第7話『トカゲ侍と陰陽師エルフ』その七

 山の下側からだ。


 リンタロウは声を張り上げた。

「落ち着いて、皆、山の上のほうへ――」


 しかし村人はそれを聞かず、恐慌を起こした。

「魔物だァ!」

「昨日の夜とおんなじ声だ!」

「死にたくねええ!」

 皆悲鳴をあげてバラバラに走り出した。家の中に駆け込んで戸を閉めてしまう。


 それではだめだ。火を付けられたらなす術がない。

 いつの間にかヘイスケもいなくなって、二人だけが残された。

「待て――」

 リンタロウは腕の中のピアを見下ろした。村人に言い聞かせて回る時間はもうない。

 すまなそうに言った。

「どうやら、魔物が村に入ってくる前に戦うしかなさそうだ」


「下ろしてええで。そんなら、しっかり守ってや」

 せめてもと、火に強そうな石塀の近くに彼女を下ろした。塀は低いので、防御の役に立つかどうかは微妙なところだが、ないよりはましだろう。

「歩けるようなら君だけでも逃げてくれ」

「その前に倒してほしいわ」

 動こうとしないのは、やはり疲れているのだろう。


 リンタロウは浪人笠を脱いでピアに渡した。村人はいないので顔をさらしても大丈夫だ。

 目を下方へ転ずると、木々の合間から暗く燃える火が見え隠れしていた。ゆっくりと確実に近づいてきている。あれが火熊の炎か。以前斬ったやつよりだいぶ大きいサイズのようだ。

 果たして、今回も斬れるか。


「これをたのむ」

 浪人笠をピアに託し、迎え撃とうと一歩踏み出しかけたリンタロウ。

 そのズボンを、彼女が握って止めた。彼女の目は近づく火熊の炎に釘付けだ。

「あかん」


 声がわずかに震えているのは、疲労のためばかりではないようであった。

「あれは魔獣やない。妖魔や」

 怯えている。リンタロウは素早くしゃがみこんで彼女と目線を合わせた。

「何かわかったのか」


「逃げな……でも逃げたら村が……」

「落ち着け。わたしに知っていることを教えてくれないか」

「ああ……火が黒紫やろ。あれは妖魔の色や」

「妖魔というのは、魔物とは違うのか?」


「魔物でひっくるめるけど、妖魔と魔獸の別があるんや。魔獣は陰陽の気が普通とはちゃう、呪力を持っとる生き物や。リンタロウが斬ったいう火熊とか、不死山のドラゴンも魔獣や。普通とはちゃうけど動物は動物やねん。普通に餌食って生きとる。けど、妖魔はちゃう。濁った気が凝って生まれる理外の外道や。人間の死が妖魔の栄養やから、妖魔は必ず人間を殺す」

 早口の小声で説明するピア。彼女の緊張感が伝わってくる。


「多分あれは、火熊の屍骸に濁気が憑いて生まれたやつや。火熊とは全然ちゃうモノや思わんとあかん」

「妖魔は魔獣より手強い……ということか」

「手強いとかそういうレベルやない。妖魔は普通の武器じゃ傷つかん。リンタロウの持っとるのがどんな業物でも絶対に倒せへんねん。術がかかっとるなら別やけど」


 致命的な情報だ。それではリンタロウは役立たずということになってしまう。

「いや、待て。術がかかっていればと言ったな……?」

「そういうことや」

 ピアはリュックを開いて紙を取り出した。

 疲れた息の下から、ピアの決意が見える。


 また式神を喚ぶ気か。

「だが、大丈夫か? これ以上術を使って、体力がもつのか」

「やってみなわからん。村を救うにはこれしかないやろ」


 疲れを追い出すためか、心を整えるためか、ピアは何度も大きく息をした。

 そしてまた折りはじめる。

 疲労の上に暗さもあって、指先がうまく定まらない。手が震えている。

「まだ大丈夫……まだ妖魔は来とらんから大丈夫……妖魔は見えん……」

 まるで自分に言い聞かせるように呟きながら、真剣に折り続ける。


 彼女を見ていて、リンタロウの頭に一つの疑問が浮かんでいた。どうして彼女はこんなにゴッタチ村を助けようとしているのか?

「この村に縁があるのか?」

「集中させて」

 リンタロウを黙らせたあと、折り目を丁寧になぞりながら、

「言いたいことはわかるで。ウチは縁もない連中を助けるような女には見えんってことやろ」


 リンタロウは返答に詰まった。突き詰めていえば確かにそういうことになってしまう。

「縁なんかなんもない。けどな、最近ウチのバンドも妖魔にやられてん」

 彼女の声は小さく、顔は折り紙に向けているため表情がわからない。


 ピアはバンドはいないと言った。ゴートにいる母の元へ行くと言った。それは本当のことだったのだ。

 だから、妖魔に襲われようとしているこの村を守ろうとしている……。


 リンタロウが見ている中で、ピアは紙を折る。明らかに岩の犬を折ったときよりも時間がかかっている。疲労のみならず平静ではいられないのだろう。

 苦戦しながら彼女が折りあげたのは魚の形であった。鮫だ。


「村人を助けられるのはウチと、リンタロウ、あんただけや。刀抜き。早よう」

 リンタロウは黙って言われたとおり太刀を抜いて刀身を彼女の前に出した。


 ピアは紙を放り投げ、指差して命ずる。

「疾疾来来。『水』のオンディーン!」

 今回は巨大化はしない。小さな鮫は宙を飛び、刀身に纏わりつくように泳いだ。かと思うと、すでにその姿は見えなくなっていた。


 ピアは大きく息をついた。

「これで妖魔も斬れるようになったで」

 リンタロウはまじまじと、自分の刀を見やった。刀身がふつふつと間断なく露を結んでいる。それはやがて剣尖まで伝って滴り、地に落ちる。


「刀に術の力を宿したのか」

「あとはあんた次第や。頼むで」

 心細そうな声だ。村を守ると決心はしたものの、やはり妖魔は怖いのだろう。

 ならば、安心させるのは自分の役割である。


「わかった。任せてもらおう」

 リンタロウは立ち上がった。

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