第2話 豆腐と風船

 「はぁ……頭割れるかと思った……」


 「寝てた璃空が全面的に悪い!!」


 「か、花梨は厳しいなぁ……」


 璃空は額を押さえ、ぼやきながら歩く。

 その隣で璃空のことを怒る少女は、璃空の幼馴染である唯月花梨(ゆづきかりん)。

 そして、そんな彼女を宥めるのは、璃空の親友である玉梓悠斗(たまずさゆうと)。

 三人は、あーだこーだ騒ぎながら、食堂に向かっていた。


 「なあ、豆腐って絹と木綿があるじゃん?」


 「うん」


 「何で二種類も作ったんだろうな。別に一種類でよくないか?」


 「心底どうでもいい。食べれればいいでしょ」


 そんな璃空たちの前に、見覚えのある二人が現れた。

 二人は、くだらない話をしながら食堂に入ろうとしていた。


 「おーす、鏡真(きょうま)」


 「おう、三人とも。って、どうしたんだそのおでこ……」


 「あー……璃空は居眠りしてて、チョークを二発ほど叩き込まれたんだよ……」


 「馬鹿すぎる」


 「でしょ!? 沙織(さおり)からも言ってあげて!!」


 二人の名前は、白蓮鏡真(はくれんきょうま)と篠宮沙織(しのみやさおり)。

 クラスは違うが、全員が中学からの付き合いだった。


 「ばかかみ」


 「誰がばかかみだ!!! ぶっ飛ばすぞ!!!」


 「君には無理だよ」


 花梨に言われたとおりに、璃空を煽る沙織。

 その簡単な挑発に、璃空は簡単に乗ってしまう。

 そして、そんなそりの合わない二人のやり取りにため息をつく三人。


 「そんなところで喧嘩してないで早く行こうぜ……もう腹へってしょうがない……」


 「まあ、あの二人は置いて行っていいんじゃないかな?」


 「席取っとくねー」


 にらみ合う二人を置いて、花梨たちはさっさと食堂に入っていってしまう。


 「……」


 「……」


 三人に置いて行かれた二人は、少しの無言のあと、冷静になり、咳払いをして向き合う。


 「……豆腐って、何で二種類あるんだろう」


 「……その会話、傍から見たら意味分からないから、やめた方がいいぞ」


 そして、先ほどの意味の分からない会話を振られた璃空は、困惑しつつも、談笑しながら食堂に向かった。


 「……で。何で君も麻婆豆腐頼んでるの?」


 「お前が豆腐の話したからだろ……!?」


 食堂にやってきた璃空と沙織は、示し合わせたわけではないのだが同じメニューを注文していた。

 そりが合わないくせに、こういう所で似ていることが、腹立たしいと思いつつ、璃空たちは、先に行った三人がいるテーブルにやってきた。


 「──って! 何でお前らまで麻婆豆腐頼んでんだよ!!」


 そこで二人を待っていたのは、三つの麻婆豆腐だった。


 「いやー、何か豆腐の話を聞いてたらつい……」


 その光景に、璃空は思わず突っ込んでしまった。

 悠斗は、璃空の突っ込みに苦笑いをする。

 しかし、その正面にいる花梨と鏡真は真面目な顔で、麻婆豆腐を見つめていた。


 「おい、花梨。この麻婆豆腐は絹だぞ……!!」


 「本当だ……。でも、木綿を使ってるやつだってあるよね?」


 「くっ……一体、どういう区別があるんだ……!!」


 バカ真面目に豆腐について考察する二人に、璃空と沙織はため息をつく。


 「いや、知らんが? 何でお前は、そんなに豆腐の話題を引っ張るんだよ」


 璃空は今日一番の冷たい声で、豆腐の話題をバッサリと切り捨てながら、悠斗の隣に座った。


 「あと、沙織の横は私の席だから。どいて」


 「相変わらずお前はひでえな!?」


 そして、沙織は花梨の隣に座る鏡真を冷たく見下ろして、その席を奪い取った。

 席を奪われた鏡真は、璃空の隣に座って、食事を始めた。


 「結局、何で豆腐の話してたんだ?」 


 「ん? ただ気になったからだけど」


 「……あっそ」


 どうやら、鏡真の話題は突発的な疑問から来たものだったらしい。

 五人は、同じメニューを食べながら、授業の話やクラスであったことなどを楽しく話していた。

 すると、沙織の携帯が鳴る。


 「……ごめん。私、帰る」


 その着信相手を見た沙織は、急いでご飯を食べて立ち上がった。


 「あ、うん。お仕事? がんばれ」


 「うん。ばいばい」


 花梨の言葉に頷き、沙織はその場を後にした。


 「あいつも大変だな」


 「ね? 事件が起きるたびに呼び出されるんだから、大変だよ」


 璃空と悠斗は、遠くなっていく背中を見ながら、他人ごとのように呟いた。


 「……鏡真くん? どうかしたの?」


 その背中を、冷たい目で鏡真が睨んでいるのを、花梨は見てしまった。


 「あ、いや。何でもない」


 何かあったのかと問いかける花梨だったが、鏡真は何もなかったように、いつも通りの笑みを浮かべた。

 そのまま、麻婆豆腐だらけの昼休みは終わりを迎えた。



 「あれ、璃空? もう帰るのか?」


 教室で帰り支度をしていた璃空に、隣の席の少年、玉梓悠斗(たまずさゆうと)が話しかけてくる。

 どうやら、璃空が一人で帰ろうとしたことが気になったらしい。

 彼の言う通り、璃空はあまり一人で帰ることがない。

 基本的に、誰かしらと下校することが多い。

 それが世話焼きの幼馴染か、腐れ縁の親友か、会えば口喧嘩が絶えない好敵手なのかはその日によるが。


 「あー……まあ帰るというか、花梨が日直の仕事終わるまで暇だから、その辺フラフラしようかと」


 教室で待っていてもいいのだが、やることがないのは変わらないので、学校から出ようと考えていた。

 そんな璃空に対して、悠斗は何かを思いついたような含みのある笑いをして口を開いた。


 「なるほどな。でも、気をつけろよ? 一人でいると、人食い鬼に喰われるかもしれないからな」


 悠斗の笑えない冗談に璃空の顔は引きつる。

 世界各地では日々、何かしらの異能事件が発生している。

 その中でも、恐ろしい事件の一つが人食い鬼事件だった。

 人食い鬼事件はその名の通り、人が人を食べてしまうというものだったのだが、何より恐ろしいのはその人食い鬼が複数出現したということだった。

 鬼になってしまったほとんどの人間は、正気を取り戻すことはなく、何の手がかりも得られなかった。

 しかしある日、人食い鬼の中で正気を取り戻した人間がいた。

 彼は、一人の人間が人を食べているところを目撃してからおかしくなってしまったと証言した。

 結局、その事件は根本的な解決には至らず、最初に人食いをしていた人間は現在も見つかっていない。

 それから、一人で不用意に歩き回ると人食い鬼に行き当たるという笑えない冗談が出回るようになった。


 「お前も帰るなら余計な寄り道しないようにな。人食い鬼になっても知らないぞ」


 「き、気をつけるよ……」


 お返しと言わんばかりに笑えない冗談を悠斗に返して、璃空は教室を後にした。

 悠斗は苦笑いをして、璃空の背中に手を振った。


 悠斗と別れた璃空は、花梨を待つために、近くの公園に向かった。

 そんな璃空の耳に大きな声が聞こえてきた。

 気になった璃空が声の方向に向かうと、そこは自分が向かっていた公園だった。

 すると、そこには木の前で泣きじゃくる小さな男の子がいた。


 「声の正体はあの子か……」


 さすがに放っておけないな、と璃空は男の子に近づいて声をかける。


 「どうした?」


 「ふうせん……木に、引っかかっちゃった……」


 すると、男の子は泣きながら近くの木を指さした。

 璃空が見上げると、見事に風船が引っかかっており、どう頑張っても取れない高さにあった。


 「あー……なるほどな」


 「うぅ……」


 「しゃーない。お兄ちゃんが取ってやるよ」


 「本当に……?」


 「おう。だからもう泣くなよ」


 また泣き出しそうになる男の子の前でしゃがみこんで、璃空は頭を撫でながら強い笑みを浮かべた。

 その笑顔に、男の子は涙を拭って璃空を見つめた。


 「さて、と──」


 ようやく泣き止んだ男の子に安心した璃空は立ち上がり、大きく息を吸い込んだ。

 この世界の空気中には『霊子(れいし)』と呼ばれる、世界を構成する要素の一つである物質が含まれている。

 世界を構成するということは、当然、生物の身体を構成する一部でもある。

 そして、生物の中でも、特に人間は、取り込んだ霊子を体内で『霊力(れいりょく)』に変換し、ある現象を引き起こすことが出来る。


 「ふぅ……よし」


 全身に霊力を巡らせた璃空は、木に向かって全力で走りだし、そのまま木を蹴って高く飛びあがった。

 その跳躍力に、男の子は目を丸くして眺めていた。

 霊子を取り込んだ人間は、霊力を使用することで、通常では不可能なことを可能にしてしまう。

 人々はこれを『異能(いのう)』と呼び、生活に役立ててきた。

 今回、璃空が使用したのは異能の中でも基礎的な身体強化だ。

 これにより跳躍力を向上させ、木によじ登ってもギリギリ届かないような高さに引っかかった風船をつかみ取った。


 「取った!! ……って、ありゃ?」


 しかし、風船を取った後のことを考えていなかった璃空はそのまま空中に放り投げられる形になり、抵抗虚しく地面に叩きつけられた。


 「だ、大丈夫!?」


 「まあ、何とかな……ほら、風船取れたぞ」


 背中の痛みをこらえながら、璃空は男の子に風船を手渡す。


 「わぁ!! ありがとう、お兄ちゃん!!」


 男の子は嬉しそうに風船を受け取って走り去っていった。



 「……何やってるの、璃空?」


 「……木から落ちた」


 地面に寝転がって空を見上げる璃空を、少女は呆れた顔で見つめる。

 制服についた土を払いながら、打ち付けた背中の痛みに耐えながら立ち上がる。

 ため息をつきながら、少女は璃空の手が届かない所の土を払いながら、背中に手を当てる。

 すると、璃空の身体を光が包み込んだ。


 「いつも悪いな、花梨(かりん)」


 「謝るぐらいならこんな怪我しないでよ。っていうか、何で木から落ちるようなことになったの?」


 「あぁ。まあ、ちょっとな」


 心配そうな顔で話しかけてくる幼馴染の唯月花梨(ゆづきかりん)に苦笑いをしながら、璃空は木から落ちた経緯を説明し始める。



 それから数分後。


 「──ってことがあって……」


 「バカっ!!」


 「いってえ!!」


 璃空の話を聞き終えた花梨は、彼の背中を思いっきり叩いた。

 その痛みは体感的に、地面に叩きつけられた時以上のものだった。


 「後先考えずに行動した罰! はい、治ったよ」


 悶絶しているうちに、体を覆っていた光は消え、打ち付けた背中の痛みは和らいでいた。

 異能は誰もが使える基礎的な能力と、その個人しか使えない特有の能力の二種類に分類される。

 花梨の能力は『百花繚乱(ガーデン・ソング)』と呼ばれる回復能力である。


 「今のは治してくれないのな……」


 「治したら罰にならないでしょ?」


 ニッコリと微笑んだ彼女に、璃空は苦笑いをするしかなかった。

 これ以上文句を言えば、しばらくの間、口を利いてもらえなくなるのは分かりきっていた。


 「……そろそろ帰ろ」


 「そうだな」


 気が付けば、時刻は既に18時近く、空は夕焼けと夜空が混ざり合っていた。

 二人は公園から家に向かって歩き始めた。



 「じゃあね、また明日」


 「おう、また明日」


 数十分歩いて、家についた二人は手を振って自分の家に入っていく。

 二人の家は隣り合っており、行こうと思えば窓から侵入できるぐらいの距離だった。

 ただいまと言う花梨の声を聴きながら、璃空も家に入る。


 「ただいまー……って、誰もいないか」


 家に入ると、玄関には誰の靴もなく、静寂が璃空を出迎えた。

 璃空は玄関に靴を脱ぎ捨てて、二階にある自分の部屋に向かう。

 部屋のドアに手をかけた時、ふと隣の部屋のドアが視界に映った。


 「……」


 璃空は自分の部屋のドアから手を放し、隣の部屋に向かう。

 ノックをしたり、声をかけることなく、ゆっくりとドアを開けた。


 「……ただいま、姉ちゃん」


 ドアの先に広がる無人の部屋に、璃空は寂しそうな声でそう呟いた。

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