背後を振り返る。
璃空の瞳に映ったのは、胸に『Orpheus(オルフェウス)』と刻まれた隊服を着る二人の男女だった。
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