第4話『トカゲ侍と陰陽師エルフ』その四
男は両手に持った握り飯を交互にがつがつと食いまくる。手についた米粒も全て舐め取り、食べ終えると、リンタロウの差し出した水筒から水を一気飲みした。それでようやく人心地がついたという息を漏らす。はっと気づいて、
「すいやせんした、おサムライさまを魔物だとかって」
頭を下げてひたすら恐縮している。男の姿恰好や態度、言葉遣いからするに、寒村の農民といったところだ。
休んでいる暇はないとばかりに立ち上がった男は性急に問う。
「そんで、勧善寺の門前町はどっちですかい?」
答えをもらったらすぐにでも駆け出そうという構えだ。
「勧善寺?」
リンタロウは聞いたことがなかった。
「あんちゃんどっから来たん?」
草むらの蝶々と戯れていたピアが気のなさそうな声で尋ねた。男は彼女の存在にはじめて気づいたようだった。
「エルフ? ……おれはミクニ山のゴッタチ村のもんだ」
リンタロウにはわからない地名だった。しかしピアは心当たりがあるようだ。さすがは山野を旅する種族だ。
「ミクニ山から勧善寺? 方向逆やで。ミクニ山はこっから北東やろ?」
地面に線を描いてみせる。
「勧善寺はもっと東や。あんちゃんはお山から南にこうきて、街道に出て、西に来たわけやな。けど、ほんまは街道に出てから東に行かなあかん」
男は愕然とした。
「そんな……! それじゃあ間に合わねえ……」
頭を抱え、がっくりと両膝をつく。そのまま背を丸め地面にうずくまってしまった。
悲嘆の様があまりにひどいので、リンタロウは思わず声をかけた。
「仔細を聞こう」
向こうでピアが、またお人よしな、と言うようにチラッとリンタロウを見た。
身分が上のサムライに促されて、気概が抜けた男はぽつぽつ話しはじめた。
「急に魔物が来た……昨日の夜……家が焼けて……人も」
魔物に村が襲われ、犠牲者が何人も出た。
「親父も……お袋も死んだ」
夜明けに魔物が去っていったが、遠くへは行ってないらしく、夜になったらまた襲ってくると思われた。魔物退治の専門家である勧善寺の僧に助けを求めようということになり、生き残った中で一番体力があるこの男が使者に選ばれた。勧善寺は遠い。走っても間に合うかわからないが、とにかく飲まず食わず全速で駆け通した。だが体力の限界がきて、道端に倒れてしまった。男は訥々と語った。
気づけば、少し離れたところで遊んでいたはずのピアが近くにいて、真面目な顔で男の話をじっと聞いていた。さっきまでの興味なさそうな素振りとはまるきり態度が変わっている。
「お坊様に……お坊様に頼めば退治してくださると思ったに……!」
無念を言葉にして吐き出す男。道の間違いで村が全滅の危機に瀕するのだ。その絶望感たるや。
うつむいた顔から涙が地面へと落ちていく。土を掴んだ拳がぶるぶる震えている。
ピアが痛ましい表情で彼の背を撫でる。同情しているようだ。
しかし、悔やんでももう勧善寺へ行く時間はない。村はこのまま、なすすべなく魔物に蹂躙されてしまうしかないのだ。
男の泣き崩れる姿を見ていたリンタロウが、
「わたしが行こう」
と、言った。
「……は?」
男が顔を上げた。理解が追いついていない、ぼんやりとした表情だ。
「どれほどの力になれるかはわからないが、わたしが村へ行こう」
リンタロウは武士だ。民の上に立つ者として、守らねばならない。それが武士の務めであると、彼は本気で信じている。
「へえ……」
まだ男の思考は麻痺したままみたいだ。
リンタロウは続けて、
「魔物ならば以前に一度、斬ったことがある」
と刀の柄に手を置いてみせた。武勇を誇るためではない。男を少しでも安心させようというつもりであった。
「……本当ですか!」
岩の隙間からわずかに水が染み出すように、乾き果てたと思った希望がにじみ出てきたという表情の変化を見せる男。
「山の中で修行中出くわした。火をまとった熊のような魔物だ」
「うちの村に出たのもそれです! 燃える熊」
「火熊斬ったて、ホンマか?」
ピアが驚きの表情を向けてきた。そもそもの話、普通の熊ですら刀で斬るような相手ではない。
「嘘ではない」
ピアは半信半疑の顔で、
「ただの火ぃつけられた熊いうオチやないやろな」
「そんなものは山中に出ないだろう」
七尺三寸の巨体、腰に差した通常よりかなり長い刀、そして獣還り。ホラではないという説得力が、リンタロウの肉体にはあった。
「仮に勝てないとしても囮くらいにはなるだろう。もしかしたら、この体だ、わたし一人を食って満足して帰るかもしれないぞ」
「笑えん冗談やな」
ジト目でピアが突っ込む。
「ああ、でも」
と男がまた嘆きの声をあげた。
「今からじゃあ夜までに村に戻れやしねえ……おしまいだ」
「そんなに遠いのか」
リンタロウは常人を超える速さで走ることができる。だが道がわからないので一人で先行するわけにはいかない。
わずかに射した希望がまた消えてしまったみたいに男はうなだれる。
「とにかく、急ごう。間に合うかどうかは着くまでわかるまい。今夜来ないかもしれないし、来ても遅い時間かもしれない」
リンタロウが励ますが、男は大きな溜め息を吐くばかりだ。
「大丈夫や。安心せえ」
ピアが力強く断言した。彼女の顔は真剣であった。
「ウチがおれば間に合う。泣かんでええ」
「どういうことだ」
明らかに体力に劣る彼女が、そんなことを言う自信はどこからくるのだろうか。
ピアは背負っていたリュックから一枚の紙を取り出し、男二人に見せつけた。折り目も何もついていない、きれいな正方形の紙だ。純白の上等な紙。大きさは七寸(約二一センチ)四方といったところだ。
「それがどうした?」
リンタロウは首をひねった。
「ちょい待っとき」
ピアはその紙を折りはじめた。半分に折り、斜めに折り、角度を変え、複雑な形に折り込んでいく。
折り紙だ。
リンタロウは、子供のころに女の子がやっているのを見たことがあるが、ここまで速く正確な動きははじめてだ。だが……なぜ折り紙をはじめたのかは、さっぱりわからない。
「なんだよ! 子供の手遊びなど見てる暇ねえ。おサムライさま、早く行きましょう。こうしてる間にも日が動いちまう」
男は焦れている。リンタロウの顔を伺っては視線を戻すのを繰り返している。
「待っとれ言うとるやろ」
ピアは集中した顔で、狂いのないように紙を折り続ける。
やがてピアの手の中で、四角い紙だったものが一つの形を成した。
犬だった。折り紙で犬を作ったのだ。
で、それでどうしたというのか。男はあからさまに不機嫌な顔で眺めている。
ピアはちょっと得意げに笑みを浮かべたかと思うと、真剣な目になり、紙の犬を放り投げた。
宙を舞うそれを鋭く指差し、
「疾疾来来! 『地』のグノーム!」
命令するような厳しい声で呼んだ。
その瞬間、手のひらに乗るサイズの紙犬が、空中で大きな獣に変化した!
獣は四足で着地した。周囲の草がなびく。
全体のフォルムは犬だ。太りじしの犬である。ただし牛を一回り超える大きさだ。
犬の全身は岩石の寄せ集めでできており、ごつごつしている。
岩でできた巨大な犬。
完全にあっけに取られたリンタロウと男を尻目に、ピアは先に犬の背に乗って手招きした。
「三人くらいならいけるやろ。乗り」
「きみは……一体何者だ?」
リンタロウは、エルフが独自の術を使うというのは聞いたことがあったが、それは単なる風評だと思っていた。得体の知れない民族に対する誹謗の類だと。
まさか真実だったとは。
男が怯えて震えている。
「エルフだ……エルフの魔法使いだ!」
「なんや、魔て。人聞き悪いやないか」
男の言葉を訂正するピア。
「このグノームは式神。ウチはな――陰陽師や!」
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